四君子で4題 #1  利休梅

2017/02/02

21世紀パラレル 四君子で4題 劉公叔の物語(21世紀)

Attention Please...」
 というお決まりのアナウンスが遮断されている静かなラウンジのソファに先生を見つけた彼は、ゆったりと一緒に茶を喫して談笑すると、時間を見計らい搭乗口へ向かう。搭乗口が閉まる3分前に改札を通るのが理想的なのだ。

 優先搭乗の特典を彼は使わない。
 なにも急いで狭い空間に閉じ込められにゆくことはない。皆が座席に落ち着いたあとで出発間際に乗り込み、すぐドアが閉まるほうがよほどサービスに値すると彼は考えている

 軆のつくりが精巧な先生を飛行機に乗せるということは、生花を輸出するに似た細心が必要であるが、彼をはじめとして劉家の面々は既に慣れてしまっていて、特段、面倒を感じていない。

 赤貧洗うがごとき劉家ではエコノミークラスしか買えないものの、貧乏暇なしで搭乗回数が嵩むうえに強運を持つ彼は、今回のフライトでもインボランタリティーアップグレードに恵まれた。
 加えて、万事に気がつくあの常山の好漢がそつなく手配してもいる。

「Excuse  me, Mr.Liu...」
 搭乗後まもなく、髪を後頭部に結い上げて利休梅の柄のスカーフを首に巻いた日系のスチュワーデスが英文のリストを片手に、上級エコノミーの通路側に座る彼に話しかけてくる。
Vegetarian meal?」
「Yes,sir.」

 彼は分厚い指先で機内特別食の乗客リストを辿り、先生が連れであることを示してスチュワーデスと頷きあい、先生がいちいち初対面の他人と話すストレスを負わずに済むように気遣うのである。
 もちろん先生の方がずっと外国語に堪能なのであるが、語学に通じていることと会話が苦にならないことは別儀で、先生は彼の拙い英語をむしろ頼もしく思いながら微笑を含み座席に身を委ねている。

 しかも、彼はベジタリアン食を摂るべき積極的理由はないのに、先生と同じリクエストを入れさせて搭乗するのだ。
 はじめ、先生はこれに気兼ねしていたのだが
「そなたと腹時計をあわせておけば都合がよいし、地面に立ってからの飯が更に旨いではないか」
 と、事もなげに言われてはそれ以上何も言えなくなった。

 機内食は機内での少ない楽しみのひとつであると重要視する者は多いというのに、その楽しみをあっさりと放棄できるとは、多忙な彼が国際線に馴れ飽いたがゆえなのか、それとも加齢による欲望の減退がゆえなのかは分からないが、何の無理もなく進んで選んでいるらしきことだけは確かである。

 到着地の天候の話や緯度のことなど、彼は先生が好みそうなとりとめのない話題を選んでは
「飛行機のよいところは、雲の上はいつでも晴れ渡っていることじゃな」
 と、楽しいことばかりを数え上げておっとりと笑むのだった。

 先生は、一人でやむなく欧州方面への長時間のフライトに耐えていた十年前の頃を思い出す。
 見ず知らずの他人を傍らに、エンジン音や乗客のさざめき、気圧の変化と乾燥に翻弄され、とても快適とは言い難い空間に閉ざされて水さえ喉を通らないほどだった。
 酔い止めの薬が効いたことなど一度もなかった。
 這うようにして音楽学校の寮に辿り着くと一昼夜眠り呆けて、三日は何も手につかなかった。

 フライトの苦痛が多少なりとも和らぐように心にかけてくれる彼がこうして隣に居るだけで、年ごとに飛行機が苦手ではなくなってゆくことを感じずにはいられない。
 仕事で先生を伴う場合を除き、彼はいつでも旅行先を時差二時間以内の範囲で選ぶので、それも安心を誘うのだ。

 生野菜と新鮮な果物だけが並んだ機内食に少しだけ手をつけると酔い止めが眠気を催してきて、先生は彼の肩に頭を預けて眠りこんでしまう。
 遅れて眠ろうとする聴覚だけが、食器が下げられテーブルが畳まれる物音を把握する。

 あとで目覚めたなら、スチュワーデスに要求せずとも、彼の卓のうえには彼に供されたコーヒーカップに並んで、先生がいつ目覚めてもよいように、樹脂の蓋が嵌った水のカップがひとつ乗っているのだ。

 彼は映画も見ず音楽も聞かず、座席の液晶画面にただ飛行経路のみを映しだして、眠ってしまった先生を傍らに退屈する様子もない。

 昔は騒音でしかなかった飛行音に、たとえば松籟に似た趣きを微かに見いだして、旅ゆく目的地だけでなく、道中自体も楽しいものになり得るという境地を、天空に眠る天才はようやく知りはじめる予感がした。



(つづく)