採用の基準が、容姿よりも特に礼儀作法や教養に喧しいことで、
業界では有名な、メイド派遣会社「錦官城」の、
はえある職員の一人である、妙齢のチャイナガール。今日は非番。
春雨の夕方、若者の街の歩道をひとりで歩いていると、
車道を挟んで向こうの、小洒落た喫茶店の自動扉が開いて、
まるで一流ホテルのドアマンが差し出してくれるような、
大きな、骨の多い雨傘を広げる、腕の長い紳士と、
ほっそりした人影の二人連れが、目を引いた。
眼鏡をかけているが、あの巨きな耳は、一度見たら見間違えない。
九分九厘、彼女たちがお仕えする、公叔その人だろう。
広げられた傘に、庇うように蓋われたのは、多分、あの先生だ。
”これって「お忍び」ってやつ? 相合傘?”
こんな若者の街に。意外!
それに、あの店って、駐車場ないはず。
ああ見えて張さま、違法駐車とか断固なさらないし。
張さまと、愛車と、ご一緒じゃないのかしら。
確かにここって、ごちゃっとしててコインパークも少ないし、
車で来るとこじゃないか。
もしかして、雨の中、わざわざ公共交通機関で?
もしも、関さまが護衛に見えていたら、目立たないようにするの大変。
漫画のスナイパーみたいに、職質かからない、
死角のない意外な高いところで、見張ってらっしゃるのかしら?
傘を傾けて、雨模様の空を縁取る鉄筋のビルの屋上を、いくつか仰ぐ。
しかも、こんな中途半端な時間にお茶してるなんて。
歩きながら、頭の回転が速いチャイナガールは、
くるくると考えた。
この辺で、御用がありそうなところをリストアップ。
A 百貨店ほか商業施設
B ハコモノ
C 公園
雨だから、公園は却下。お買い物は、執事の趙さまがなさりそうだし、
男の人って、買い物嫌いが多い。だから却下。
じゃ、Bかな・・・。美術館?映画?意外にお笑い系?
目的地の都合上、横断歩道を渡って、チャイナガールは
公叔と先生の二人連れの、5mぐらい後方を、同じ歩調で歩いてみる。
地下道もあるのに、わざわざ、小雨の地上を歩いているなんて、物好きな。
A 雨だから、かえって地上の方が人が少なくて、お忍びには気楽
B 相合傘したかった(たぶん公叔が)
C 街並みを見るのが好き
D 地下道が苦手。閉所恐怖症、それとも方向音痴。
E 雨が好き
・・・・・全部かもね、Bが最有力だったりして。
でもその傘、ビニール傘の往来が大半を占めるこの街には、
良すぎて、目立っちゃって、相殺ですよ公叔。
と思いつつ、5mを詰めずにいると、デートスポットとして定番の美術館も、
映画館も、ミニシアターも袖にして、
件の二人は雨傘の裡で、ときどき肩を寄せ合いながら、
語らって歩調をあわせている。
(男の人にしては、ゆっくりだな。歩き方が。 ・・・そうか、これが、公叔の、デートモードなのね)
少しせっかちで、鬼足だと皆に言われるチャイナガールは、
行き掛かり上、追い越すのも憚られて、尾行するように
二人の歩調に合わせる。
(この先、徒歩圏内って、あとは公園と、劇場だけど・・・もしかして?)
観劇が趣味のチャイナガールは、今日の自分のお目当てを思い描いた。
18:30開演 シェークスピア原作『王版・十二夜』。
男女の愛憎劇・とくに、絶世の美女を取り合う二人の男という
三角関係の縺れを描かせたら中華随一と言われる、
舞台演出家の王大人が、新境地のラブコメに挑戦!
という鳴り物入りの話題作で、演劇界の話題を攫っている。
出演者も、実力ある若手からベテランまでを揃えて、
チケットは秒殺に近い売れ行きで、早くも追加公演を望む声が高い。
チャイナガールは、密かに、迫真の演技がウリの名優・黄蓋が
まさかのマルヴォーリオ役というキャスティングにも期待していて、
先行予約開始日の9時ジャストから、電話を掛け捲り、
やっと一枚ゲットしたのだ。
(とすると、公叔のご趣味、けっこう若い?いや・・・)
A 先生のご趣味
B お仕事上の付き合いでのご招待
C 誰かが気を利かした。ホワイトデーだからとか。
どれかな。Cが正解だったら・・・お泊りデートも込みで確定?
・・・一緒に暮らしてるのに、今更、お泊りも何もないか。
いや、待った。一緒に暮らしてるからこそ、外泊ってしたいものかも?
答えが特定できないでいるうちに、劇場が見えてきて、
目的地終点が、ほぼ同一であることだけは確かになった。
傘を傘立てに入れてロックしたり、
直近のライブのチラシをチェックしたりしてから、
雨コートをクロークに預けて、
(そうだ、王のって、しばらく見てなかったけど、衣裳も凝ってるんだよな)
オペラグラスを忘れたので、保証金を入れて、レンタルする。
良かったらもう一度見に来たいし、
良い芝居はどの席で見ても良いように作られている。そういう持論で、
チャイナガールは2階のB席におさまっていた。
携帯電話の電源を切りながら、あの緞帳の裏には、
いまどんな、「連環の計」の異名をとる王マジックが仕掛けられているのだろうか。
また、まんまと意表を衝いてくれるだろうか、と、
過去の王作品を思い出して、わくわくしてから、徐に、客層をチェックする。
(1階は、相変わらずマダムのグループとか、若い女の子連れ、多いな。
奥様は昔からの王ファンかな、若い子は、主演の若手俳優目当て?
もっと、老若男女にウケてくると嬉しいんだけどなー、
今までが、ドロドロ愛憎だったからな。今後に期待)
2階は・・・おっと、VIPが愛人つれてることもあるから、
オペラグラスは自粛・・・。覗き見してませんよー
と、肉眼で一望しかけて、ハッと固まる。
舞台側に斜めに張り出した、2階のボックス席の一隅に、
遠目にも、寄り添うように仲良く座る公叔と先生の姿があった。
やはり、見間違いではなかった。
(うわ、先生、なんか、いつもより、まぶしい)
コートを脱いだ先生は、着たのか着せられたのか分からないが、
淡い色の艶やかなシルクの、裾の長いゆったりとした、
いかにも先生好みの衣を纏って、開演前の明かりに、
黒髪にも天使の環を浮かべて、鈍い反射光で
白い貌だちに、ふんわりと紗をかけたようになって、
華美に装ってもいないのに、とても衆目を集めていることに
気付きもせず、楽しげに、隣の巨きな耳に囁いている。
公叔は、あらすじを知らないのか、早速買い求めたらしい
プログラムを開いて見入っては、頻りと先生に何か質問しているようだ。
「ねえ、あの人って誰だっけ」
「どこどこ」
「ほらあ、右の前の方に、はみ出てる席の、あそこの、おっきな耳の」
「あーっ、オジサンの方でしょ、誰だっけ、ニュースとか新聞とかで時々見るよね」
「ここまで出てるんだけどなー。芸能人じゃなくて、偉い人っぽい感じの」
「奥さん連れ?若いね。愛人だったりして」
「だったら危ない。あんまりジロジロ見ちゃだめだよ。触らぬ神に祟りなし」
「愛人だったとしても、水商売の人とは違う気がする」
「お上品な感じだよね」
「あっ!キスしたっ!オジサン、手にっ!」
「えーっ、ラブラブじゃん。もしかして新婚さん?」
付近の女性客のきゃぴきゃぴとした噂話を小耳に挟みながら
(・・・お邸で、それくらい見慣れちゃってたわ。
先生のこと奥さんだと思ってて、この反応じゃないの一般人。
イケナイ。この時点でもう、世間とズレてる。どうして下さいますか公叔・・・。
っと、ご機嫌だわぁ。そりゃいつもご機嫌うるわしいけど、目尻が下がりっぱなし)
と、思っていると、二度目の予鈴が響いて、徐々に客席が昏くなり始めたときに、
公叔がプログラムを仕舞って、肘掛の上の先生の手を、すっぽりと、丸ごと、
大きな手で握ったらしく、いままで緩やかに振舞っていた先生が、
びっくりしたように公叔を見あげたところまで目撃して、客席は暗闇に沈んだ。
(慣れてないのは、メイドの私たちより、先生の方なのかしら未だに)
御意のままに、戀の物語の、はじまり、はじまり。
業界では有名な、メイド派遣会社「錦官城」の、
はえある職員の一人である、妙齢のチャイナガール。今日は非番。
春雨の夕方、若者の街の歩道をひとりで歩いていると、
車道を挟んで向こうの、小洒落た喫茶店の自動扉が開いて、
まるで一流ホテルのドアマンが差し出してくれるような、
大きな、骨の多い雨傘を広げる、腕の長い紳士と、
ほっそりした人影の二人連れが、目を引いた。
眼鏡をかけているが、あの巨きな耳は、一度見たら見間違えない。
九分九厘、彼女たちがお仕えする、公叔その人だろう。
広げられた傘に、庇うように蓋われたのは、多分、あの先生だ。
”これって「お忍び」ってやつ? 相合傘?”
こんな若者の街に。意外!
それに、あの店って、駐車場ないはず。
ああ見えて張さま、違法駐車とか断固なさらないし。
張さまと、愛車と、ご一緒じゃないのかしら。
確かにここって、ごちゃっとしててコインパークも少ないし、
車で来るとこじゃないか。
もしかして、雨の中、わざわざ公共交通機関で?
もしも、関さまが護衛に見えていたら、目立たないようにするの大変。
漫画のスナイパーみたいに、職質かからない、
死角のない意外な高いところで、見張ってらっしゃるのかしら?
傘を傾けて、雨模様の空を縁取る鉄筋のビルの屋上を、いくつか仰ぐ。
しかも、こんな中途半端な時間にお茶してるなんて。
歩きながら、頭の回転が速いチャイナガールは、
くるくると考えた。
この辺で、御用がありそうなところをリストアップ。
A 百貨店ほか商業施設
B ハコモノ
C 公園
雨だから、公園は却下。お買い物は、執事の趙さまがなさりそうだし、
男の人って、買い物嫌いが多い。だから却下。
じゃ、Bかな・・・。美術館?映画?意外にお笑い系?
目的地の都合上、横断歩道を渡って、チャイナガールは
公叔と先生の二人連れの、5mぐらい後方を、同じ歩調で歩いてみる。
地下道もあるのに、わざわざ、小雨の地上を歩いているなんて、物好きな。
A 雨だから、かえって地上の方が人が少なくて、お忍びには気楽
B 相合傘したかった(たぶん公叔が)
C 街並みを見るのが好き
D 地下道が苦手。閉所恐怖症、それとも方向音痴。
E 雨が好き
・・・・・全部かもね、Bが最有力だったりして。
でもその傘、ビニール傘の往来が大半を占めるこの街には、
良すぎて、目立っちゃって、相殺ですよ公叔。
と思いつつ、5mを詰めずにいると、デートスポットとして定番の美術館も、
映画館も、ミニシアターも袖にして、
件の二人は雨傘の裡で、ときどき肩を寄せ合いながら、
語らって歩調をあわせている。
(男の人にしては、ゆっくりだな。歩き方が。 ・・・そうか、これが、公叔の、デートモードなのね)
少しせっかちで、鬼足だと皆に言われるチャイナガールは、
行き掛かり上、追い越すのも憚られて、尾行するように
二人の歩調に合わせる。
(この先、徒歩圏内って、あとは公園と、劇場だけど・・・もしかして?)
観劇が趣味のチャイナガールは、今日の自分のお目当てを思い描いた。
18:30開演 シェークスピア原作『王版・十二夜』。
男女の愛憎劇・とくに、絶世の美女を取り合う二人の男という
三角関係の縺れを描かせたら中華随一と言われる、
舞台演出家の王大人が、新境地のラブコメに挑戦!
という鳴り物入りの話題作で、演劇界の話題を攫っている。
出演者も、実力ある若手からベテランまでを揃えて、
チケットは秒殺に近い売れ行きで、早くも追加公演を望む声が高い。
チャイナガールは、密かに、迫真の演技がウリの名優・黄蓋が
まさかのマルヴォーリオ役というキャスティングにも期待していて、
先行予約開始日の9時ジャストから、電話を掛け捲り、
やっと一枚ゲットしたのだ。
(とすると、公叔のご趣味、けっこう若い?いや・・・)
A 先生のご趣味
B お仕事上の付き合いでのご招待
C 誰かが気を利かした。ホワイトデーだからとか。
どれかな。Cが正解だったら・・・お泊りデートも込みで確定?
・・・一緒に暮らしてるのに、今更、お泊りも何もないか。
いや、待った。一緒に暮らしてるからこそ、外泊ってしたいものかも?
答えが特定できないでいるうちに、劇場が見えてきて、
目的地終点が、ほぼ同一であることだけは確かになった。
傘を傘立てに入れてロックしたり、
直近のライブのチラシをチェックしたりしてから、
雨コートをクロークに預けて、
(そうだ、王のって、しばらく見てなかったけど、衣裳も凝ってるんだよな)
オペラグラスを忘れたので、保証金を入れて、レンタルする。
良かったらもう一度見に来たいし、
良い芝居はどの席で見ても良いように作られている。そういう持論で、
チャイナガールは2階のB席におさまっていた。
携帯電話の電源を切りながら、あの緞帳の裏には、
いまどんな、「連環の計」の異名をとる王マジックが仕掛けられているのだろうか。
また、まんまと意表を衝いてくれるだろうか、と、
過去の王作品を思い出して、わくわくしてから、徐に、客層をチェックする。
(1階は、相変わらずマダムのグループとか、若い女の子連れ、多いな。
奥様は昔からの王ファンかな、若い子は、主演の若手俳優目当て?
もっと、老若男女にウケてくると嬉しいんだけどなー、
今までが、ドロドロ愛憎だったからな。今後に期待)
2階は・・・おっと、VIPが愛人つれてることもあるから、
オペラグラスは自粛・・・。覗き見してませんよー
と、肉眼で一望しかけて、ハッと固まる。
舞台側に斜めに張り出した、2階のボックス席の一隅に、
遠目にも、寄り添うように仲良く座る公叔と先生の姿があった。
やはり、見間違いではなかった。
(うわ、先生、なんか、いつもより、まぶしい)
コートを脱いだ先生は、着たのか着せられたのか分からないが、
淡い色の艶やかなシルクの、裾の長いゆったりとした、
いかにも先生好みの衣を纏って、開演前の明かりに、
黒髪にも天使の環を浮かべて、鈍い反射光で
白い貌だちに、ふんわりと紗をかけたようになって、
華美に装ってもいないのに、とても衆目を集めていることに
気付きもせず、楽しげに、隣の巨きな耳に囁いている。
公叔は、あらすじを知らないのか、早速買い求めたらしい
プログラムを開いて見入っては、頻りと先生に何か質問しているようだ。
「ねえ、あの人って誰だっけ」
「どこどこ」
「ほらあ、右の前の方に、はみ出てる席の、あそこの、おっきな耳の」
「あーっ、オジサンの方でしょ、誰だっけ、ニュースとか新聞とかで時々見るよね」
「ここまで出てるんだけどなー。芸能人じゃなくて、偉い人っぽい感じの」
「奥さん連れ?若いね。愛人だったりして」
「だったら危ない。あんまりジロジロ見ちゃだめだよ。触らぬ神に祟りなし」
「愛人だったとしても、水商売の人とは違う気がする」
「お上品な感じだよね」
「あっ!キスしたっ!オジサン、手にっ!」
「えーっ、ラブラブじゃん。もしかして新婚さん?」
付近の女性客のきゃぴきゃぴとした噂話を小耳に挟みながら
(・・・お邸で、それくらい見慣れちゃってたわ。
先生のこと奥さんだと思ってて、この反応じゃないの一般人。
イケナイ。この時点でもう、世間とズレてる。どうして下さいますか公叔・・・。
っと、ご機嫌だわぁ。そりゃいつもご機嫌うるわしいけど、目尻が下がりっぱなし)
と、思っていると、二度目の予鈴が響いて、徐々に客席が昏くなり始めたときに、
公叔がプログラムを仕舞って、肘掛の上の先生の手を、すっぽりと、丸ごと、
大きな手で握ったらしく、いままで緩やかに振舞っていた先生が、
びっくりしたように公叔を見あげたところまで目撃して、客席は暗闇に沈んだ。
(慣れてないのは、メイドの私たちより、先生の方なのかしら未だに)
御意のままに、戀の物語の、はじまり、はじまり。