伝統的三題 月齢ゼロ

2005/12/31

SDG三国伝BBW

翔の国の、朔日の夜。

聖なる軍師は、天候のよい日は星を観るために楼台にあがる。
新月の夜は、普段よりも星が多く見えるので、
あれこれと考えながら将来を占っていると、
一刻ぐらいはすぐに過ぎてしまう。

昼間は政務の補佐役をしているような形の月英は、
夜は姫御前のお傍にあがるので、
そして皆も、星占いの邪魔を憚るため、
いつも軍師は、ひとりぼっちで夜空を仰いでいる。

一条の流れ星を見て、
其の蒼みがかった色を珍しく思っていると、
「孔明」
聴き違えるはずもない聲を、すぐ背後に覚えて、
聖なる軍師は振り返ろうとしたが、
長い腕に抱きかかえられて、それは叶わなかった。

「ちゃんと食ってるのか、こんなに痩せて」
「劉備さん・・・劉備さんですね」
「そうだよ」
「やはり、お帰りになった」
「うー・・・ん、ごめんな。これから蓬莱へ行かねばならないから、
少し寄り道してきただけなんだ」
「蓬莱?」
伝説の東の涯の国の名を、聖軍師は訊きかえす。
「三璃紗がまた闇に覆われる其の時、俺は必ず帰るから」
「私も」
「今はだめだ。お前の顔まで見たら、里心がつくじゃないか」
「蓬莱は遠いところです。本当にまたお会いできるのですか」
聖なる軍師の涙聲が聞こえ、
彼はもう、後ろ髪がひかれてならないが、
それを押し隠して、
「・・・あの時、言っただろ。必ず救ってみせるって」
「赤壁で、お救い下さいました。・・・私たちは、ただ、見ていることしか・・・」
「お前の旧友とも、雌雄を決する時が来る。昔、何があったかは知らない。
今のお前が信じるやりかたで、迷わず進め」

(赤壁で、決着をつけられなかった)
心の中で、聖なる軍師は、少しく悔やむ。
大戦のさなかに、機駕の内部で反乱が起きたも同然の
あの時、戦場は統率を失い、混乱を深めるばかりで、
轟の提督も深手を負って、
一対一の勝負を挑んでいられる戦況ではなかったにしても、
旧友との因縁にだけは、答えを出しておくべきであったかもしれない。

あれから、杳として行方が知れない以上、
また翔の平和を脅かす危険として計算に入れておかざるを
得ないのだから。

「あの時だけじゃない。この先もだ。
お前も気付いている『天の刃』を手に入れて、必ず戻る」
「なぜ、天の刃ことを?」
「まだ三侯は、他の誰でもない、俺たちだからさ。機武帝は、もう向かっている」

予測はしていた名を、意外に早くに明かされて、
「あの方も? それならあなたも、私と天の刃を」
「俺が探す天の刃は、俺しか乗せない。そして、赤い目の奴らをさしあたり止めるのは、あの侠でなければできない。暫くは、あの侠に力を貸せ」
「あなたと一緒に、探したいのです」
あの侠が、いくら太陽であっても、聖なる軍師が渇望するのは、全てを包容する海の恩寵のような、彼なのだ。

「残念だが、二人で探す時間は無い。
・・・それに、お前なら、一人でも探しあてる。大丈夫だ」
「もう長らく、お顔を見ておりません」
婉曲に言ったつもりのようだが、これではせめて顔が見たいとせがんでいるのと同じである。

彼は、困ったように笑い聲を立ててから、
「忘れたりしないだろ、俺の顔。俺だって、忘れない」
力づけるように、両腕のなかの、ほっそりとした軍師を強く擁した。

「この先、何があっても諦めるなよ。もうこれまでだと思ったら、賭けに出る前に、俺ならどんな無茶をするか考えろ。どこにいても、俺にはお前の聲が聞こえる。その時、力が及ぶだけのことはする」
「はい」

聡明な軍師らしくもない、鼻声が聞こえる。
「せめて、皆の顔もご覧になってゆかれませぬか」
名残惜しそうに、一刻でも引き止めたいような
頼りない聲音がつづく。
「お前な、『謀は密なるを尊ぶ』って、お前がよく言ってたことだぞ。ここは、侠はガマンだ」

彼の傍で、彼の為に謀っていた頃の口癖のひとつを
不意に聴かされて、聖なる軍師の胸には、懐かしさが募って止まない。
「あとな、あんまり泣くな。大きな目が涙で流れてしまう。
俺はそそっかしいから、今度会うときに、忘れずに拾って
届けてやれるか、わからない。それと、メシをもっと食えよ、
それからな・・・」

懐で、軍師の肩が震えるので、彼は続きを止めにして、
「泣くなよ」
「泣いてません」
「そういうところ、変わらないな」
彼はそっと、手探りをして、白い頬を探して、
やはり濡れていた眸元を、指先で注意深く拭ってやった。

「劉備さん、私は」
「分かってる。・・・知ってたさ」
なぜ、今しかないという時に限って、
人は、本当に伝えたい事を、
そのまま素直に、ひといきに言ってしまえないのだろう。

「続きは、今度会ったときに、聞かせてくれ」

それは旧友のことなのか、それとも別なことなのか、
思い至る暇も与えられず、聖軍師は慕わしい温もりを解かれた刹那、
大きな翼が空を蹴るように舞い上がる羽音を聴き、
嵐の前の静けさを孕む、仮初の平和にねむる翔の国の昏い闇夜に、
置き去りにされたように佇んでいた。



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