メイドは見た! 空姐の話

2016/08/01

パラレル「メイドは見た!」


 アジアの片隅の小さな国の洒落た街角に門を構えるカフェ「古井戸」の窓際に、女性客が一人座っている。

 今日は夏日の予報で、道に落ちる影が濃い。朝から絶叫していた蝉さえも、一匹また一匹と声を潜め、控えめなボリュームに絞られていく。

 彼女は、地下鉄長坂駅の方向を、二分おきぐらいの見当で気にしていた。

 もう何度目だろうか、窓の外に注意を払うと同時に、卓上のスマートホンが軽やかな着信音を短く告げたので、素早くディスプレイを確かめ、クスリと笑みを含んだ。

 ちょうはんえきなう

「なっちゃん! お待たせ! 元気だった?」
 なっちゃんは何を隠そう、後漢帝国美術大学書道科の留学生で、メイド派遣会社錦官城のアルバイターなでしこちゃんである。

 見た目よりもずっと若い、有り体に言えば幼い声をしているコンちゃんの肉声を聞くと、なっちゃんは学生時代に若返ったような気がした。

「ほんと懐かしい! コンちゃん、全然かわんないネ」
「それはなっちゃんでしょ」

「ほんと久しぶりだよねー。……卒業以来だから、十年? やだ、ほんとに十年?」
「そうだよ。でもさ、まさかこっちに就航なんてね」

 ふたりは大学の同窓生だ。
 学部も部活も違ったのに、一年次の必修の科目で隣同士に座った日に、ちょっとした出来事があって以来、なんとなく気があって四年間ずっと一緒に学食でランチを食べた仲だった。

 コンちゃんは東京の商社に入社し、なっちゃんは北陸の実家に帰って高校の書道の臨時教諭に採用され、卒業式以来ほんとうに会っていない。

 でも、現代はメールも無料通話アプリもあって、卒業後のことも互いによく知っている。だから今だに親友といえた。

「とかいいながらさ、ずっと年賀状は出してたもんね、お互い」
「ね。今どき年賀状」
「だって、なっちゃんの年賀状って作品だもん、貰いたいじゃないの」
 なっちゃんは毎年、新年の十二支の篆書をアレンジして、象形文字っぽい毛筆で葉書いっぱいに書いて送るのだ。
 
「へへ、50年後ぐらいには価値でるかな」
「遅ーい! 倍速で!」
「ムリムリ。コンちゃんがチーフパーサーになるのが先でしょ、明らかに」
「どうかなー。道は遠いよ」

 コンちゃんは長いこと声がコンプレックスだったのに、今やキャビンアテンダント、空姐だ。
なっちゃんが書道留学をすると決めて渡航した翌年に
「人生一度きりだから、わたしもチャレンジした!」
 と、既に転職した過去形のメッセージを送ってきた。
 コンちゃんと話していると、いつも前向きな気持ちになって励まされるのだが、コンちゃんは
「え? なっちゃんのお蔭だよ」
 首を傾げて言うので、案外、類は友を呼ぶ なのかもしれない。

「まあ、とりあえず、再会を祝して……何にする?」
「なっちゃんのイチオシにしてよ。日本にないやつ」
「じゃ、八仙湯、かな。二人で頼むとお得だし」
 なっちゃんは日本と北京の訛りがある中国語で、馴染みのウエイターにオーダーした。


「……てなわけでさ、ようやく今回、コードシェア便の運航に漕ぎ着けたってわけでね……おいしいね、これ」
 熱熱の八仙湯を掬っていたれんげを休めて、コンちゃんは積もる話を続けている。

「ふーん、大変なんだろうねー、飛行機なんて、機内食食べたら爆睡のクチだからなー。夜中飛んでてもずっと起きてるでしょ? それとさ、いつもエコノミー利用でなんなんですけど、もうちょっと美味しくならない? 機内食って」

 普段は錦官城のお姐さんたちと一緒にラテなんかを飲んでいるので、久々の八仙湯のマッシュルーム団子がおいしくて、そして気のおけない人と日本語で話せる解放感もあってで、なっちゃんは夏バテが和らぐのを感じていた。

「いっそ野菜食とか希望しちゃえば。おなかには溜まらないけど」
「いくら?」
「タダだよ」
「ほんと?」

 会話は弾むのに、いつ食べているのか、八仙湯も着実に量が減っていく。
「うん。用意があるから事前に申し込んでほしいけど。今はどこの航空会社も用意あるんじゃないかな」
「もう何度も往復してるのに知らなかったよ」
「LCCとも勝負する厳しい時代だからね……特にうちみたいな近中距離専門はね……」

 今度の帰国からはLCCを使おうか、とも考え始めていたなっちゃんだったが、それなら今まで通り節約して、コンちゃんのところの飛行機に乗ろうと思い直した。

「それでさ、今回のコードシェア便の評判が良ければ定期就航のうえ、もしかしたら提携先が増えてすなわち増収だから、一レグたりとも負けられないんだけども、今回の往路のフライト、最初不安だったんだよね……」
「何かあったの?」
 本番に強くて機転が利くタイプのコンちゃんが珍しいことを言うので、なっちゃんは問いかけた。

「インボラでさ」
「インボラ? なに? 故障とか?」
「ええと、こちらの都合で……だいたいがオーバーブッキング対応なんだけどね、エコノミークラスのお客様の座席クラスを当日急にアップグレードする」
「へえ。そんなことあるんだ」
「うん。でね、ファーストクラスなんて設定ない近距離だったから、急いでお名前覚えるとかなかったんだけど、ベジタリアンミールでさ」
「難しいの? 何で?」

 飛行機のお客はジャンボで多分300人ぐらい、特別食は予約制で既に積んでいるなら問題なさそうに聞こえる。

「特別ミールの人は、事前に座席番号と名前と種類がリストになってるのよね、種類も実はかなり細かくて。だから当日手書きで変更とか本当はイヤなんだ」
「そうかぁ。コンちゃんが嫌がるなんて、相当めんどくさいんだね」
「いや、その手間がいやなんじゃなくて、ヒューマンエラーを誘発するリスクが怖いだけなんだよ」
 コンちゃんらしい理由だった。
 今でも一応は花形とされる職業に就いたら、コンちゃんが手間を嫌う高飛車な人間に変わったかと思ってヒヤッとした。

「せっかく中華圏も飛ぶことになったのに、あたしったらいまだにギリ合格の英語しかできないし、その乗客の名前チェックすると明らかに中国人だったんだよ……リューさんだよ。絶対に劉だよ。バリバリのビジネスマンでブロークンな英語で早口だったらどうしよう、逆に中国語オンリーだったらどうしよう、だったよ。今思えばミセスじゃないだけマシだったかも。爆買いとかする富裕層のおくさまで、横柄な客だったら……って、それこそ超プレッシャーだったろうけど」

「コンちゃん、ちょっと警戒しすぎかもよ……」
『穏やかなチャイナ』
という異名を持つこの国にすっかり馴染んでいるなっちゃんは、中華系に対するコンちゃんの語る恐怖がピンと来ない。

「いやもう、特に中華系のCAからのクチコミ小耳に挟んでるから。運が悪いとファーストクラスが無法地帯のフライトもあるらしい」
「ファーストクラスで?」
「恐るべきは、ファーストクラス『が』の『が』だよ。『で』というより『が』」
 コンちゃんは首をふりふり、八仙湯の冬瓜を掬った。

「さらによ、その劉さんの隣の人の名前が全っ然、読めないんだわ。Zhugeって、ジュゲさん? 国籍どこ? とりあえず寿限無さんとして、この人が英語ダメでもギリギリの英語で押し通すしかないわ ってな始まりでさ……」

 なっちゃんは、まさかコンちゃんの口から先生の珍しい複姓を聞くとは思わなかったが、ここはいつものカフェ古井戸だったので、うまくスルーすることができた。
 
「ミールのリスト持って、後ろから順番にチェックして、プレエコの前までいったらね、リューさんって、何か見たことある人でさ、芸能人とかじゃなくて。政治家でもなくて」

 劉さんが乗った飛行機など今日もいくつもあるに違いないが、リューさんと寿限無さんが一緒に乗っている飛行機なんて、世界中探しても毎日あるとは思えない。

「リューさん、英語は不得意みたいだったけど、ちゃんと意味わかっててね、乗り慣れてる感じでほっとしたよ。おまけにね」

 なっちゃんはリューさんが公叔であることを伏せて、にこにこ聞いている。
 寿限無さんの名前をコンちゃんが呼びかけなくても済んだというオチまで読めてしまったが、結末がわからない表情をして相槌を打っている。

「ところでさ、ウーファン、って、何?」
 食後のマンゴーパフェに取りかかりながら、コンちゃんが拙い中国語を発した。
「昼ごはんのこと、かな? 『午飯』 wu fan?」
「そうなんだ? じゃあ、旅行中のランチのお話でもしてたのかな」
「ランチ?」
「リューさんが寿限無さんに何度も言ってたの。ニイハオとシェーシェ以外に、今回、耳で覚えたての中国語だよ!」

 嬉しそうなコンちゃんを前に
(それ多分、『かまわぬ』だわ。コンちゃんが聞いたのは)
と、なっちゃんは瞬時に思った。

 公叔に何かお気遣いをいただいたり、眠っておしまいになってお詫びなさったり、滞在先での些細なご心配ごとなど、先生が口にするたびに、あの耳の巨きな紳士は
『無妨 wu fang』
と言って、おっとりと笑んでいるに違いないのだ。

 あまり使えない中国語かもしれないことを伏せて、ランチの単語を覚えたことにするほうが、コンちゃんのためか、それとも本当のことを言うべきか、ちょっと迷ったなっちゃんだった。