「大人の情景」 詩人のおはなし

2008/11/13

21cパラレル(大人の情景 劉公叔の物語(21世紀)

(雪の日と、孔明・・・・・?)
所謂、デジャヴという感覚に、彼はしばし、うつつを忘れて
先生の貌を見入ってから、軽い調子で問うた。
「孔明は、誰が好きなのかな」

大きな嵌め殺しの窓の曇りに、分厚い指で一本線を引いて、
其処から、降ったり止んだりする
気まぐれな薄い雪模様を眺めた彼の足元に、
その問いの答えのかわりに、
ばさりと、派手に打ち撒かれた勢いに乗って
床を滑ってきた譜面が散乱した。

振り返ると、5歩ほど向こうの、絨毯の端で、
耳まで真っ赤に染めて、尚古趣味の香りがする
裾の長い服には少し不似合いな、
急な寒波に彼から借りて着ている、
袖のおそろしく長いフリースの上着の袖口を折り曲げて、
口元のあたりに添えて、びっくりしたような円い眸をして、
譜面のごく一部の端を辛うじて捉えて立ち尽くす先生と、目が合った。

「・・・いや、その」
彼は、勘違いを悟って、こめかみの辺りを分厚い指で押さえ、
しゃがみこんで譜面を拾い上げながら、
「作曲家だよ」

おそらく、先生は『誰』の答えとして、
彼の名を要求したと勘違いしたのであろう。

その勘違いに動揺する先生を見て、
彼もまた、勘違いを招く、色呆けと紙一重な
曖昧な問いを発したことが不本意で気まずく、
二人で、30枚はあろうかという譜面を、
黙黙々と拾い集める。

子息を毎年遣っている、二泊三日のスキー教室への保護者役として、
いつものように常山の好漢をつけて、
ついでに、いつもちまちまとした雑事に追われがちな
体育会系の弟分ふたりも、車の運転の交代要員もかねて、
ゲレンデで都会のストレスを発散してくるがよいと、
昨日、まとめて送り出してしまったのだ。

公共交通機関が動いているうちにと、
彼の一存で、派遣会社のメイドは昼に帰してしまい、
午後から、ちいさな邸には、
彼と先生の二人きりになってしまっていた。

拾い集めた譜面を受け渡すだけなのに、
二人は互いに、指先が触れ合わないように
細心の注意を払っていたが、
其れに無関心なように、五線紙の束は、かさり と
乾いた音をたてた。

「・・・好きな作曲家は、特におりません」

意外なことを口にする。
初めて会った頃、やはり詩人と言われるあの作曲家かと
思い込んでいたが、違ったようだ。

「どの作曲家も、ご不満かな」
マニアックな作曲家の名を持ち出されたとしたら、
かえって話が続かないところを、
天才らしく不遜にも聞こえる発言に、救われる。
「いえ、そのような・・・。好きな曲は、ございます」

どんな曲を、と聞いて、これが今度こそ
玄人好みの曲名を並べられたら、その先が続かないと懸念して、
「儂も、知っている曲だと良いが」
と、言葉少なく、所在なげにしていると、聡い先生は
「実は、わたくしが弾けない曲が、好きなのです」
「何とな?」
彼の巨きな耳は、またもや意外な言葉と先生の一面に、驚いた。

この天才に、弾けない曲など、あるのだろうか。
「わたくしの手は、公叔と違って、一オクターブで限界です。
 技術的にカバーはできても、作曲者の意図に忠実に弾くことが
 不可能な曲には、憧れます」

そういう意味では、
リストやシューマンが近い、ということになるかも知れません と、
ほっそりとした手を一度、拡げてみせてから、
珍しく饒舌になりながら、先生の視線が俯いて、
一点を凝視していることに、ようやく気付いた。

彼の、大きな掌を見詰めていた。
先生の憧れの曲を、掴みきって余りあるであろう大きさの手。

毎週土曜日の夕方に、レッスンに通っていた頃、
時おり、先生の視線を痛いほどに両手の甲に感じたのは、
あながち、彼ひとりの自意識ゆえではなかったかも知れない。

のちのち、水鏡先生から、
 ”あれは、誰かが護ってくださらねば、生きてゆくのは難しいが、
  あれが首を縦に振る御方が、一向に現れないのがワシの頭痛の種。
  あるいは・・・公叔ならば、諾かもしれませぬぞ、
  どうも、あれには、いささか、所謂ファザコンのような気がありますからの”
と、けしかけるような冗談めいたことを聞かされたものだが、
案外、天与のこの大きな掌も幸いしたかもしれぬと、
初めて会った日の握手を思い出しながら、

(しかし、父であったならばしてはならぬことを、もう、仕出かしてしまった)
と、危うい背徳感を感じないでもない。

「この掌を好きだと、言うてくれるのか」
俯いたまま頷く先生の手から、譜面をそっととりあげて、
長い腕で譜面台に載せながら、
「掌だけならば、残念じゃな」
態と、両の掌を後ろ手にしてしまい、
不満そうに眉間に皺を寄せて、先生を覗き込む。

つねに優しい彼が、機嫌を悪くすることなど、稀である。
先生は慌てて、
「掌だけではありません」
と、彼の誘導尋問に乗ってしまった。

彼は、笑みがこぼれそうになるのを堪えて、
仏頂面のまま、厳かな口調で短く、
「言ってご覧」
と、先生が何と言うか、うずうずと待っていた。

先生は、うっかり言ってしまった二の句が継げず、
両袖から僅かに覗く指先を口元にあててから、
思いがけず、背伸びをして彼に抱きついて、
その勢いのまま、
「・・・お慕いしております」
巨きな耳に触れんばかりの近さで、微かに囁いた。

彼は、ぐらりと、理性が揺らきかけるのを
辛うじて抑えるのに必死であった。
この、絨毯の上に、横たえてしまいたい。
しかし、過半数が心配性のスキー教室組が、
俄かに高速を吹っ飛ばして帰ってきたら何とする。

ああしかし、無理であった。
そう思いながら、もう先生と唇を重ねながら、
貸し着せていたフリースのファスナーを、
音も高くひといきに下ろしてしまう。
「・・・いけません、公叔」
場所柄に慌てたのか、先生が制した。
「いかんか」

ではこのまま、寝室へ運んでしまおうと、
ほっそりと軽い體を、さっと抱き上げると、
「まだ、お湯を、いただいておりません」
彼の耳許に貌を埋めるようにして、
小さな聲を発する。諾、と言っているようなものだ。
「そなたは、朝風呂であろう。
 穢かろうはずがないではないか」


このように寝室を共にするようになってまだ日が浅いが、
聲を忍ぼうとして、まるで指輪に口づけをするように
右の手の甲を押し当てる先生の仕草を、
ようやく見慣れるようになった。

彼は、無防備にがらあきになってしまう左の頸の筋から
そっと口髭を寄せて、頤の下まで辿りながら、
大きな掌を器用に服の隙間から滑り込ませて、
彼と同じく哺乳の必要を外れて退化したはずの、
しかし彼と違って羞らうような、褪せた薄桃に近い色をした
其処を、分厚い指で捕らえて
「ここを・・・吸うてもよいか」
意地悪にも、態と、先生が困ることを囁いてみる。

先生が素直に頷くはずもなく、
聲を堪えて、小さく嫌嫌と細い頸を振る隙に、
チャイナカラーの服の、合わせ目の紐の蝶結びの端を、
いちいち咥えて引っ張って解きながら、
あとは肌蹴るだけにしてしまって、細く覗く鎖骨を舐めながら
「嫌か、どうしたものかな」
と、困って見せながら、先生の息が乱れてゆくのを
知らないふりをして、ずっと其処を指先で
ゆっくりと繰り続けて、小さく実る感触を愉しんでいる。

「強情を張るでない」
感じ易いはずの其処を、無骨に長長と弄ぶものではない。

先生を困らせる勝手な遊びは止めて、
彼は、怖がらせないように、
嬰児のように、衣の中へ貌を埋めるように、
其処を柔らかに唇に含んだ。
先生の身が竦むのが分かったが、
ごそりと、もう片方の掌を衣の中へ捻じ入れて
薄い背を、頼もしく掻き抱いて暖めると、
躊躇いながらも、ほっそりとした手が、
彼の歳には不似合いな、精悍さを残す腕を探す様子を見せた。

痛みを与えないように加減しながら、
口腔の中で、さまざまに、思いのままに優しく蹂躙しはじめると、
それだけでもう、耐えられないという風情で、
先生は、彼の名ばかりを、悩ましげな聲で呼び始める。

「よいのか、孔明。そのように儂を呼んで」
彼は気付かないが、彼の歯列と、舌先の感覚に、
甘く疼く中にちくりと不意に膚に触る少し堅い口髭の感触が、
先生の五感を狂わせている。

「朝まで、眠らせてやれぬかもしれぬぞ」
脚を拡げなさい などと、羽毛のように繊細な天才に、
あからさまなことは言わない。
そうせずには居られなくしてみせるが甲斐性というものだ。

其れを言うかわりに、寝台の下の床に跪いて、
白い片足頸を捉えて、其の爪先を味わうように甘く咬んでみる。

すぐに、小さな悲鳴が上がって、半ば反射的に膝が引かれ、
彼は、まんまと先生の膝と膝の間に這い上がってしまう。

先生は、其れだけで息が騰がってしまい、
あられもなく彼を迎え入れてしまったことに気付いていない。

「儂のほかに、誰も居らぬのだから」
其れは、慎み深い先生に与える
優しい口実と誘惑に他ならない。
「其の聲も、其の爪も・・・立ててしまいなさい。もっと」


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