甘いのは、蜂蜜に限らない。

2005/12/31

SDG三国伝BBW

   大柄な同門の秀才を引きずるようにして吊橋を渡る。
   最後に見た、朋友の後ろ姿。

   義侠心に富んだ朋友は、みずから吊橋を落として、
   攻め寄せる賊軍とともに、奈落の底へと消えた。


まるでこの身も墜落したかのように感じて目が覚める。
あの日から、数え切れないほど見たこの夢は、
夢ではない。
動かしがたい事実を、眠る間も脳が反芻するのだ。
忘れられようはずもない。

稀代の聖軍師はそっと起き上がって、
申し訳程度の夜具が被った膝のあたりを見るともなく
ぼんやりとしながら、遣る瀬無く小さな溜息をつく。

「すまない、起したんだろ? あいつらのイビキで」
背後で、深夜に似つかわしくない溌剌とした聲がしたのに
はっと弾かれたように振り向くと、
「あ・・・劉備さん」

野営中の、この深更に、双剣を負う彼は、
小さくした焚き火の番をしていたらしい背中を斜めにして、微笑んだ。

もう見慣れた、にこにことした眼差しは、
彼が眠っていなかったことを物語っている。

彼に言われてはじめて、
焚き火の向こうから、ふごごごご、というような、無邪気な高鼾が聴こえてきた。
もしかしたら、背に負う双剣の広い鞘で、
防音壁を作ってくれていたのかもしれない。

「眠らなければ、ダメです。先は長いのですから」
「ハハ、そうだよな、寝溜め食い溜めは、できないっていうもんな」

後頭部を掻きながら、照れ笑いのようなものを浮かべる。
あまたの民を引き連れての、しかも劣勢での行軍など、
前代未聞に等しい厳しい道中に、
彼は緊張を緩めることが出来ないのかもしれない。

そして。
聞かれただろうか。
(きっと私は、徐庶を呼んだ)

「私の方こそ、あなたを起したのではありませんか」
我ながら、いやらしい探りを入れてしまった。
「そういえば・・・『つり』か? 寝言を言っていたかな」
端が少し欠けた茶碗を持って、彼は聖なる軍師の傍に寄った。

「飲むと落ち着くんだぜ。おふくろが言ってた」
それは、白湯だった。
「伏竜も夢を見るんだな、なんだか安心したよ」
「え・・・」
「兄貴から話を聞いたときは、神様みたいな爺さんか、
それともゴツイ大侠かと思っていたが、若くて、釣りが巧くて、メシも食うし夢も見る」

彼は、他にも言いたいことはあったが、呑みこんだ。

たとえば、思慮深さを宿すつぶらな瞳。
芯は強いが、支えが必要な危うさを醸す線の細さ。
つねに戦塵に塗れてきたような自分とは全く違う、知性を感じる指先や物腰。
そして、天から舞い降りたような、白い翼。
まるで翡翠を転がすような、心地よい聲。

「私だって、普通の、ただの人ですよ」
「そうだよな。だから安心したんだ」
根拠もないのに、彼の笑顔を見ると、見ている方こそが安心する。
この、聖なる軍師も多分に洩れない。
彼は本当に不思議な侠だ。

「もう冷めてるから、大丈夫だぞ」
白い翼の軍師が、実は猫舌であることを
早々と知った彼は、そう言い添えてまた、笑んでみせる。

「伏竜は死んだなんて、そんな噂を流した理由、
全部聞きたいとは思わない。
でも、罰は自分で与えるものじゃないんじゃないか。
必要なら、天が与える」
「…死ねませんでしたから」
「責めてなんていないさ。死んで何ができるんだ」
「生きていても、何も出来ないかもしれません」
余計に、まだ拘りを持っている事を彼に悟られてしまった。
「…俺な、若い頃、若気の至りってやつで、恩師を死なせちまった」

どきりとした。
(やはりわたくしは、徐庶を呼んだのだろう)

彼は、聞かなかった振りをしている。
「何て俺は軽率でバカなんだって、何度も自分を責めたよ」
自己の経験になぞらえて、他人の経験を測ろうとするような、
・・・思ったより、彼は詰まらない人だったのだろうか。
聖なる軍師の痛む胸には、落胆が走りかけた。

「でも、俺がバカなことなんて、先生はお見通しだったはずさ。
先生は死んでも、俺にさせたいことがあったんだ。
できるかどうかわからないけど、俺は逃げない。
先生を犬死ににしないかどうかは、俺次第だ。諦めない」

気まずいような沈黙に、焚き火の燃料がぱちりと爆ぜる音が、
妙に大きく、まるで彼に同意するように聴こえた。

「君は俺と、やってみようとしているじゃないか。それじゃダメか?」
「…まだ、分かりません」

彼についていこうと決めたことと、この悔恨は、また別な問題だ。

「話さなくていいさ。一生話さなくても構わない。
俺はそれを秘密とか、隠してるとか、思わない。
俺はお前の全てを背負ってやるって、決めたんだから」

はい、と答えれば当たり障りがないことは分かっている。
しかし、真っ直ぐなこの侠に、その場しのぎの言葉など
却って礼を欠くように思えて、聖なる軍師は
黙りこくったまま、返事のかわりに白湯を啜った。

「甜い…」
武人はたしなみとして、食用や換金などの必要と非常に備えて、鹽を携帯しているものである。
彼はきっと、そのうちの一抓みを、この湯飲みに入れたのだろう。

「おふくろの知恵だよ」
豪放と何の違和感もなく同居するこの繊細さは、
いつの日か、きっと三璃紗を救うのだろう。
この一碗の白湯で、ゆらぎかけた思いは、また確信に変わる。

「おふくろは、茶が好物だったんだけどな。
いつも白湯か麦湯だった。貧乏だったからな。
年老いた親に、好物ぐらい食わせてやれるような、
子供達がメシの心配をしないで遊び呆けていられるような、
誰もが当たり前にそんな暮らしをする日が来れば、俺はそれでいいんだ」
彼は、郷愁のような表情を刷いた。

もう、母者人は物故したのかもしれない。
「運命に屈しないための運命、なんて、矛盾してると思うかな」
彼は、なぜこうも迷いのない、剣よりも強い意志を宿した、
眩しい眸をするのだろう。

「君が俺を選んでくれたのは、運命だと思うんだ」
真っ直ぐに見つめる、この眸を信じてよいのだ。
この、選ばれし龍帝剣の主を。

そして、彼とともに歩んでゆけば、聖なる軍師は、
胸に蟠る悔恨への答えを得る日が来るのかもしれない。
「そうだ、俺の腕枕、試してみないか?
いい夢見るって話なんだぜ。でも、自分じゃできないから、本当かどうか怪しいけどな」

彼は、選ばれた者だけに与えられる剣を繰る長い腕を、差し伸べて、大きな掌でひとつ叩いて見せた。

何て突拍子もない事を言う人だろう。
だのに、彼の口から聴くと、おかしくもなんともない。
「…お借りします…」
「うん」

聖なる軍師は、あれから初めて、あの夢を見たあと、
朝まで眠ることができたのだった。

ただし翌朝
「アニキたちさあ、ちょっと、打ち解けすぎなんじゃね?」
と、雷電を呼ぶ豪傑に冷やかされてしまったのは計算外で、
やはり冷静に考えれば、突拍子もないことだったのかも知れなかった。



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