「兄者、折り入って、お願いの儀がございます」
「何じゃ、あらたまって」
「仔細は、これに・・・」
次弟の無骨な指が、一通の国際郵便の封書を差し出す。
毛筆で、封筒は和紙だ。
しかも、速達。
「お前宛ではないか。読んでもよいのか」
「はい。その方がお話が早うございます」
「ふむ」
封筒を裏返してみると、「普浄」の署名を認めた。
「和尚からか」
あらためて表にかえすと、掠れた消印の中に ”JAPAN”の文字を認める。
「そうであったな、いまは日本に、お住まいであったな」
つぶやいて、彼は、用件を曖昧に思い浮かべ、彼の力の範囲内で叶うことであればよいがと念じた。
くだんの和尚は、もちろん中国人で、次弟が過去に危ないところを助けられ、
それが直接ではなかったが、遠因となって日本へ亡命したのであった。
その恩を、次弟は、ずっと覚えている。
だから、彼は、態と「亡命」という言葉を使わなかった。
わざわざ速達で書簡を寄越すとは、単なる時候の挨拶だとは考えられない。
和尚か、次弟にとって、重要な用件に他なるまい。
彼は、心して、書簡を開いた。
毛筆の、縦書きの中国語は久しぶりである。
大きな楷書で、読みやすい。
最近は、通信技術の著しい向上と普及で、
手書きの文字を目にすることが少なくなった。
次弟から聞くだけの、和尚のイメージを、文字に重ねる。
「ふむ、宗論、とな」
「和尚は、争いは好まないのですが・・・」
「匿われている手前、断りきれずというところか」
「ご苦衷、いかばかりかと」
手紙の骨子は、些細なことから宗論催すべしの、特に若い僧どもの血気が抑えきれず、何とか引き分けになるような、巧い収めかたを望むことと、もし賢兄のお力添えを賜れるならば、あの名高い水鏡先生の出座による助力を口添えいただけないかという嘆願であった。
「これは、日本語でやるのであろう」
「筆談も可能なようではあります」
「宗論とは、つまり、宗教上の議論であろう。ご膝下の坊主どもで、何とかならんのか」
「和尚は、座禅一筋で、弟子はとりませぬ。しかも、弁も立ちませぬゆえ」
「ふむ、剛毅朴訥、仁ニ近シ か。お前と一緒じゃな」
「お助けいただけましょうか」
「しばし、待て。・・・まず、ご相談してみよう」
彼は、ビジネスの座右のひとつは「善は急げ」だと思っている。
早く動けば、たとえ方向が間違っていても、対処する暇は許される。
分厚い指で、親しく水鏡先生の電話番号を押す。
「おや、そのお声は公叔、もうご帰国でしたかな」
「夜分に申し訳御座いませぬ、急なご相談事がありまして」
彼は、包み隠さず、和尚の相談事をそのまま伝え、次弟の受けた恩は、己が受けた恩も同じ、なにとぞご賢察の上、よいお知恵を、と、まず出座ではなく、教えを請うた。
「ほ、ほ、この歳になると、ああいう面倒な長丁場はこたえる。 しかも最近、耳が遠くなってきておる。さて、どうするかな」
「では、ご高弟に、仏僧はおられませんか」
「僧ではないが、居るよ。できる奴らが」
「どなたでありましょう」
彼は、電話口で身を乗り出す。
「まあ、そうじゃな、伏龍か、鳳雛か、さもなくば、徐という風来坊。伏龍以外の
二人は、今頃どこをほっつき歩いているものやらな」
受話器から、水鏡先生らしくないような、親心に似た溜息がもれる。
「では先生、その伏龍どのは、いずこに」
彼が急きこんで問うと、
「呵呵、殿下の、お膝元におりましょうが」
「え・・・まさか」
「あれは、稀代の天才だと、何度も申し上げておるつもりですぞ」
彼のすぐ傍にいる水鏡門下といえば、先生の他には居ない。
まさかあの、千年に一人と囁かれて、誰も正体を知らない、眠れる龍が、先生のことだったとは。
しかし彼は、忽ち我に返り、
「お待ちください、あの髪を剃らせるのは忍びない」
「ご心配あるな。有難げな法衣と帽でも、纏わせればよかろう。 それとも、ワシなら剃っても構わんのかな。 ・・・まあ確かに、もはや剃るまでもないがな」
からからと、笑われた。
「その寺、どこですかな。ほう、東北。 今の北日本は、桜がそれは見事ですぞ。 物見遊山のついでに、行ってきなさればよい」
どうやら、水鏡先生は、老体を日本の奥地へ動かす気などないようで、しかも、「ついで」は既に宗論の方だと位置づけており、最高の助言を与えたという満足であろうか、ご機嫌なときの口癖で、「よき哉、よき哉」と、電話を切った。
「・・・兄者、ご首尾は」
「む、その、な、孔明が適任とおおせだ」
「いやそれは。あの御髪を剃らせるなど、申し訳が立ちませぬ」
「許せ、儂も思わずそう言うた。だが、僧も帽子を被るようだ。何とかなってしまうかもしれんぞ」
彼は、屋上で星を見ていた先生に、包み隠さず仔細を明かした。
(このおかたのご人脈の広さは、測り知れない)
と、先生は、話の内容よりも、彼を取り巻く人の環に、驚きを新たにしていた。
「勿論、そなたが望まぬなら、強いてとは言わん。 ただ、儂らの恩人のために、ほかに心当たりの人物はないか」
「いいえ、わたくしで、お役に立つならば、参ります」
予想に反して、先生は毅然と言い切った。
「よいか、得体の知れぬ坊主どもに囲まれて、 ややこしい話をして、引き分けにせよというのだぞ。 難題じゃ。ひとつも得はない。よう考えよ」
「些かでも、ご恩に報いとうございます」
「成算も、あるというのか」
「ご懸念はご尤もながら、ディベートの落とし所など、思うがままでございます」
「何と・・・」
彼は、胸が高鳴っているのを感じた。
いつも物静かで大人しい先生が、天才らしい傲慢と裏腹とすら思えるような、
神神しいほどの底知れぬ自信に溢れた表情をしている。
しかも、ただの天才ではない。先生はあの、眠れる龍なのだ。
(何としよう。惚れ直す)
見とれかけながら、
「弟よ、このこと、和尚に、急ぎ伝えて安心させてやれ。 それからスケジュールの調整と、旅行の手配、法衣も必要じゃ。 子龍を呼べ」
彼は、我に返って訪日の支度を命じた。
<Something4 全5話> 全話一気読みへのショートカットは → こちら
「何じゃ、あらたまって」
「仔細は、これに・・・」
次弟の無骨な指が、一通の国際郵便の封書を差し出す。
毛筆で、封筒は和紙だ。
しかも、速達。
「お前宛ではないか。読んでもよいのか」
「はい。その方がお話が早うございます」
「ふむ」
封筒を裏返してみると、「普浄」の署名を認めた。
「和尚からか」
あらためて表にかえすと、掠れた消印の中に ”JAPAN”の文字を認める。
「そうであったな、いまは日本に、お住まいであったな」
つぶやいて、彼は、用件を曖昧に思い浮かべ、彼の力の範囲内で叶うことであればよいがと念じた。
くだんの和尚は、もちろん中国人で、次弟が過去に危ないところを助けられ、
それが直接ではなかったが、遠因となって日本へ亡命したのであった。
その恩を、次弟は、ずっと覚えている。
だから、彼は、態と「亡命」という言葉を使わなかった。
わざわざ速達で書簡を寄越すとは、単なる時候の挨拶だとは考えられない。
和尚か、次弟にとって、重要な用件に他なるまい。
彼は、心して、書簡を開いた。
毛筆の、縦書きの中国語は久しぶりである。
大きな楷書で、読みやすい。
最近は、通信技術の著しい向上と普及で、
手書きの文字を目にすることが少なくなった。
次弟から聞くだけの、和尚のイメージを、文字に重ねる。
「ふむ、宗論、とな」
「和尚は、争いは好まないのですが・・・」
「匿われている手前、断りきれずというところか」
「ご苦衷、いかばかりかと」
手紙の骨子は、些細なことから宗論催すべしの、特に若い僧どもの血気が抑えきれず、何とか引き分けになるような、巧い収めかたを望むことと、もし賢兄のお力添えを賜れるならば、あの名高い水鏡先生の出座による助力を口添えいただけないかという嘆願であった。
「これは、日本語でやるのであろう」
「筆談も可能なようではあります」
「宗論とは、つまり、宗教上の議論であろう。ご膝下の坊主どもで、何とかならんのか」
「和尚は、座禅一筋で、弟子はとりませぬ。しかも、弁も立ちませぬゆえ」
「ふむ、剛毅朴訥、仁ニ近シ か。お前と一緒じゃな」
「お助けいただけましょうか」
「しばし、待て。・・・まず、ご相談してみよう」
彼は、ビジネスの座右のひとつは「善は急げ」だと思っている。
早く動けば、たとえ方向が間違っていても、対処する暇は許される。
分厚い指で、親しく水鏡先生の電話番号を押す。
「おや、そのお声は公叔、もうご帰国でしたかな」
「夜分に申し訳御座いませぬ、急なご相談事がありまして」
彼は、包み隠さず、和尚の相談事をそのまま伝え、次弟の受けた恩は、己が受けた恩も同じ、なにとぞご賢察の上、よいお知恵を、と、まず出座ではなく、教えを請うた。
「ほ、ほ、この歳になると、ああいう面倒な長丁場はこたえる。 しかも最近、耳が遠くなってきておる。さて、どうするかな」
「では、ご高弟に、仏僧はおられませんか」
「僧ではないが、居るよ。できる奴らが」
「どなたでありましょう」
彼は、電話口で身を乗り出す。
「まあ、そうじゃな、伏龍か、鳳雛か、さもなくば、徐という風来坊。伏龍以外の
二人は、今頃どこをほっつき歩いているものやらな」
受話器から、水鏡先生らしくないような、親心に似た溜息がもれる。
「では先生、その伏龍どのは、いずこに」
彼が急きこんで問うと、
「呵呵、殿下の、お膝元におりましょうが」
「え・・・まさか」
「あれは、稀代の天才だと、何度も申し上げておるつもりですぞ」
彼のすぐ傍にいる水鏡門下といえば、先生の他には居ない。
まさかあの、千年に一人と囁かれて、誰も正体を知らない、眠れる龍が、先生のことだったとは。
しかし彼は、忽ち我に返り、
「お待ちください、あの髪を剃らせるのは忍びない」
「ご心配あるな。有難げな法衣と帽でも、纏わせればよかろう。 それとも、ワシなら剃っても構わんのかな。 ・・・まあ確かに、もはや剃るまでもないがな」
からからと、笑われた。
「その寺、どこですかな。ほう、東北。 今の北日本は、桜がそれは見事ですぞ。 物見遊山のついでに、行ってきなさればよい」
どうやら、水鏡先生は、老体を日本の奥地へ動かす気などないようで、しかも、「ついで」は既に宗論の方だと位置づけており、最高の助言を与えたという満足であろうか、ご機嫌なときの口癖で、「よき哉、よき哉」と、電話を切った。
「・・・兄者、ご首尾は」
「む、その、な、孔明が適任とおおせだ」
「いやそれは。あの御髪を剃らせるなど、申し訳が立ちませぬ」
「許せ、儂も思わずそう言うた。だが、僧も帽子を被るようだ。何とかなってしまうかもしれんぞ」
彼は、屋上で星を見ていた先生に、包み隠さず仔細を明かした。
(このおかたのご人脈の広さは、測り知れない)
と、先生は、話の内容よりも、彼を取り巻く人の環に、驚きを新たにしていた。
「勿論、そなたが望まぬなら、強いてとは言わん。 ただ、儂らの恩人のために、ほかに心当たりの人物はないか」
「いいえ、わたくしで、お役に立つならば、参ります」
予想に反して、先生は毅然と言い切った。
「よいか、得体の知れぬ坊主どもに囲まれて、 ややこしい話をして、引き分けにせよというのだぞ。 難題じゃ。ひとつも得はない。よう考えよ」
「些かでも、ご恩に報いとうございます」
「成算も、あるというのか」
「ご懸念はご尤もながら、ディベートの落とし所など、思うがままでございます」
「何と・・・」
彼は、胸が高鳴っているのを感じた。
いつも物静かで大人しい先生が、天才らしい傲慢と裏腹とすら思えるような、
神神しいほどの底知れぬ自信に溢れた表情をしている。
しかも、ただの天才ではない。先生はあの、眠れる龍なのだ。
(何としよう。惚れ直す)
見とれかけながら、
「弟よ、このこと、和尚に、急ぎ伝えて安心させてやれ。 それからスケジュールの調整と、旅行の手配、法衣も必要じゃ。 子龍を呼べ」
彼は、我に返って訪日の支度を命じた。
<Something4 全5話> 全話一気読みへのショートカットは → こちら