奥様 。
いいえ、月英さま。
臥龍先生が亡くなってから1年が経ちました。
先生は、遠い遠い漢中のあたりにお墓を定められたそうなので、お参りも叶いません。
ここでこうしてお祀りしている月英さまを介して、北に向かって先生を遥拝させていただきました。
……月英さま。
璉璉に、この工房を遺してくださり、ありがとうございました。
成都に引っ越してしばらくのち、街中の小さな商家の空き家を求めて工房になさったときのことを思い出しては、ありがたさに目が潤みます。
『この工房は、私が黄家から持参した化粧料で贖います。采配は璉璉に任せます。
……そして私に万一の時は、この工房は、長年私に尽くしてくれている璉璉に譲ります』
このように、先生にも諸葛府の皆にも公言して、書き付けまで書いて私に持たせてくださっていました。
私は後になって気づいたのです。
月英さまは、ご自身よりも歳若い私が、後に残される場合を、見越していらっしゃったのですよね。
この工房を買う時、私はそんなこと全く思い及んでいませんでした。
……本当に、ありがとうございました。
幼い頃、偶然に拾われて黄家にお世話になり、月英さま付きになった私を、こうして終生守ってくださるなんて。
私は月英さまに出会えて幸せでした。
臥龍先生がご存命の間は、月英さまのご遺志を受け継いだ発明を続けていても何も言われませんでした。
でも、先生が亡くなった後は……。
ー変わり者……
ーこの先、何の役に立つ?
ー前の丞相の家の、諸葛府の使用人として、ふさわしいのか
次第に、このような風当たりを、鈍感な私も感じるようになり、居づらくなりました。
いえ、きっとお二人がご存命の時から、そんなふうに思う人たちは思ってはいたのでしょう。
ただ、お二人が私の小さな才を認めてくださり、重用してくださっていたので、あの人たちは心で思っていても、表情や言葉に出さないようにしていただけ、なのでしょう。
鈍感な私も、だんだんとこの工房にいる時間が長くなり……。
諸葛府にいただいている居室には、櫃ひとつを残して存在だけ示し、今はもうここに住んでいます。
いつかは諸葛府から忘れられて、お禄もなくなるかもしれませんが、そうなっても何とか生きていけそうです。
周りの商家の奥さんたちから、ちょっとした大工仕事や、簡単なからくりの注文が、最近は時々あるんです。
奥さんたちは、私が初老の女だから、夫の留守にも大工仕事を頼みやすいみたいなんです。
使用人たちがいても、私は女だから、奥さんたちは私を真昼間に堂々と、商家の奥に入れることができる。
使用人たちに、変に勘繰られて陥れられたりする危険もない。
裁縫や料理などの家事ひとつできない私が、商いをできる才覚なんてあるわけない、と、しょんぼりしてたのに、これは意外な盲点でした。
工房暮らしは、とても気楽です。
毎日、月英さまと暮らしているみたいな気がするのです。
璉璉が今やっているのは、自彈琴の小型化です。
……って申し上げなくとも、月英さまはお見通しですよね。
こういうのを、自分が手がける日が来るなんて、思ったこともありませんでした。
自彈琴のはじまりは、主公……いえ、先帝が諸葛府にお見えになった、あの頃でしたよね。
先生一世一代のお芝居、仮病の事件の日。
わたしは、あとでバレたら、さすがの先生も「欺君の罪」で処罰ではと、ハラハラでした。
その後は何事もなく、胸を撫で下ろした私をよそに、月英さまは、琴がひとりでに楽曲を奏でるからくりの発明を、息抜きに始めておいででした。
ある日。
いつもなかなか帰ってこないはずの臥龍先生が、主公……いえ、先帝のお傍からお帰りになった日の夜。
月英さまは、自彈琴の試作品を、隣の部屋で試みて奏でてごらんになりました。
わたしは、またびっくりしました。
ここは隆中か、と見まごう様子で、先生が長椅子で寝入っておしまいになって。
昔の隆中で見慣れた、あのピクリとも動かない、畫のようにうるわしい寝姿です。
だって、家に帰ってきたときの先生はいつも、書房でもどこでも、手持ち無沙汰な感じにしていらっしゃって。
長椅子に横たわっていらっしゃっても何か考え事をしているのか、いつも寝付けないように寝返りをうたれて。
でも、居心地が悪そうなわけではなく。
何か心にいつも気にかかることがあるのかしら……。
そういう雰囲気だったというのにですよ。
これは隆中にいた時、月英様がお輿入れしたときに私がついていて諸葛家お仕えし始めた時は、感じなかったことでした。
臥龍の號のとおり、先生は昼寝がお得意でした。
よく眠るかたでした。
先生が主公にお仕えすることを決めて、隆中の家を留守になさり、その後襄陽に呼んでくださったその後からです。
時々帰ってくる先生のご様子に対して、以前とは違う、と私が思いはじめたのは。
隆中の時のように、気づいたらうるわしく寝入っておいでの、臥龍先生のお姿をお見受けしなくなったのは。
何なのかなぁ……と、ずっと思っていました。
私のその疑問が解けないまま、何十年も時は流れ……。
そしてあの夜、月英さまが自彈琴を試みた途端、先生は隆中の頃そっくりに、スヤスヤ眠ってしまわれました。
……その時の音曲が、楽曲というものだったのか、私にはわかりません。
低めの音がゆったり緩慢な感じで、音がうつろっていくような曲でした。
あれって何の曲、それとも歌なのか、後で月英さまに、思わずお尋ねしましたよね。
そしたら月英さまは
「私が作ったのよ」
とおっしゃったので、更に驚きました。
月英さまが、音曲を作ることもできたなんて知らなかったです、と驚きを隠せずに私が興奮していると
「私が作ったというより、元を主公が作った、という感じよ」
と、月英さまはおっしゃいました。
主公には、音曲のたしなみがおありだったんですか、とまた私が驚くと、月英さまは更に私を驚かせました。
「正確にはね、音曲ではなくて、主公のあの話し方を、譜に写したらどうなのか、やってみただけなのよ。
主公がこの間……仮病事件の時、臥龍先生に話していたご様子を、隣の部屋で私が漏れ聞いた、あの感じ……をね。
言葉は再現できないけど、抑揚のようなものは、音で辿れるでしょう。
……もし、不眠がちの臥龍先生にこれが効くならよ、例えば……。
母親の話し方や歌の癖を琴に演奏させることができれば、子供たちを寝かしつけるとか、そんなことにも使えるんじゃないかと思ってね」
私はこれを聞いた時、月英さまの才と言うものは一体いかほど大きいのだろうか、底の知れなさ、それとも果てのなさを感じて、ドキドキしました。
いつの日か、洗濯が楽になるからくりを作りたい、とお話しなさっていたことも凄いと思いましたが、乳母などがいない庶民の子供たちを寝かしつけたりすることから、世の母親たちを安心して解放するからくりのことを、家で寝付けないご自身の夫君の事から思いつくなんて。
尋常ではありません。
臥龍先生が家にいらしたことなど、足し上げて1年あったのかどうか、私にはわかりません。
でも月英さまは先生に、もっと家にいて欲しいなどと一言も言ったことがありません。
家を切り盛りすることについて不満を漏らされたこともありません。
一国の丞相としては、ちょっぴり少なめの小禄らしいのに、それに対する文句も、私は聞いたことがありません。
月英さまは工夫と才覚で諸葛家を守り、さらに臥龍先生のための発明を次々と行われました。
最近、黄の旦那様がよくおっしゃってたことが腑に落ちたんです。
『月英が男であったならのう……』
旦那様は、しょうもないこのことを何度も言っては、溜め息をついていました。
私は月英さまの才覚が、男であれば栄達の道を開き、勲臣あるいは賢臣として、歴史に名を残すだろう、と言う意味だったと思っていたんです。
私のこの思い込みは、どうやら違う、と気付いたのは、去年、先生のお棺が成都に帰ってこない、と聞いた時です。
なんか、納得しちゃったんです。
月英さまもおそらく、臥龍先生と同じ墓所で眠りたいとは、必ずしもお望みでないように思えて。
それどころか
『さすがは臥龍先生だわ。
私が先生でも、とこしえに、そこを守りたいと思って、そこに葬られたいわ』
と、月英さまは仰りそうだ、と思いついて。
でもこれって、いわゆる、大丈夫が大丈夫の心を知る、みたいな、そんな心境なのかもと想像すると、黄の旦那様の口癖が、脳裏に鮮やかに甦ります。
『月英が、男であったならのぅ……』
それは月英さまが、柱國の士と同じことを考えるだけでなく、行うこともできる、と言う意味だったに違いありません。
臥龍先生の戦略のための発明の道具を裏方で作ると言う生涯を送られましたが、実は月英さまも、この国の柱でいらしたのですね。
私はそのことがわかって、なんだか嬉し涙を堪えるのに必死です。
たとえ、のちの世の人たちが月英さまの才を知ることができなくても、こうして璉璉は、はっきりと知っているのですから。
臥龍先生も、月英さまを伴侶になさって、本当にお幸せだったのだと思うのです。
そして主公……いえ先帝は、たとえ月英さまを役職につけたり、将軍に任じたりできなかったとしても、臥龍先生を通じて、国事にお使いになっていた、ということですよね。
この間の戦までずっと役立ってきた木牛流馬。
私はこの先も忘れる事はありません。
戦のたびに改良を重ねて、それはそれは見事なからくりでした。
……でも国家機密なので誰かに教えてお金儲けをするなんて事はできないし、そして、断じてしませんけれど。
……先帝って、なんか……。
いいとこ取りしてるみたいで、私にはちょっとずるいなぁって思えちゃうことがあります。
臥龍先生の心をがっちりつかんで離さないという事は、つまり、月英さまの才覚も、がっちりつかんで離さない、って意味だと思うんです。
私は計算だけは、月英さまのおかげでかなりできる方みたいだという自負はありますけど、そんなに文字も読めなくて、難しい事はわかりません。
だけど何かやっぱり……。
先帝は、ちゃっかりずるいような気がすることがあるんです。
……それって私のやきもちでしょうか。
やきもちだったなら、それはほどほどにしないと、ですね。
曇った心は、発明にとって雑音。
私は今後の余生を、洗濯のからくりの完成と、あの、自彈琴の小型化。
これをやり遂げることに使おうと思います。
……自彈琴を小型化すると、低い音を出すのが難しくなるので、臥龍先生を眠らせる用途には工夫がつかなくて……。
それもあって、木牛流馬の改良の方に熱が入っちゃってた、という感傷もあるんです。
ちょっぴり。
あ。
月英さまがお好きな曲を伺っておけばよかった……。
いつも、うっかり者ですみません。
その代わりに、臥龍先生がよく弾いていた曲「梁父吟」の譜面を見つけてくることにします。
来年の今頃、自彈琴の小型化を全うして、梁父吟を鳴らすようにして、お聞かせしますね。
(了)