平和な翔の、ある晩秋の早朝のこと。
龍帝剣を負う侠は、一本の釣竿を肩に、空の大きな魚籠を提げて、
蒼い襟巻きをして、くねくねとした川辺に沿って歩き、
聖なる軍師を探していた。
季節によって釣れる場所は概ね決まっているので、
宛てもなく探しているわけではなく、
ほぼ思い描いたとおりの場所で、
思い描いたとおりの、品のよい後ろ姿を認めた。
「大漁だな」
彼は、魚も軍師も驚かせないように、
少しだけ草を踏む乾いた音を
わざと立ててから、聲をかける。
「取り過ぎないように、気をつけませんと」
聡明を絵に描いたような表情をして、
そういいながら、聖なる軍師はまた一尾を釣り上げた。
「孔明は、普通と反対のことを言うよな」
彼は、双眸を細めて、快活な笑い聲を発した。
「どれ、俺も手伝おうか」
「一国の王が、このようなことを」
「皆を食わせるのも王の仕事だろ? 干物もいいし、甘露煮もいい。冬になる前までに沢山とって、 民のためにも蓄えておこうぜ」
そう遣り取りする間に、聖なる軍師はまた二匹も釣り上げる。
先ほど、会話していたときに、心地よい聲とともに漂った息がとても白かったのをふと思い出して、彼は襟巻きを外すと、背後からそれを、釣る人に掛けてやる。
「大丈夫です」
「ここまで歩いてきて、俺は暑いぐらいだ。お前が巻いとけ」
「わたしは、衣紋掛けではありませんよ」
「お前に風邪でも引かれると困る」
彼は親しく並んでその隣に座ると、釣竿を垂れた。
空が白々としてくるころ、魚籠も一杯になり、生まれたての日輪の光が、二人に降り注いでくる。
「お前のおかげで随分釣れた。朝飯にしようか。姫と月英が、握り飯を持たせてくれたんだ」
尚香の握り飯は鹹(しお/から)い。
夏場と同じ調子で塩を利かせてしまうのか、強い味を好むのかは、分からない。
しかし、彼は、それを塩辛いと文句を言ったことがなく、少し不恰好なのに愛嬌があるような、尚香の握り飯を選んで、進んで食べる。
「きっと、孫堅将軍の、流せなかった涙の味なんだ。食うと、いつも将軍を思い出す」
彼は、尚香がその場に居ても居なくても、いつでもそう言うのだ。
「あなたという人は、お優しい」
「そうかな」
「そうですとも」
「自分では、よく分からない」
「そんなところが、おひい様も、お好きなのでしょう」
「うーん、それは、どうかな」
「と、おっしゃると?」
「俺も姫はかわいいと思うよ、でもな、妹みたいなモンかな」
「しかし」
「あー、その先は、言いっこなしだ。俺が姫と出会ったのは、孫堅将軍が亡くなった時だ。そういう状況で出会った分、俺に夢を見ている。かなりな。
そのことに自分で気が付くまで、翔に居たいだけ居ていい。
・・・ほんとうは、あのオテンバ姫には、たとえば・・・陸遜提督みたいな、慎重な侠が似合いだとは思わないか」
彼はまるで、兄というよりも父親のように温雅なまなざし;で、
轟から来た姫のことを語る。
「孔明こそ、月英が居るじゃないか」
「わたしたちは、幼馴染のようなものです」
「気をもたせては、よくないぞ」
「そのようなつもりは。彼女だとて」
「では、誰か他に、好きな奴でも居るのか?」
彼の直球勝負の言葉に、この聖なる軍師は、とても弱いのだ。
それを知っていて、こう言う彼も彼だ。
「居るなら、俺が月英に求婚してもよいかな」
「それは困ります!」
即答してしまってから、聖軍師はハッとして俯く。
「俺に月英は勿体無いか」
「・・・そうではありませんが、でも、困ります」
「何が困るんだ?」
「あなたをお佐けして内政を行うには、月英さんの助けが必要です。
御后になってしまっては、もう助けてもらうわけには参りません」
これが詭弁であることは、聖なる軍師本人が、一番良く分かっている。
「参ったな、俺のためと、自惚れるじゃないか」
彼は、冗談めかして明るい笑い聲を立てる。
「・・・結構です。自惚れてくださっても」
「え? もう一度はっきり言えよ」
「存じません。あなたという人は、意地悪な王様です」
「心外だなー。俺は、大事な孔明を苛めたつもりはないけどなー」
聖なる軍師のつぶらな瞳が、いつもよりも見開かれたので、
「大きな目が、落ちるぞ」
と揶揄して、彼はまた一段と朗らかに、愉快そうに笑って、鹹(しおから)い握り飯を食らった。
「ずるいです」
「ズルじゃないよ」
「では、私を試しましたね」
「思いついただけだよ。伏竜には、どんな冗談も通じるのかどうか」
「・・・ご冗談が過ぎます」
「冗談は、月英のことだけだよ。あとは全部本当」
「ご冗談を」
「なんだよ、信じてくれないのか?」
脇に置かれた、扇のふりをした爆凰機が、呆れ返って、ぴい、と啼いて吃驚させてやろうかと思ったらしいことを、彼らは知らない。
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龍帝剣を負う侠は、一本の釣竿を肩に、空の大きな魚籠を提げて、
蒼い襟巻きをして、くねくねとした川辺に沿って歩き、
聖なる軍師を探していた。
季節によって釣れる場所は概ね決まっているので、
宛てもなく探しているわけではなく、
ほぼ思い描いたとおりの場所で、
思い描いたとおりの、品のよい後ろ姿を認めた。
「大漁だな」
彼は、魚も軍師も驚かせないように、
少しだけ草を踏む乾いた音を
わざと立ててから、聲をかける。
「取り過ぎないように、気をつけませんと」
聡明を絵に描いたような表情をして、
そういいながら、聖なる軍師はまた一尾を釣り上げた。
「孔明は、普通と反対のことを言うよな」
彼は、双眸を細めて、快活な笑い聲を発した。
「どれ、俺も手伝おうか」
「一国の王が、このようなことを」
「皆を食わせるのも王の仕事だろ? 干物もいいし、甘露煮もいい。冬になる前までに沢山とって、 民のためにも蓄えておこうぜ」
そう遣り取りする間に、聖なる軍師はまた二匹も釣り上げる。
先ほど、会話していたときに、心地よい聲とともに漂った息がとても白かったのをふと思い出して、彼は襟巻きを外すと、背後からそれを、釣る人に掛けてやる。
「大丈夫です」
「ここまで歩いてきて、俺は暑いぐらいだ。お前が巻いとけ」
「わたしは、衣紋掛けではありませんよ」
「お前に風邪でも引かれると困る」
彼は親しく並んでその隣に座ると、釣竿を垂れた。
空が白々としてくるころ、魚籠も一杯になり、生まれたての日輪の光が、二人に降り注いでくる。
「お前のおかげで随分釣れた。朝飯にしようか。姫と月英が、握り飯を持たせてくれたんだ」
尚香の握り飯は鹹(しお/から)い。
夏場と同じ調子で塩を利かせてしまうのか、強い味を好むのかは、分からない。
しかし、彼は、それを塩辛いと文句を言ったことがなく、少し不恰好なのに愛嬌があるような、尚香の握り飯を選んで、進んで食べる。
「きっと、孫堅将軍の、流せなかった涙の味なんだ。食うと、いつも将軍を思い出す」
彼は、尚香がその場に居ても居なくても、いつでもそう言うのだ。
「あなたという人は、お優しい」
「そうかな」
「そうですとも」
「自分では、よく分からない」
「そんなところが、おひい様も、お好きなのでしょう」
「うーん、それは、どうかな」
「と、おっしゃると?」
「俺も姫はかわいいと思うよ、でもな、妹みたいなモンかな」
「しかし」
「あー、その先は、言いっこなしだ。俺が姫と出会ったのは、孫堅将軍が亡くなった時だ。そういう状況で出会った分、俺に夢を見ている。かなりな。
そのことに自分で気が付くまで、翔に居たいだけ居ていい。
・・・ほんとうは、あのオテンバ姫には、たとえば・・・陸遜提督みたいな、慎重な侠が似合いだとは思わないか」
彼はまるで、兄というよりも父親のように温雅なまなざし;で、
轟から来た姫のことを語る。
「孔明こそ、月英が居るじゃないか」
「わたしたちは、幼馴染のようなものです」
「気をもたせては、よくないぞ」
「そのようなつもりは。彼女だとて」
「では、誰か他に、好きな奴でも居るのか?」
彼の直球勝負の言葉に、この聖なる軍師は、とても弱いのだ。
それを知っていて、こう言う彼も彼だ。
「居るなら、俺が月英に求婚してもよいかな」
「それは困ります!」
即答してしまってから、聖軍師はハッとして俯く。
「俺に月英は勿体無いか」
「・・・そうではありませんが、でも、困ります」
「何が困るんだ?」
「あなたをお佐けして内政を行うには、月英さんの助けが必要です。
御后になってしまっては、もう助けてもらうわけには参りません」
これが詭弁であることは、聖なる軍師本人が、一番良く分かっている。
「参ったな、俺のためと、自惚れるじゃないか」
彼は、冗談めかして明るい笑い聲を立てる。
「・・・結構です。自惚れてくださっても」
「え? もう一度はっきり言えよ」
「存じません。あなたという人は、意地悪な王様です」
「心外だなー。俺は、大事な孔明を苛めたつもりはないけどなー」
聖なる軍師のつぶらな瞳が、いつもよりも見開かれたので、
「大きな目が、落ちるぞ」
と揶揄して、彼はまた一段と朗らかに、愉快そうに笑って、鹹(しおから)い握り飯を食らった。
「ずるいです」
「ズルじゃないよ」
「では、私を試しましたね」
「思いついただけだよ。伏竜には、どんな冗談も通じるのかどうか」
「・・・ご冗談が過ぎます」
「冗談は、月英のことだけだよ。あとは全部本当」
「ご冗談を」
「なんだよ、信じてくれないのか?」
脇に置かれた、扇のふりをした爆凰機が、呆れ返って、ぴい、と啼いて吃驚させてやろうかと思ったらしいことを、彼らは知らない。
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