「いらっしゃいませー」
アジアンカフェ『古井戸』の、唐草模様を透かし彫りした木片に下がったドアチャイムをシャラリと鳴らして入店した常連客に、店員が反射的に応じた。
「……こんにちは」
「こんにちは。いつものお席へどうぞ」
茶系の制服に、白いギャルソンエプロンをキリッと巻いたウエイターは微笑んで右腕を奥の方へ伸べた。
「……どうも」
お嬢様風のツインテールの巻き毛を揺らして、彼女は足取り重く、仕事仲間の待つテーブルへと店内を進んだ。
「あ、来た来た」
「どうしたの? 遅かったね、お嬢」
「うん、ちょっとね。道が混んでたの」
「ん? 元気なくない? 花粉? PM2.5?」
彼女は花粉症の気があるので、隣のメガネっ娘が心配して覗き込むようにして訊ねた。彼女の頬の高いところに、マスカラの滓らしき黒い粒子を見つけて、涙や鼻水にくれたのかと思ったのだ。
「今日はそんなに飛んでないよ。大丈夫。ありがとメガちゃん」
「にしては元気ない」
「いつものお嬢らしくないよ」
「どうかしたの?」
花粉も飛んでいないのに、彼女は涙目になって俯いたので
(いつも、うふっと笑って、かわいこぶりっこするコなのに)
(実際、カワイイけどな)
(どうしちゃったんだろ?)
皆、冴えない表情の理由を彼女が言いだすのを待った。
「……あのね、……あのね。昼間ね、趙さまを街でみかけちゃったんだけど……」
「やだ、何、もっと喜びなさいよ!」
「そうだよ、どこでどこで?」
「それがね……」
お嬢はさらに俯いて言い出しかねる様子だった。注文を取りに来たウエイターが、空気を読んで立ち去ろうとするのをメガネっ子が引き止め、
「いつもの、お願いします」
かわりにオーダーを通してその場をそつなくしのいだ。
「どうしちゃったのよ。警察本部前とか? 裁判所とか? ヤバイとこ?」
「……それならまだ良かったよ」
(警察よりも、裁判所よりもショックなところってどこ?)
一同、お嬢の様子に心おだやかならず、皆、無言でコーヒーを啜った。
「あたしにとっては、かなりヤバイとこだったよ」
「聞くのが怖くなってきたんだけど」
「どこよ」
「みんなで聞けば怖くない」
「……斉襄坂」
「えっ!」
「ちょっと!」
「そんな!」
「みんな落ち着け。かつごうったってダメ。今日は万愚節でしょ」
お誕生日席のようなポジションで、一番年長の姐御が頬杖をついたままで余裕を見せた。
「……だったらよかったのにですよ……」
ますますしょんぼりとするお嬢の様子に
「ちょっと。マジなの?」
姐御は頬杖をやめて上半身を乗り出した。
「なんで昼間から!」
「夜でもヤダ!」
「ありえない!!」
テーブルには動揺が走った。激震と言ったほうがよい。斉襄坂は、いわゆるラブホテル街である。
「たまたま御用で通りかかっただけじゃないの?」
「わかんない。でも、行き止まりだし、建物から出てきたと思う」
「ショック」
「とりあえず、詳細希望ですよ、お嬢さん」
最近では、すっかり公叔ウォッチャーになっているメガネっ子が、興味津津に厚いレンズを光らせた。
「わたしは大通りの方から坂を見てたんだけど……てゆーか、行き止まりに祠みたいな大きな石があるとこ、あんなとこに桜あるんだ、って思って見てたんだけど、桜よりこっちがわの建物から趙さま出てきた」
「誰と」
「うわ、直球で聞かないでよ」
「こころの準備が……!」
「おひとり」
「どっちにしてもショックだわ」
「待ちなさいよ、何か危ないお取引にお使いだったとか?」
「えー、でもおかしいじゃん。もしたった10分ぐらいで出てきちゃったら」
「ぶりっ子。最近のあの手のは、誰にも会わずに支払いも自動だわよ」
「そうなの?」
「錦官城は遊んでない子しか採らないからな」
「姐御は遊んでたんですか?」
「まあ、アラサーにもなれば、ちょっとはね。オフレコだよ」
「それより趙さまですよ!」
「そうよ、あたしの貞操より趙さまの貞操だわよ! まさか悪い女に食われちゃってるのかしら!」
姉御の眼光が鋭くなった。
「仕事用の、あのアタッシュケース。持ってらした?」
「そうだよ、もしアソビなら、あの『仕事一筋』ってうっすら見えるような年季の入った、あの書類鞄なんてお持ちにならないはず!」
「アタッシュケースは……覚えてない。でも、ケバい紙袋持っていらした」
「ケバい?」
「金色っぽい感じの。四隅に濃い色がついてた。知らないデザインの」
「どれくらいの大きさ?」
「デパートの一階で化粧品とか買った時くれるぐらいの」
「じゃ……。何か買いに行ったのかな」
「ヤバいプレイのお道具だったりして」
「まさか殿下の御用」
「部下にそんな羞恥プレイさせる殿下じゃないよ」
「確かに」
「うわー、エイプリルフールであってほしい」
「エイプリルフールでもヤダ」
一同、頭をかかえたような状態になったところへ、ショートのストレートヘアをクールなワンレングスにした娘があらわれた。
「みんな、おつかれでーす」
「あっ、優姐」
「優優、お疲れ。まあ座れ」
「優姐の日って、殿下がご不在のことが多いからなー。おアツイ話は聞けないですね」
「メガちゃん……。いっそ殿下ウォッチャークラブを立ち上げたら?」
「いや、趙さまがあのおアツさの横で動じずに仕事してるのを視界の端っこでみてるのが楽しいわけですよ」
「ふうん」
優優は本名ではない。いかにも優等生タイプで、いつも常識的なことを言う面白みのなさを少しだけ揶揄ってくっついてきた愛称だ。
「今日、なんかラッキーだったんですよ」
「えー、いいなあ。何が何が?」
「午後、趙さまちょっとお留守だったのに?」
「え? どうして知ってるの?」
「街で、目撃情報がね」
「そうなんだ。すごい情報網」
「それで、みんなでどんよりしてるのよ」
「なんでどんより? あ、いつものお願いします」
「ねえ、出るとき、趙さまってそわそわしたり、帰ってきてウキウキしたりしてなかった?」
「え? 普通ですよ。いつものあの、朴念仁、ってかんじのステキな」
「ふううーん」
「何。どうしたんですか。テンション低っ」
「みんな、時系列でいこうよ」
「そうだね」
「とりあえず、今日の外出が予定されていたのかどうかですよ」
「それは……。メイドのアタシたちにはスケジュールなんて、わかんないんじゃないかなあ」
「もし、午後のおでかけの件なら、急用ですよ」
「女から呼び出しがあったってこと?!」
「応じたってこと?」
「ヤダ」
「女? 女って誰ですか」
「いや、実はさ、斉襄坂で、昼間っから趙さまを見たっていう……」
「あっ……。それは」
優優は、俄かにあわてた様子を見せたので
「あんた、何か関係あるわね」
姐御がずばりと詰問してきた。
「すみません……やっぱり別なところにすべきだった」
「別なところ?!」
「まさかの抜けがけ!?」
「どゆこと!」
「違う、違うって。みんなが思ってるようなことじゃないってば!」
「……昨日はPM2.5がビミョーに来てたじゃないですか。そのせいか、先生がちょっと今朝からお具合が優れなくて」
「それと趙さまの斉襄坂と、どういう関係が!」
「落ち着いてください! わたしじゃなくて、趙さまの名誉のために聞いてください!」
「わかったよ」
「それで」
「さっそく吉平先生のところのお嬢様に診にきていただいたんですけど、なにしろ国際基準ぎりぎり程度の微量だったから、今後は観測値に注意してしばらくお庭とかには出ないようにっていうぐらいで、処方はなかったんです。休息と食養生、って」
「まどろっこしいなあ。まだ朝の話ぃ?」
「まあまあ、順を追ってさ。それから?」
「朝、お白湯のほかは何も召し上がらなかったそうなので、心配でお昼はお粥をお作りしました」
「はいはい、定番の、胡桃を刻んだのとクコの実をいれるやつね」
「そう。で、今日みたいな時は」
「ナツメも入れる」
「そうそう。それで棗がね、最後の一個だったのよ」
「え、そうだったっけ」
「もう消費した?」
「いつの間に」
「お兄様の一件のころ、一時期かなり使っちゃってたもんね」
「そっか、吉平先生の訪問検診って来月だったっけ。いつもそのときまとめてゲットのはずが」
「普通、スーパーには売ってないからなー。砂糖漬けのしか」
「棗を入れると、先生のお軆の持ち直し方が違うから、夜もあしたの朝も、入れてあげたいじゃない」
「そりゃそうだ」
「それで、2時間ぐらい外出して一番近いところで調達してくるって、趙さまに相談しに行ったの。そしたら、趙さまがお使いにいってくださったの。『あなたは時給、わたしは月給です。劉家のことで、あなたがご損をすることはない。家事をお願いします』って」
「なんて冷静」
「趙さまらしい!」
「2時間分の時給すら軽視しないなんて」
「きっと行き帰りの万一まで考えてらっしゃるのよ」
「素敵すぎる」
「待ってよ、だからって、じゃ、なんで斉襄坂にいらしたのよ」
「……それなんだけどね、みんな知らないかもしれないけど、あそこ、漢方の学校があるんだ」
「嘘ぉ」
「ほんと」
「なんであんな、いかがわしいとこに」
「駅チカで、場所代安いから。雑居ビルの7階でほそぼそとね。東洋医学なんて、現実的には流行らないもん。経営苦しいよ」
「詳しいじゃん」
「じつは……。わたし、通学してるんだ」
「ええ?」
「そうだったの?」
「やっぱりなんかこう、おおっぴらに言いにくいロケーションでさ……」
「みずくさいなあ」
「じゃあ、趙さまって、その学校に棗を買いに行っただけなの?」
「そうだよ」
「待ってよ、ケバい紙袋は何?」
「ひょっとして、こんな柄かな」
優優は、色気のない黒のA4横型ビジネスバックから、A4の封筒を取り出した。「洪範薬膳茶房」のロゴとともに、五行にのっとった五色の配色で、中央の黄色部分に金色があしらわれている。
「あ、そうそう。配色的に、たぶんそれだった」
「昼間は薬膳ランチの店になってるんだよ。実益を兼ねて。美容が気になるマダム世代とか、グループでよく来るよ」
「へえ」
「中医薬局よりも、ずっと近いし、絶対に在庫あるから、思わず」
「なーんだ」
「心臓バクバクして損した」
「ちがうよ、得だよ。ほんとに悪い女だったら、そっちのほうが心臓に悪いよ」
「あはは、ほんとだ」
「それで、いつ卒業するの?」
「ことしの7月」
「優姐すごい!」
「就職あるかわかんないけどね」
「劉家のおかかえになればいいよ!」
「そうだよ。医食同源ってやつ? 絶対、先生に必要だって!」
「先生に必要なものは即ち殿下の必要だよ」
「やだ、そんな。ホームドクターがおいでのおうちになんて、ムリだよ。まず卒業しないと。それに経験も積まないと……」
「考えてるなあ」
「蔭で努力するタイプだよなー」
「やられた」
「見習わなきゃな」
「いや、努力とか、手に職ってわけじゃなくて。うち、昔から母が病弱で。病院がよいするために生きてるみたいだったのが忍びなくて。家族の健康のためになんかこう、自然にというか」
「偉い! 親孝行!」
「照れちゃうよ。卒業できてから褒めて」
「優姐ってホント謙虚」
「疑ってごめん。優優、今日は奢る」
「そんな、いいですってば姐御。卒業できたら奢ってください」
「じゃ、前祝い」
「姐御ってばほんとに気風がいいんだから」
「女にしとくのはもったいない」
「諸君、褒め言葉と受け取っておこう」
「もちろんですよ」
「ねえ」
「東洋医学かぁ……。スロウでいいよね。鍼灸とか勉強はじめちゃおうかな」
「なんで鍼灸?」
「何かの時に、趙さまに据えてさしあげられるじゃない」
「やだ、ヤラシイ」
「とか言って、いま想像したでしょ」
「キャーvvv」
「ちょっとさあ、中医の卵ちゃんとしては、先生のお軆の具合って、どう思うのか聞きたいよ」
「うんうん。先生みたいなタイプって、本当はどんな献立が合ってるの?」
「皆様お揃いの日の夕方とか、つい肉料理がっつり作っちゃうからなー」
「なるべく野菜多めに、薄味を心がけてるけどね」
「みんな、だいたいビンゴの献立だよ。いくら理屈こねても経験にまさるものはない」
「そうなの?」
「エライ! あたしたち!」
「ねえねえ、たとえばどれがビンゴ?」
「そうだねえ……」
「夜のほうに効くやつも聞いておきたい!」
「ちょ、メガちゃん。そんなにレンズ光らせちゃって」
「それって殿下に?」
「どっちも。やっぱりスッポンとか蛇ですか?」
「ヤダ、そんなの手に負えないよ」
「そうねえ。鼈じゃなくても、滋養強壮という点からいえば……」
お彼岸をすぎたとはいえ、そろそろ日も暮れ、このまま女子飲み会に突入は必定なのであった。
アジアンカフェ『古井戸』の、唐草模様を透かし彫りした木片に下がったドアチャイムをシャラリと鳴らして入店した常連客に、店員が反射的に応じた。
「……こんにちは」
「こんにちは。いつものお席へどうぞ」
茶系の制服に、白いギャルソンエプロンをキリッと巻いたウエイターは微笑んで右腕を奥の方へ伸べた。
「……どうも」
お嬢様風のツインテールの巻き毛を揺らして、彼女は足取り重く、仕事仲間の待つテーブルへと店内を進んだ。
「あ、来た来た」
「どうしたの? 遅かったね、お嬢」
「うん、ちょっとね。道が混んでたの」
「ん? 元気なくない? 花粉? PM2.5?」
彼女は花粉症の気があるので、隣のメガネっ娘が心配して覗き込むようにして訊ねた。彼女の頬の高いところに、マスカラの滓らしき黒い粒子を見つけて、涙や鼻水にくれたのかと思ったのだ。
「今日はそんなに飛んでないよ。大丈夫。ありがとメガちゃん」
「にしては元気ない」
「いつものお嬢らしくないよ」
「どうかしたの?」
花粉も飛んでいないのに、彼女は涙目になって俯いたので
(いつも、うふっと笑って、かわいこぶりっこするコなのに)
(実際、カワイイけどな)
(どうしちゃったんだろ?)
皆、冴えない表情の理由を彼女が言いだすのを待った。
「……あのね、……あのね。昼間ね、趙さまを街でみかけちゃったんだけど……」
「やだ、何、もっと喜びなさいよ!」
「そうだよ、どこでどこで?」
「それがね……」
お嬢はさらに俯いて言い出しかねる様子だった。注文を取りに来たウエイターが、空気を読んで立ち去ろうとするのをメガネっ子が引き止め、
「いつもの、お願いします」
かわりにオーダーを通してその場をそつなくしのいだ。
「どうしちゃったのよ。警察本部前とか? 裁判所とか? ヤバイとこ?」
「……それならまだ良かったよ」
(警察よりも、裁判所よりもショックなところってどこ?)
一同、お嬢の様子に心おだやかならず、皆、無言でコーヒーを啜った。
「あたしにとっては、かなりヤバイとこだったよ」
「聞くのが怖くなってきたんだけど」
「どこよ」
「みんなで聞けば怖くない」
「……斉襄坂」
「えっ!」
「ちょっと!」
「そんな!」
「みんな落ち着け。かつごうったってダメ。今日は万愚節でしょ」
お誕生日席のようなポジションで、一番年長の姐御が頬杖をついたままで余裕を見せた。
「……だったらよかったのにですよ……」
ますますしょんぼりとするお嬢の様子に
「ちょっと。マジなの?」
姐御は頬杖をやめて上半身を乗り出した。
「なんで昼間から!」
「夜でもヤダ!」
「ありえない!!」
テーブルには動揺が走った。激震と言ったほうがよい。斉襄坂は、いわゆるラブホテル街である。
「たまたま御用で通りかかっただけじゃないの?」
「わかんない。でも、行き止まりだし、建物から出てきたと思う」
「ショック」
「とりあえず、詳細希望ですよ、お嬢さん」
最近では、すっかり公叔ウォッチャーになっているメガネっ子が、興味津津に厚いレンズを光らせた。
「わたしは大通りの方から坂を見てたんだけど……てゆーか、行き止まりに祠みたいな大きな石があるとこ、あんなとこに桜あるんだ、って思って見てたんだけど、桜よりこっちがわの建物から趙さま出てきた」
「誰と」
「うわ、直球で聞かないでよ」
「こころの準備が……!」
「おひとり」
「どっちにしてもショックだわ」
「待ちなさいよ、何か危ないお取引にお使いだったとか?」
「えー、でもおかしいじゃん。もしたった10分ぐらいで出てきちゃったら」
「ぶりっ子。最近のあの手のは、誰にも会わずに支払いも自動だわよ」
「そうなの?」
「錦官城は遊んでない子しか採らないからな」
「姐御は遊んでたんですか?」
「まあ、アラサーにもなれば、ちょっとはね。オフレコだよ」
「それより趙さまですよ!」
「そうよ、あたしの貞操より趙さまの貞操だわよ! まさか悪い女に食われちゃってるのかしら!」
姉御の眼光が鋭くなった。
「仕事用の、あのアタッシュケース。持ってらした?」
「そうだよ、もしアソビなら、あの『仕事一筋』ってうっすら見えるような年季の入った、あの書類鞄なんてお持ちにならないはず!」
「アタッシュケースは……覚えてない。でも、ケバい紙袋持っていらした」
「ケバい?」
「金色っぽい感じの。四隅に濃い色がついてた。知らないデザインの」
「どれくらいの大きさ?」
「デパートの一階で化粧品とか買った時くれるぐらいの」
「じゃ……。何か買いに行ったのかな」
「ヤバいプレイのお道具だったりして」
「まさか殿下の御用」
「部下にそんな羞恥プレイさせる殿下じゃないよ」
「確かに」
「うわー、エイプリルフールであってほしい」
「エイプリルフールでもヤダ」
一同、頭をかかえたような状態になったところへ、ショートのストレートヘアをクールなワンレングスにした娘があらわれた。
「みんな、おつかれでーす」
「あっ、優姐」
「優優、お疲れ。まあ座れ」
「優姐の日って、殿下がご不在のことが多いからなー。おアツイ話は聞けないですね」
「メガちゃん……。いっそ殿下ウォッチャークラブを立ち上げたら?」
「いや、趙さまがあのおアツさの横で動じずに仕事してるのを視界の端っこでみてるのが楽しいわけですよ」
「ふうん」
優優は本名ではない。いかにも優等生タイプで、いつも常識的なことを言う面白みのなさを少しだけ揶揄ってくっついてきた愛称だ。
「今日、なんかラッキーだったんですよ」
「えー、いいなあ。何が何が?」
「午後、趙さまちょっとお留守だったのに?」
「え? どうして知ってるの?」
「街で、目撃情報がね」
「そうなんだ。すごい情報網」
「それで、みんなでどんよりしてるのよ」
「なんでどんより? あ、いつものお願いします」
「ねえ、出るとき、趙さまってそわそわしたり、帰ってきてウキウキしたりしてなかった?」
「え? 普通ですよ。いつものあの、朴念仁、ってかんじのステキな」
「ふううーん」
「何。どうしたんですか。テンション低っ」
「みんな、時系列でいこうよ」
「そうだね」
「とりあえず、今日の外出が予定されていたのかどうかですよ」
「それは……。メイドのアタシたちにはスケジュールなんて、わかんないんじゃないかなあ」
「もし、午後のおでかけの件なら、急用ですよ」
「女から呼び出しがあったってこと?!」
「応じたってこと?」
「ヤダ」
「女? 女って誰ですか」
「いや、実はさ、斉襄坂で、昼間っから趙さまを見たっていう……」
「あっ……。それは」
優優は、俄かにあわてた様子を見せたので
「あんた、何か関係あるわね」
姐御がずばりと詰問してきた。
「すみません……やっぱり別なところにすべきだった」
「別なところ?!」
「まさかの抜けがけ!?」
「どゆこと!」
「違う、違うって。みんなが思ってるようなことじゃないってば!」
「……昨日はPM2.5がビミョーに来てたじゃないですか。そのせいか、先生がちょっと今朝からお具合が優れなくて」
「それと趙さまの斉襄坂と、どういう関係が!」
「落ち着いてください! わたしじゃなくて、趙さまの名誉のために聞いてください!」
「わかったよ」
「それで」
「さっそく吉平先生のところのお嬢様に診にきていただいたんですけど、なにしろ国際基準ぎりぎり程度の微量だったから、今後は観測値に注意してしばらくお庭とかには出ないようにっていうぐらいで、処方はなかったんです。休息と食養生、って」
「まどろっこしいなあ。まだ朝の話ぃ?」
「まあまあ、順を追ってさ。それから?」
「朝、お白湯のほかは何も召し上がらなかったそうなので、心配でお昼はお粥をお作りしました」
「はいはい、定番の、胡桃を刻んだのとクコの実をいれるやつね」
「そう。で、今日みたいな時は」
「ナツメも入れる」
「そうそう。それで棗がね、最後の一個だったのよ」
「え、そうだったっけ」
「もう消費した?」
「いつの間に」
「お兄様の一件のころ、一時期かなり使っちゃってたもんね」
「そっか、吉平先生の訪問検診って来月だったっけ。いつもそのときまとめてゲットのはずが」
「普通、スーパーには売ってないからなー。砂糖漬けのしか」
「棗を入れると、先生のお軆の持ち直し方が違うから、夜もあしたの朝も、入れてあげたいじゃない」
「そりゃそうだ」
「それで、2時間ぐらい外出して一番近いところで調達してくるって、趙さまに相談しに行ったの。そしたら、趙さまがお使いにいってくださったの。『あなたは時給、わたしは月給です。劉家のことで、あなたがご損をすることはない。家事をお願いします』って」
「なんて冷静」
「趙さまらしい!」
「2時間分の時給すら軽視しないなんて」
「きっと行き帰りの万一まで考えてらっしゃるのよ」
「素敵すぎる」
「待ってよ、だからって、じゃ、なんで斉襄坂にいらしたのよ」
「……それなんだけどね、みんな知らないかもしれないけど、あそこ、漢方の学校があるんだ」
「嘘ぉ」
「ほんと」
「なんであんな、いかがわしいとこに」
「駅チカで、場所代安いから。雑居ビルの7階でほそぼそとね。東洋医学なんて、現実的には流行らないもん。経営苦しいよ」
「詳しいじゃん」
「じつは……。わたし、通学してるんだ」
「ええ?」
「そうだったの?」
「やっぱりなんかこう、おおっぴらに言いにくいロケーションでさ……」
「みずくさいなあ」
「じゃあ、趙さまって、その学校に棗を買いに行っただけなの?」
「そうだよ」
「待ってよ、ケバい紙袋は何?」
「ひょっとして、こんな柄かな」
優優は、色気のない黒のA4横型ビジネスバックから、A4の封筒を取り出した。「洪範薬膳茶房」のロゴとともに、五行にのっとった五色の配色で、中央の黄色部分に金色があしらわれている。
「あ、そうそう。配色的に、たぶんそれだった」
「昼間は薬膳ランチの店になってるんだよ。実益を兼ねて。美容が気になるマダム世代とか、グループでよく来るよ」
「へえ」
「中医薬局よりも、ずっと近いし、絶対に在庫あるから、思わず」
「なーんだ」
「心臓バクバクして損した」
「ちがうよ、得だよ。ほんとに悪い女だったら、そっちのほうが心臓に悪いよ」
「あはは、ほんとだ」
「それで、いつ卒業するの?」
「ことしの7月」
「優姐すごい!」
「就職あるかわかんないけどね」
「劉家のおかかえになればいいよ!」
「そうだよ。医食同源ってやつ? 絶対、先生に必要だって!」
「先生に必要なものは即ち殿下の必要だよ」
「やだ、そんな。ホームドクターがおいでのおうちになんて、ムリだよ。まず卒業しないと。それに経験も積まないと……」
「考えてるなあ」
「蔭で努力するタイプだよなー」
「やられた」
「見習わなきゃな」
「いや、努力とか、手に職ってわけじゃなくて。うち、昔から母が病弱で。病院がよいするために生きてるみたいだったのが忍びなくて。家族の健康のためになんかこう、自然にというか」
「偉い! 親孝行!」
「照れちゃうよ。卒業できてから褒めて」
「優姐ってホント謙虚」
「疑ってごめん。優優、今日は奢る」
「そんな、いいですってば姐御。卒業できたら奢ってください」
「じゃ、前祝い」
「姐御ってばほんとに気風がいいんだから」
「女にしとくのはもったいない」
「諸君、褒め言葉と受け取っておこう」
「もちろんですよ」
「ねえ」
「東洋医学かぁ……。スロウでいいよね。鍼灸とか勉強はじめちゃおうかな」
「なんで鍼灸?」
「何かの時に、趙さまに据えてさしあげられるじゃない」
「やだ、ヤラシイ」
「とか言って、いま想像したでしょ」
「キャーvvv」
「ちょっとさあ、中医の卵ちゃんとしては、先生のお軆の具合って、どう思うのか聞きたいよ」
「うんうん。先生みたいなタイプって、本当はどんな献立が合ってるの?」
「皆様お揃いの日の夕方とか、つい肉料理がっつり作っちゃうからなー」
「なるべく野菜多めに、薄味を心がけてるけどね」
「みんな、だいたいビンゴの献立だよ。いくら理屈こねても経験にまさるものはない」
「そうなの?」
「エライ! あたしたち!」
「ねえねえ、たとえばどれがビンゴ?」
「そうだねえ……」
「夜のほうに効くやつも聞いておきたい!」
「ちょ、メガちゃん。そんなにレンズ光らせちゃって」
「それって殿下に?」
「どっちも。やっぱりスッポンとか蛇ですか?」
「ヤダ、そんなの手に負えないよ」
「そうねえ。鼈じゃなくても、滋養強壮という点からいえば……」
お彼岸をすぎたとはいえ、そろそろ日も暮れ、このまま女子飲み会に突入は必定なのであった。