「お目覚めかな」
陽だまりの中の昼寝よりも心地がよくて、
こっくりと、うつらうつらとして、はっと気付くと、先生は何かに凭れていた。
聲は、右耳のすぐ上から、降ってきた。
眸をむけると、細い造りのリーディンググラスをかけた
公叔と、眸があった。
食堂で夕食をとっているときに、令息に、
「先生、今日からね、暖炉に火が入るんですよ」
と、内緒話のように、うきうきと耳打ちされて、
就寝の前に、ちょっと読書をしてみようかと、
先生は、一人、いそいそと、居間にやってきた。
秋の夜長に、いま嵌っている、
量子力学と高エネルギー加速器研究の論文の
気になる一節を、ゆったりと読んでみたかったし、
揺らぎすらも人工的に作り出すような現代社会にあって、
不確定要素のひとつである、生きた火は、
何か閃きをもたらすような気がした。
暖炉と、絨毯と、ソファと、
邸に似つかわしい古めかさではあるが、
ぽかぽかとした、熱源が電気ではなく火であることの満足感、
そして時折、ぱちりと燃料が爆ぜるような音が、
ふんわりと、眠気を誘った。
長椅子の、左側にかけて、本を読んでいたはずだった。
それが、
いま右に、いつ帰ってきたのか、公叔が座って、
オットマンに両脚を預けて、書類を繰っている、
その左肩に、凭れて眠ってしまっていた。
あっ、と驚いて座りなおすと、
「おかえりなさいませ」
これしきの無礼は、むしろ喜びこそすれ
彼が咎めもしないことはもう、知っている。
いちいち、謝らない。
「暖かいな」
「はい」
ぎこちないが、居心地は決して悪くない
沈黙が流れる。
ぱちぱちと、暖炉の火も会話に加わろうとする。
「このままずっと、こうして居たいぐらいだ」
象牙細工のように精巧な耳は、其の言葉の意味を慎重に探って
「お疲れなのです」
ふわりと笑ってみせた。
うむ、と彼は頷いて
「クリスマス頃までは、何かと、な」
話しながら、書類と眼鏡をサイドテーブルに置いて、
オットマンから脚をおろして、
落ち着いて話をはじめる。
慈善事業、社交。
新年が開けたら、華僑同士で春節も祝わねばならん。
貧乏暇なし、とはよく言ったものだと、
彼は笑った。
それから、このことは、報酬でもないし、
もちろん代償という意味であるはずもがないのだが、
と、
ゆっくりと、一言ずつ、区切るようにはっきり言って、
彼は少し、黙り込んだ。
光源が持っている不安定さのためか、
穏やかで優しげな貌に、普段よりも複雑な表情が
揺らいでいるように見える。
「・・・指輪を、作らせてもらえるかな」
彼は言いながら、傍らの先生の右手を取ると、
「この指に」
右手の薬指の指先だけを選んで、
拇指で、そっと撫でた。
驚いたのか、弾かれたように見上げる先生に、
「今、返事をしなくてもよい。ゆっくり、考えてくれまいか」
<大人の情景 全13話> 全話一気読みのショートカットは → こちら
陽だまりの中の昼寝よりも心地がよくて、
こっくりと、うつらうつらとして、はっと気付くと、先生は何かに凭れていた。
聲は、右耳のすぐ上から、降ってきた。
眸をむけると、細い造りのリーディンググラスをかけた
公叔と、眸があった。
食堂で夕食をとっているときに、令息に、
「先生、今日からね、暖炉に火が入るんですよ」
と、内緒話のように、うきうきと耳打ちされて、
就寝の前に、ちょっと読書をしてみようかと、
先生は、一人、いそいそと、居間にやってきた。
秋の夜長に、いま嵌っている、
量子力学と高エネルギー加速器研究の論文の
気になる一節を、ゆったりと読んでみたかったし、
揺らぎすらも人工的に作り出すような現代社会にあって、
不確定要素のひとつである、生きた火は、
何か閃きをもたらすような気がした。
暖炉と、絨毯と、ソファと、
邸に似つかわしい古めかさではあるが、
ぽかぽかとした、熱源が電気ではなく火であることの満足感、
そして時折、ぱちりと燃料が爆ぜるような音が、
ふんわりと、眠気を誘った。
長椅子の、左側にかけて、本を読んでいたはずだった。
それが、
いま右に、いつ帰ってきたのか、公叔が座って、
オットマンに両脚を預けて、書類を繰っている、
その左肩に、凭れて眠ってしまっていた。
あっ、と驚いて座りなおすと、
「おかえりなさいませ」
これしきの無礼は、むしろ喜びこそすれ
彼が咎めもしないことはもう、知っている。
いちいち、謝らない。
「暖かいな」
「はい」
ぎこちないが、居心地は決して悪くない
沈黙が流れる。
ぱちぱちと、暖炉の火も会話に加わろうとする。
「このままずっと、こうして居たいぐらいだ」
象牙細工のように精巧な耳は、其の言葉の意味を慎重に探って
「お疲れなのです」
ふわりと笑ってみせた。
うむ、と彼は頷いて
「クリスマス頃までは、何かと、な」
話しながら、書類と眼鏡をサイドテーブルに置いて、
オットマンから脚をおろして、
落ち着いて話をはじめる。
慈善事業、社交。
新年が開けたら、華僑同士で春節も祝わねばならん。
貧乏暇なし、とはよく言ったものだと、
彼は笑った。
それから、このことは、報酬でもないし、
もちろん代償という意味であるはずもがないのだが、
と、
ゆっくりと、一言ずつ、区切るようにはっきり言って、
彼は少し、黙り込んだ。
光源が持っている不安定さのためか、
穏やかで優しげな貌に、普段よりも複雑な表情が
揺らいでいるように見える。
「・・・指輪を、作らせてもらえるかな」
彼は言いながら、傍らの先生の右手を取ると、
「この指に」
右手の薬指の指先だけを選んで、
拇指で、そっと撫でた。
驚いたのか、弾かれたように見上げる先生に、
「今、返事をしなくてもよい。ゆっくり、考えてくれまいか」
<大人の情景 全13話> 全話一気読みのショートカットは → こちら