天府南門橋 廿六

2026/10/24

金木犀の香りはすでに去り、成都の南門の城壁の上では、劉の旗が秋風にたなびいていた。
南門の橋を渡った向こう側には、 荊州へ向かう使者たちと荷馬車が整列している。


成都の主たる彼は、南門を 背にして 自ら見送りに出ていた。
「名残惜しいが、 ここで そなたらが見えなくなるまで見送ろう。 …厳父に、 よしなにの」
彼は 慈父のように 笑み、 一団の一人一人の顔を見回した後、甥である平に眼差しを注いだ。


恭しく拱手して平は答えた。
「 主公直々のお見送り、ありがたき幸せでございます。二将軍に復命いたします」
「うむ。 道中の無事を祈っておるぞ。……くれぐれもな」 
彼は大きな手を平の拱手に重ねて力強く握った。

「ご安心ください」
平は 笑顔で応え、 彼に 一礼して 馬上の人となった。
 その姿を見て伝令が
「出発」 
と、下知の声を発する。


一団は、粛粛と遠ざかって行く。
その姿を 言葉通り見えなくなるまで見送った後、 彼は彼方に眸を細めたまま、傍らの 賢者に囁いた。


「苦労をかけるのう……そちには」
白い賢者は低頭して
「慣れてございまする」
涼しき囁き声を秋風に含ませる。


彼は横目で我が龍を見遣ると、肩のあたりで短く笑い
「儂らはまこと、厄介な三兄弟じゃのう……」
呟きをつづけてみると
「厄介も、ここまで参れば稀有でござりまする」
龍の声音に深刻さはなく、晴れやかな明るさがあった。


「ほんに、相すまぬ」
人目を憚りつつも、彼は低い位置で拱手を龍の側に寄せて振ろうとするので、龍は慌ててそのあたりを白羽扇で覆い、囁き返した。
「主公、孔明は、すべきことをしたまででございますれば」

君臣二人はそこで顔を見合わせ、笑みを交わすと、手を携えて馬車に乗り、城内の老王府へ戻っていった。
龍は、携えたままの彼の手の温もりに、心騒ぐものと、安らぎのようなものを、同時に感じてやまぬのだった。




成都の近郊にしては、青空の覗く秋の好天のなか、平の一行は午すぎに休息をとった。
「子琅」
「はい、平公子」
例の従者が、平の傍らで拱手して控えている。子琅は字である。

「手はず通り、頼んだぞ」
「お任せください」
子琅は、武芸は今一つだが、揉め事を起こさない才覚が秀でている。
加えて、召單の顔を見知っており、都合も良い。


「よし、出立だ」
平が立ち上がって子琅の肩をポンと叩くと、子琅も続いて立ち上がり
「出立ー!」
と声を張る。
伝令兵がまた、出立を大声で復唱する。


使者たちと護衛兵は、きびきびと立ち上がり、荊州へ向け再び整然と隊列を組んで進み始める。
子琅は馬に乗らず、最後尾の荷馬車を待った。
「止まれ」
平の側近である子琅の指示で、しかも馬に乗っていないので、護衛兵は馬をおりてから拱手をして畏まった。

「平公子の下知だ。ここからは私がかわる。前に合流してくれ」
平から預かった令牌を取り出して示した。
護衛兵は、子琅があきらかに子琅で、紛れもなく平の配下であるので、令牌を見るだけで手にとって確かめるまでの念は入れない。

「かしこまりました」
子琅指示通り、二頭立ての荷馬車を停めたまま、護衛兵は隊列に続いた。


隊列が見えなくなる 頃合いに、子琅は、 五十歩ほど離れた木のそばへ 移動した。
しばらくして、子琅は黒い 馬を引いて戻ってくる。
そして荷車にかけられていた幌を 一人で とき始めた。


なかなか 年代ものと見える鼎が重たげに並んで、いくつか積まれている 。
子琅は幌を完全に取り去ると
「三将軍、もうよろしゅうございますよ」
と声をかけた。
「……そうか。厄介になって済まねぇナ」 
荷車の中央に蹲っていた 黒い影が、突然に大柄な人影にかわる。


「 いやー 。ずっと同じ体勢 ってのは、なかなか厳しいもんがあるナ」
張飛将軍は、鼎に囲まれた荷車の中央で、大きく背伸びをした。


事前に張将軍と 隠密行動を打ち合わせていても 、張将軍が姿を現す時には、きっとおそらくこうなるだろうと平と子琅は見越していた。
ゆえに、隊列が遠ざかるまで荷馬車を停めて幌をかけたままにしていたのだ。


「お。俺様の馬じゃねーか。気が利くな、お前」
張将軍は上機嫌で荷車を降りて、愛馬に駆け寄った。
悍馬が主人にだけは甘える姿は、何やら、凄みがあるような、羨ましいような、子琅としては、初めて見る光景だった。

「よく連れてこられたナ。どうやった」
子琅と駒を並べて進みながら、張将軍は愛馬の首を撫でつつ問いかけた。
「奥方から、お厩の梳子(櫛)を、お借りしまして」
「おッ。やるじゃねぇかヨ」
張将軍は、肘で子琅の小脇を軽く小突いた。
親しみを示す行動だが、少し力は強めだ。

「お馬も賢く、助かりました。嘶きもせず……多分、将軍がおいでのことも分っていたのでは、と」
「そだろ。鼻も利くんだぜコイツ」
「あやかりたいです。……同道、光栄です」
「だろ」
「はいっ」


張将軍は、誰にでも気安いのが長所で、なおかつ短所である。
ただ、劉子初のような者は、鬼門である。


「……軍師の下知により、ちと遠回りして閬中へ参ります」
「心得た。……てゆーか、背いては今度こそ軍律違反だからナ。心得ざるを得ん、だナ」
ガハハ、という笑い声が鼎に共鳴し、樹上で羽を休めていた鳥たちが、一斉に秋空へ飛び立った。