メイド派遣会社『錦官城』の朝は早い。8時30分始業である。
その始業まもなく、1階の奥の、伝統服飾部の扉を、
一人の若い娘がノックした。
「お早うございます。洋裁部の者です・・・あ、おさげちゃん、助かったぁ」
「おはよ。どうしたの?」
おさげの娘は、上司の手助けをしながら、組紐用の絹糸を捌いていた。
「閣下からさぁ、刺繍のオーダー。おさげちゃんじゃないと出来ないよ」
「え?図柄はなあに?」
「麒麟だって。ジラフのほうじゃなくて、だよ。ウチらじゃ、無理だよホント」
「あらぁ・・・また、ポケットチーフのワンポイントかしら」
「いっそジラフでも、閣下ならいけちゃうのに」
「1点モノとかカスタマイズ、大好きだものねぇ、閣下は」
伝統服飾部の部長は、暗に、その刺繍の仕事を、
おさげの娘が手伝うことに、吝かでない態度を見せる。
通常、部を超えて助力を仰ぎたい仕事は、
いわゆる「上」を通すのがビジネスの常識だが、
伝統服飾部と洋裁部は、同じ針を持つ仲間意識が強く、
技術を融通しあう小さな助け合いが、なかば日常になっている。
「そうそう、そして、見えないところにも拘る御洒落」
「で、あたしたちは、閣下の次のお出かけの三つ揃え。
相変わらず派手好みでいらっしゃる。裏地もこだわるこだわる。
で、ステッチは緋色」
「それを着こなすところが、閣下のすごいところ」
「むしろ、閣下しか着こなせない」
「あっ、同感」
「さ、急いでるんでしょ、そのポケットチーフ、持っていらっしゃい。
ネクタイにあわせてあるんでしょ?」
「はいっ、いつも済みません。有難うございます」
「おさげに至急がないなら、いいわよ。この子の刺繍は、ウチで一番だもん。
他の部にまで一目置かれて、鼻が高いわ」
「部長、そんな、褒めすぎです」
「おさげちゃーん、謙遜しすぎー」
「そうだよ、本当のことだもん。イヤミに聞こえちゃうよ」
「みんなだって、得意分野、物凄いくせに・・・」
「じゃ、持って来るね、おさげちゃん」
洋裁部の彼女が扉を静かに閉めて、
足取りも軽やかに去っていくと、ひとしきり”閣下”の話に
花が咲いた。
「閣下のオーダーって、ほーんと、価格無視って感じで、
最高級の素材をそろえられて、お針子冥利に尽きるわぁ。
いい仕事してみせる!って、職人魂に火がつくっていうか」
「それはある。
・・・思い出すなあ。閣下のお召し物を初めて
お手伝いしたとき、案外小柄でいらして、驚いちゃった」
「それを言うなら、公叔のお召し物もだよ。錦官城ともあろうところが、
腕、採寸絶対間違ってる、って、初め思ったもん」
「うわー懐かしい!みんなそう思うよね」
「曹家みたいに、高くていいのは当たり前だよ。
お財布と相談して、先代のお召し物を直して着たりとか、
堅実な劉家のオーダーも、わたしは好きだな」
いつも穏やかな公叔の姿を思い浮かべて、
おさげの娘は、”閣下”が好む意匠の図柄を、
思い浮かべて、刺繍糸を選び出しながら言う。
「そーだ、おさげちゃん昨日、ハウスメイド部のみんなとお茶したんでしょ、
先生はどうだったのかな」
「うん、無事に予定通り、帰国なさるみたいだったよ」
「あの仕事も、なかなか出来ない仕事で、面白かったな」
「あれって、もうお召しにならないのかなぁ」
「でもぉ、黒なんてぇ。先生は天使様みたいな感じが似合うのに」
「外套みたいなのに、仕立て直したらいいよね」
「秋ごろ、オーダー来ないかな」
「そうだよねえ、さすがに、あの華奢な先生でも、お残り布でもう一着、は無理だしね」
「劉家が裕福だったら、もっとオーダー来るんだろうなあ」
「そうですよねー」
「先生、作り甲斐があるっていうか、何でも似合っちゃうけど、
あんなのも着せたい、こんなのも着せたいって、私たちが思うんだもの、
殿下はもっと思ってるんじゃないかしら」
「え・・・。部長、どうしてそんな」
おさげの娘の、刺繍糸を整える手が止まった。
「だって、ついに見ちゃったんだもの。この前、殿下が先生にキスしてるとこ」
「あたしも」
「わたしも」
「私もです」
��わたしだけじゃ・・・なかったのね)
おさげの娘は、例のお茶会で、自分だけが目撃者であるかのように
錯覚していたが、伝統服飾部の面々は、皆、気付いていたようだ。
「だって、あの時のあのムード。
背後で何が起こってるか、気にならないほうがおかしいよ」
「姿見はいつも搬入ですもんね、合わせ鏡になるなんて、お気づきになってないって訳だわよ」
「あれ?おさげちゃんは、見なかったの?」
「いえ、あの、わたしは・・・」
見ようとして見たのではなく、偶然見てしまったのは
自分だけだったのかと、おさげの娘は、軽い衝撃を受けていた。
その始業まもなく、1階の奥の、伝統服飾部の扉を、
一人の若い娘がノックした。
「お早うございます。洋裁部の者です・・・あ、おさげちゃん、助かったぁ」
「おはよ。どうしたの?」
おさげの娘は、上司の手助けをしながら、組紐用の絹糸を捌いていた。
「閣下からさぁ、刺繍のオーダー。おさげちゃんじゃないと出来ないよ」
「え?図柄はなあに?」
「麒麟だって。ジラフのほうじゃなくて、だよ。ウチらじゃ、無理だよホント」
「あらぁ・・・また、ポケットチーフのワンポイントかしら」
「いっそジラフでも、閣下ならいけちゃうのに」
「1点モノとかカスタマイズ、大好きだものねぇ、閣下は」
伝統服飾部の部長は、暗に、その刺繍の仕事を、
おさげの娘が手伝うことに、吝かでない態度を見せる。
通常、部を超えて助力を仰ぎたい仕事は、
いわゆる「上」を通すのがビジネスの常識だが、
伝統服飾部と洋裁部は、同じ針を持つ仲間意識が強く、
技術を融通しあう小さな助け合いが、なかば日常になっている。
「そうそう、そして、見えないところにも拘る御洒落」
「で、あたしたちは、閣下の次のお出かけの三つ揃え。
相変わらず派手好みでいらっしゃる。裏地もこだわるこだわる。
で、ステッチは緋色」
「それを着こなすところが、閣下のすごいところ」
「むしろ、閣下しか着こなせない」
「あっ、同感」
「さ、急いでるんでしょ、そのポケットチーフ、持っていらっしゃい。
ネクタイにあわせてあるんでしょ?」
「はいっ、いつも済みません。有難うございます」
「おさげに至急がないなら、いいわよ。この子の刺繍は、ウチで一番だもん。
他の部にまで一目置かれて、鼻が高いわ」
「部長、そんな、褒めすぎです」
「おさげちゃーん、謙遜しすぎー」
「そうだよ、本当のことだもん。イヤミに聞こえちゃうよ」
「みんなだって、得意分野、物凄いくせに・・・」
「じゃ、持って来るね、おさげちゃん」
洋裁部の彼女が扉を静かに閉めて、
足取りも軽やかに去っていくと、ひとしきり”閣下”の話に
花が咲いた。
「閣下のオーダーって、ほーんと、価格無視って感じで、
最高級の素材をそろえられて、お針子冥利に尽きるわぁ。
いい仕事してみせる!って、職人魂に火がつくっていうか」
「それはある。
・・・思い出すなあ。閣下のお召し物を初めて
お手伝いしたとき、案外小柄でいらして、驚いちゃった」
「それを言うなら、公叔のお召し物もだよ。錦官城ともあろうところが、
腕、採寸絶対間違ってる、って、初め思ったもん」
「うわー懐かしい!みんなそう思うよね」
「曹家みたいに、高くていいのは当たり前だよ。
お財布と相談して、先代のお召し物を直して着たりとか、
堅実な劉家のオーダーも、わたしは好きだな」
いつも穏やかな公叔の姿を思い浮かべて、
おさげの娘は、”閣下”が好む意匠の図柄を、
思い浮かべて、刺繍糸を選び出しながら言う。
「そーだ、おさげちゃん昨日、ハウスメイド部のみんなとお茶したんでしょ、
先生はどうだったのかな」
「うん、無事に予定通り、帰国なさるみたいだったよ」
「あの仕事も、なかなか出来ない仕事で、面白かったな」
「あれって、もうお召しにならないのかなぁ」
「でもぉ、黒なんてぇ。先生は天使様みたいな感じが似合うのに」
「外套みたいなのに、仕立て直したらいいよね」
「秋ごろ、オーダー来ないかな」
「そうだよねえ、さすがに、あの華奢な先生でも、お残り布でもう一着、は無理だしね」
「劉家が裕福だったら、もっとオーダー来るんだろうなあ」
「そうですよねー」
「先生、作り甲斐があるっていうか、何でも似合っちゃうけど、
あんなのも着せたい、こんなのも着せたいって、私たちが思うんだもの、
殿下はもっと思ってるんじゃないかしら」
「え・・・。部長、どうしてそんな」
おさげの娘の、刺繍糸を整える手が止まった。
「だって、ついに見ちゃったんだもの。この前、殿下が先生にキスしてるとこ」
「あたしも」
「わたしも」
「私もです」
��わたしだけじゃ・・・なかったのね)
おさげの娘は、例のお茶会で、自分だけが目撃者であるかのように
錯覚していたが、伝統服飾部の面々は、皆、気付いていたようだ。
「だって、あの時のあのムード。
背後で何が起こってるか、気にならないほうがおかしいよ」
「姿見はいつも搬入ですもんね、合わせ鏡になるなんて、お気づきになってないって訳だわよ」
「あれ?おさげちゃんは、見なかったの?」
「いえ、あの、わたしは・・・」
見ようとして見たのではなく、偶然見てしまったのは
自分だけだったのかと、おさげの娘は、軽い衝撃を受けていた。