黄昏時に、翔の若武者は、参詣客で賑わう
鬼髯廟の隅に佇んでいた。
翔の君主である、龍帝を継ぐ侠の舎弟で、
若武者の義父。
世を去って久しい伝説の鬼髯の武者は、
桃林の近くに造営されたこの廟に、
うら若き許嫁者とともに眠っている。
鎧をまとって、笑みをたたえたまま葬られた鬼髯の大武勇は
当初は、軍神として崇められていたが、
いつの間にか、その頑ななまでに一途な、
信義を通す古徹な生き方にあやかってか、
明朗会計と契約遵守の守り神のような位置づけに変化し、
今では
「商売繁盛」
堂堂と、そのようなご利益が信じられ、
商舗の壁には、鬼髯の武者絵が飾られている
光景が珍しくなくなった。
――義父上は、”商売にはとんと疎いのに、”と
困惑されながらも、皆がそれでよいなら良いと、
優しげに苦笑いなさっておいでなのだろうかな。
若武者が物思いに耽っていると、背後で頓狂な大声があがった。
「! 鬼ひ……! なんだ、お前か」
「義叔父上、『なんだ』はないですよ」
「お前さ、近頃、後ろ姿がさ、鬼髯の若い頃そっくりだぜ」
「え?」
(養子。なのに)
「いっそ、髯も伸ばしてみたらどうだ?」
「いやですよ。髯薄いし、……うっかり義父上に似たら、
宴で義叔父上に抱きつかれて泣かれる」
「ばっ……! っか野郎!
……そりゃ、幽霊でもいいから会いたいけどよ」
ぷいと、そっぽを向くように照れながら、
雷電を呼ぶ無双の戦刃は、語尾を小さくしながら応じた。
「幽霊、か」
(俺だって、会いたい)
「なあ、アニキはよ、幽霊が見えるのかもしれないよな」
「どうしてですか」
「だってよお、『あの世』みたいなところに一度行ってたんだろうし、
鬼髯のこと、よく、『ここに居るんだ』ってな、ニコニコしてるぜ。
気休めじゃなくて、マジ見えてるんじゃねえかって思うこと、よくあるぜ」
「あのかたは、特別ですから」
「もし、孔明のからくりってヤツなら、
俺もやってほしいんだけど、
種明かししろとか迫るのも大人げないような気がしてよ」
「……俺をダシにしないでくださいよ?」
「そんなつもりじゃねぇよ」
「何だ、みんな、来てたのか」
「アニキ!」
龍帝剣の主は、蒼い鎧袖に映える、大きな黄色の花輪を持って廟堂にあらわれた。
「月英のところで実験栽培してたバラだよ。今後、翔の産業としてどうかな、ってな。『商売の神様』に見せに来た」
「皆さんも、どうぞ」
あとにつき従う聖軍師は、黄色のバラで一杯にした花籠をふたつ携えてきており、一つを若武者に、もう一つを彼の舎弟に渡した。
「いいなー。ちょーひさーん、ボクも鬼髯の大将にお花あげたーい!」
「あたしもー」
「おいらもー」
「わかってるって、並べ。わけてやるわい」
「わあい」
「やったー!」
「ちょーひさんだいすき!」
「バカヤロウ、褒めても何も出ねぇぞ」
「知ってるもーん」
「やさしいんだもーん」
「お前ら。大人をからかうな。いいか、一人二輪だ。鬼髯の嫁さんにもお供えするんだぞ」
「あっ、俺も分ける。たくさんあるから、順番だぞ」
子供たちに囲まれてにぎやかな末弟と甥が、
いまだに義兄の許婚嫁を忘れない様子を見て、
彼はほのぼのと心が温まる思いで、
「なあ、孔明。翔は、きっといい国になると、アイツは楼蘭と、安心してくれているだろうか」
傍に控える聖軍師に呟いた。
「もちろんです。あなたには、見えておいでなのではありませんか」
「うん、今ちょっと発破かけられた」
「発破?」
『劉備殿、まだ何の進展もないのでござるか。
拙者、縁結びの神にまでは、なれませぬぞ』
楼蘭の肩を抱いて呆れる鬼髯の大武勇が、黄色い薔薇の向こうで眉尻を下げているのが見えた気がしたのだった。
「あのな、孔明」
「あの、劉備さん」
二人同時に、俯きながら呼びかけあい、
「何だ?」
「いいえ、あなたがお先に」
「いいよ、言えよ」
「でも」
「俺のは、今じゃなくてもいいんだ」
『りゅう・び・どのッ! 今でなくていつなのですかッ』
鬼髯の武者の面影の後ろで、
焦れたような炎がゴッと燃え上がったように見えた。
『こういうことは雰囲気が大事なものですよ、
いち、に、さん、はい、という訳にはいきませんよ』
それを、傍らに立つ楼蘭が宥めているようだ。
「あとで、温室にお立ち寄りいただけますか?」
「うん」
彼は、誘われるまま、ニコニコと笑みながら、
楼蘭の助け舟の俤にも心の中で手を振って、廟堂をあとにした。
「見ていただきたいものがあるんです」
そう言って、聖軍師がいざなったのは、
温室の突き当たりの、蔦に覆われた秘密の扉の向こうの、
半地下の実験室のような小部屋だった。
蓬莱から輸入して、試験飼育している金魚が優雅に泳ぐ水槽や、草木や穀物の鉢の類が整然と並んでいる。
「これです」
「……? 水色のバラ、か?」
珍しさに、彼は手を伸ばせもせず、
ただしげしげと見入った。
「確かにあの黄色のバラは巻きも深く、日持ちもよく、翔の特産たり得るとは思います。……しかし、西の涯の国では、
黄色を忌むところもあるそうです」
「幸運の色なのにか?」
「そこで本当は……、青色のバラを作りたいのです。でも、青いバラは、『不可能』の代名詞のようなもので、簡単には参りません」
「水色でもいいじゃないか」
彼は、なぜ聖軍師が、また難題に取り組もうとしているのか、わからない。
「あなたの、その鎧袖のような色のバラを作って、永く伝えたいのです。……あなたは翔の国父です」
彼の聖軍師は、白い扇を曖昧な高さに掲げて俯いた。
「じゃあ、俺は孔明の親父でもあるってことか」
「そうも言えますね。……わたしも翔の民です」
彼には遠まわしすぎたのかもしれない。
話がバラではなく、父のほうへ行ってしまった。
「一方では便利だが、他方では困る」
「……え?」
聖軍師は小頸を傾げた。
「どっちを教えてほしい」
「両方とも」
「ダメ。片方だけ」
「選べません」
父であったなら、もちろん
「お父さんッ、俺に、孔明を俺にくださいッ」
と土下座をし、
「うむ、あい許す」
と、即快諾が可能である。
だが。
その先は、父がしてはならないことばかりではないか。
『なあ関羽、いっそお前が翔の親父にならないか?』
『劉備殿。拙者は平ひとりで充分です』
(2011.06.19 父の日によせて)
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鬼髯廟の隅に佇んでいた。
翔の君主である、龍帝を継ぐ侠の舎弟で、
若武者の義父。
世を去って久しい伝説の鬼髯の武者は、
桃林の近くに造営されたこの廟に、
うら若き許嫁者とともに眠っている。
鎧をまとって、笑みをたたえたまま葬られた鬼髯の大武勇は
当初は、軍神として崇められていたが、
いつの間にか、その頑ななまでに一途な、
信義を通す古徹な生き方にあやかってか、
明朗会計と契約遵守の守り神のような位置づけに変化し、
今では
「商売繁盛」
堂堂と、そのようなご利益が信じられ、
商舗の壁には、鬼髯の武者絵が飾られている
光景が珍しくなくなった。
――義父上は、”商売にはとんと疎いのに、”と
困惑されながらも、皆がそれでよいなら良いと、
優しげに苦笑いなさっておいでなのだろうかな。
若武者が物思いに耽っていると、背後で頓狂な大声があがった。
「! 鬼ひ……! なんだ、お前か」
「義叔父上、『なんだ』はないですよ」
「お前さ、近頃、後ろ姿がさ、鬼髯の若い頃そっくりだぜ」
「え?」
(養子。なのに)
「いっそ、髯も伸ばしてみたらどうだ?」
「いやですよ。髯薄いし、……うっかり義父上に似たら、
宴で義叔父上に抱きつかれて泣かれる」
「ばっ……! っか野郎!
……そりゃ、幽霊でもいいから会いたいけどよ」
ぷいと、そっぽを向くように照れながら、
雷電を呼ぶ無双の戦刃は、語尾を小さくしながら応じた。
「幽霊、か」
(俺だって、会いたい)
「なあ、アニキはよ、幽霊が見えるのかもしれないよな」
「どうしてですか」
「だってよお、『あの世』みたいなところに一度行ってたんだろうし、
鬼髯のこと、よく、『ここに居るんだ』ってな、ニコニコしてるぜ。
気休めじゃなくて、マジ見えてるんじゃねえかって思うこと、よくあるぜ」
「あのかたは、特別ですから」
「もし、孔明のからくりってヤツなら、
俺もやってほしいんだけど、
種明かししろとか迫るのも大人げないような気がしてよ」
「……俺をダシにしないでくださいよ?」
「そんなつもりじゃねぇよ」
「何だ、みんな、来てたのか」
「アニキ!」
龍帝剣の主は、蒼い鎧袖に映える、大きな黄色の花輪を持って廟堂にあらわれた。
「月英のところで実験栽培してたバラだよ。今後、翔の産業としてどうかな、ってな。『商売の神様』に見せに来た」
「皆さんも、どうぞ」
あとにつき従う聖軍師は、黄色のバラで一杯にした花籠をふたつ携えてきており、一つを若武者に、もう一つを彼の舎弟に渡した。
「いいなー。ちょーひさーん、ボクも鬼髯の大将にお花あげたーい!」
「あたしもー」
「おいらもー」
「わかってるって、並べ。わけてやるわい」
「わあい」
「やったー!」
「ちょーひさんだいすき!」
「バカヤロウ、褒めても何も出ねぇぞ」
「知ってるもーん」
「やさしいんだもーん」
「お前ら。大人をからかうな。いいか、一人二輪だ。鬼髯の嫁さんにもお供えするんだぞ」
「あっ、俺も分ける。たくさんあるから、順番だぞ」
子供たちに囲まれてにぎやかな末弟と甥が、
いまだに義兄の許婚嫁を忘れない様子を見て、
彼はほのぼのと心が温まる思いで、
「なあ、孔明。翔は、きっといい国になると、アイツは楼蘭と、安心してくれているだろうか」
傍に控える聖軍師に呟いた。
「もちろんです。あなたには、見えておいでなのではありませんか」
「うん、今ちょっと発破かけられた」
「発破?」
『劉備殿、まだ何の進展もないのでござるか。
拙者、縁結びの神にまでは、なれませぬぞ』
楼蘭の肩を抱いて呆れる鬼髯の大武勇が、黄色い薔薇の向こうで眉尻を下げているのが見えた気がしたのだった。
「あのな、孔明」
「あの、劉備さん」
二人同時に、俯きながら呼びかけあい、
「何だ?」
「いいえ、あなたがお先に」
「いいよ、言えよ」
「でも」
「俺のは、今じゃなくてもいいんだ」
『りゅう・び・どのッ! 今でなくていつなのですかッ』
鬼髯の武者の面影の後ろで、
焦れたような炎がゴッと燃え上がったように見えた。
『こういうことは雰囲気が大事なものですよ、
いち、に、さん、はい、という訳にはいきませんよ』
それを、傍らに立つ楼蘭が宥めているようだ。
「あとで、温室にお立ち寄りいただけますか?」
「うん」
彼は、誘われるまま、ニコニコと笑みながら、
楼蘭の助け舟の俤にも心の中で手を振って、廟堂をあとにした。
「見ていただきたいものがあるんです」
そう言って、聖軍師がいざなったのは、
温室の突き当たりの、蔦に覆われた秘密の扉の向こうの、
半地下の実験室のような小部屋だった。
蓬莱から輸入して、試験飼育している金魚が優雅に泳ぐ水槽や、草木や穀物の鉢の類が整然と並んでいる。
「これです」
「……? 水色のバラ、か?」
珍しさに、彼は手を伸ばせもせず、
ただしげしげと見入った。
「確かにあの黄色のバラは巻きも深く、日持ちもよく、翔の特産たり得るとは思います。……しかし、西の涯の国では、
黄色を忌むところもあるそうです」
「幸運の色なのにか?」
「そこで本当は……、青色のバラを作りたいのです。でも、青いバラは、『不可能』の代名詞のようなもので、簡単には参りません」
「水色でもいいじゃないか」
彼は、なぜ聖軍師が、また難題に取り組もうとしているのか、わからない。
「あなたの、その鎧袖のような色のバラを作って、永く伝えたいのです。……あなたは翔の国父です」
彼の聖軍師は、白い扇を曖昧な高さに掲げて俯いた。
「じゃあ、俺は孔明の親父でもあるってことか」
「そうも言えますね。……わたしも翔の民です」
彼には遠まわしすぎたのかもしれない。
話がバラではなく、父のほうへ行ってしまった。
「一方では便利だが、他方では困る」
「……え?」
聖軍師は小頸を傾げた。
「どっちを教えてほしい」
「両方とも」
「ダメ。片方だけ」
「選べません」
父であったなら、もちろん
「お父さんッ、俺に、孔明を俺にくださいッ」
と土下座をし、
「うむ、あい許す」
と、即快諾が可能である。
だが。
その先は、父がしてはならないことばかりではないか。
『なあ関羽、いっそお前が翔の親父にならないか?』
『劉備殿。拙者は平ひとりで充分です』
(2011.06.19 父の日によせて)
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