四面楚歌の国難を、鮮やかにかわす献策の数々を得て、
宸襟やすんずるを得た若き蜀帝は、馬車の中でふと、思い至った。
(あれは、父帝に、会うていたのではないか)
老臣と呼ぶにはまだ若い丞相は、
病と称して引きこもっていたが、
若き蜀帝の来駕を待っていたかのようだった。
久しぶりにまみえたその姿は、病衣に疲れているよりも、
ずっと弱り果てた様子で、黒き衣を纏って、
自邸の庭の池のほとりに蹲り、じっと水面をみつめていた。
さては、丞相の力量をもってしても、この局面の打開は難しいのか、と
心を曇らせながら聲をかけると、拝跪叩頭のあと
存外に明るい聲で房室へ誘われ、妙計の数々を献じられた。
すこし齢を重ねたといえども、依然として涼しさを湛えるこの貌を、
宮殿で謁見するよりも間近に見、この丞相が愛用する白羽扇の繰る風が
届くほどの近さに居ながら、安堵感とは裏腹に、
拭えぬ遠さを感じずには居られない。
ほど近く見ながらこうであるから、宮殿では尚更、
玉座と壁の間に、父帝が座しますのではないかと錯覚するように
遠い視線は、即位してからの憂いのひとつになった。
然りながら、父帝のように丞相を重用しようにも、
重用できるほど、丞相を知らない。
政治も知らない。
蜀帝とて史書に昏くはなく、先代の臣と新しい王との確執は、
たびたび国家を揺るがしてきたことを学んでおり、
王が個人的感情で不和を鳴らす愚は心得ている。
例を古えに求めずとも、魏王の二代目の器量と
自己を比較して、正当性はともかく、王者たる個人の力量の点では、
明らかに向こうが上回るであろうと、冷静に受け止めている。
ただし、こちらには、父帝が遺してくれた丞相が居る。
いまだに、丞相は、父帝にお仕えしておるのではないか。
父帝の天賦の美点である、いわゆる仁徳という、
そこに居るだけで、智謀の士や豪傑が群がり集まるという、
稀有にして、しかも王者に必須の才能は、
たとえ其の肉親にといえども、天は容易に与えなかった。
太子という位に釣り合わぬ己の器量に、
ひそかに煩悶をいだいて苦渋の告白をしても、
生前、父帝は決して己を有徳の者と自認することはなかったうえ、
「そちには、儂にはない美点が多々あるではないか。孔明もおる」
と、余の者に、極めて寛容であった。
あの丞相を、父帝は壮年のころ三たびも訪ねて招き、
父帝は己を魚、丞相を水に例えて、生涯に渡って離れ得ぬことを、
つとに自他ともに知らしめ、
実際に、崩御のときも離さなかった。
蜀帝は、父を看取ることはできなかったが、遺詔のあとに、
先立った義兄弟たる叔父らに何かを語りかけ、
蜀帝の命の恩人でもある古参の将に、特に別れを告げ、
最期の言葉は、丞相の名であったらしいことを仄聞している。
まだ幼い日の、荊州の城での光景を思い出した。
宿題であった詩の暗誦をしながら、静かな朝の庭を散歩していると、
父帝の快活で、おおらかな笑い聲に混ざって、
短く澄んだ、翡翠が転げるような音が聞こえた。
誰の聲か、新しく召抱えられた者かと、草木の陰から
思わず其の主を追うと、ちいさな庭の蓮池のそばで、
父帝と笑みをかわす丞相であった。
珍しいことに、父帝は丞相の衣冠を
親しく正すような所作をしていたことに加え、
丞相は、聲を立てて笑わない御方だ と、
幼心に長らく思っていただけに、意外で印象深かった。
その後、この巴蜀の地に王業を建てるための一時期、
父帝は丞相を荊州に留守させたのだが、
よく、あの庭の池の傍で、丞相をみかけた。
まるで、一幅の絵から、あるべきものが抜け落ちたような風景の中の、
其の時の丞相に、かけるべき言葉はなかった。
あれも、其れも、池の水面を見ているのではなく、
ただ水面の下の、あるがままに目に映る景色のなかで、
水を得て無心に泳ぐ魚の群れに跪いては、
ひとり先帝に想いを致して、わずかな慰めを得ていたのではないか。
「君の才は曹丕の十倍」
と、父帝は丞相を評したと聞く。
ここにあるのは、もはや龍の抜け殻かもしれないが、
恐るべきことに、抜け殻ですらも巴蜀を守りおおせて猶あまりある。
それほどの叡明は、あの日から實は九泉の下に捧げられている。
水のなかには、巴蜀の生けるもの全てが棲んでいると思っていたが、
あの日、水の中に棲んでいた唯だ一条の大魚は去り、
遺された水は、どこまでも孤独に澄んでゆくだけになったのかもしれない。
近頃の丞相の真意を測りかねて、
今日は父の力を借りようと、深い蒼色をした、形見の御衣を纏っていった。
当然、あの長大な裄の寸法を直させた。
丞相は何も言わなかったが、気づかぬはずはなく、
かえって丞相の心を傷つけたかもしれない。
いまだ超えられない父帝の大いなる影と、その影を慕いて止まぬ遺臣を思い、
「朕は、そちの魚にたらざるか、而してほかに棲むべき水はありや」
車駕の音に紛らわせ、蜀帝はそっと、嘆息したが、
やはり、其の水を見誤っていることに、気付いていない。
あの日、水は孤独に澄んで行くばかりになったのではなく、
あの日から、徐々に凍てつきはじめてもいるのだ。
一刻でも長く、氷点に至らずにいられるように、
水が凍らずに生き続けていられるように、
父帝が、あの長い腕で、命の限り、暇さえあれば暖め続け、
いまだに其の余熱が、辛くも丞相が方円に自在に応ずる水たり、
なお龍たることを、永らえさせている。
父帝が崩御してしばらくたったのちの、
丞相の口癖のひとつは
”臣、非才にして、陛下のご聖恩と、先帝のご遺徳の賜物でございます”
であるが、「遺徳」には、多分にこの余熱が含まれている、
証明は不可能なこの事実にまでは、蜀帝が思い及ぶべくもなく、
ただ馬車の揺れに玉體を任せていた。
宸襟やすんずるを得た若き蜀帝は、馬車の中でふと、思い至った。
(あれは、父帝に、会うていたのではないか)
老臣と呼ぶにはまだ若い丞相は、
病と称して引きこもっていたが、
若き蜀帝の来駕を待っていたかのようだった。
久しぶりにまみえたその姿は、病衣に疲れているよりも、
ずっと弱り果てた様子で、黒き衣を纏って、
自邸の庭の池のほとりに蹲り、じっと水面をみつめていた。
さては、丞相の力量をもってしても、この局面の打開は難しいのか、と
心を曇らせながら聲をかけると、拝跪叩頭のあと
存外に明るい聲で房室へ誘われ、妙計の数々を献じられた。
すこし齢を重ねたといえども、依然として涼しさを湛えるこの貌を、
宮殿で謁見するよりも間近に見、この丞相が愛用する白羽扇の繰る風が
届くほどの近さに居ながら、安堵感とは裏腹に、
拭えぬ遠さを感じずには居られない。
ほど近く見ながらこうであるから、宮殿では尚更、
玉座と壁の間に、父帝が座しますのではないかと錯覚するように
遠い視線は、即位してからの憂いのひとつになった。
然りながら、父帝のように丞相を重用しようにも、
重用できるほど、丞相を知らない。
政治も知らない。
蜀帝とて史書に昏くはなく、先代の臣と新しい王との確執は、
たびたび国家を揺るがしてきたことを学んでおり、
王が個人的感情で不和を鳴らす愚は心得ている。
例を古えに求めずとも、魏王の二代目の器量と
自己を比較して、正当性はともかく、王者たる個人の力量の点では、
明らかに向こうが上回るであろうと、冷静に受け止めている。
ただし、こちらには、父帝が遺してくれた丞相が居る。
いまだに、丞相は、父帝にお仕えしておるのではないか。
父帝の天賦の美点である、いわゆる仁徳という、
そこに居るだけで、智謀の士や豪傑が群がり集まるという、
稀有にして、しかも王者に必須の才能は、
たとえ其の肉親にといえども、天は容易に与えなかった。
太子という位に釣り合わぬ己の器量に、
ひそかに煩悶をいだいて苦渋の告白をしても、
生前、父帝は決して己を有徳の者と自認することはなかったうえ、
「そちには、儂にはない美点が多々あるではないか。孔明もおる」
と、余の者に、極めて寛容であった。
あの丞相を、父帝は壮年のころ三たびも訪ねて招き、
父帝は己を魚、丞相を水に例えて、生涯に渡って離れ得ぬことを、
つとに自他ともに知らしめ、
実際に、崩御のときも離さなかった。
蜀帝は、父を看取ることはできなかったが、遺詔のあとに、
先立った義兄弟たる叔父らに何かを語りかけ、
蜀帝の命の恩人でもある古参の将に、特に別れを告げ、
最期の言葉は、丞相の名であったらしいことを仄聞している。
まだ幼い日の、荊州の城での光景を思い出した。
宿題であった詩の暗誦をしながら、静かな朝の庭を散歩していると、
父帝の快活で、おおらかな笑い聲に混ざって、
短く澄んだ、翡翠が転げるような音が聞こえた。
誰の聲か、新しく召抱えられた者かと、草木の陰から
思わず其の主を追うと、ちいさな庭の蓮池のそばで、
父帝と笑みをかわす丞相であった。
珍しいことに、父帝は丞相の衣冠を
親しく正すような所作をしていたことに加え、
丞相は、聲を立てて笑わない御方だ と、
幼心に長らく思っていただけに、意外で印象深かった。
その後、この巴蜀の地に王業を建てるための一時期、
父帝は丞相を荊州に留守させたのだが、
よく、あの庭の池の傍で、丞相をみかけた。
まるで、一幅の絵から、あるべきものが抜け落ちたような風景の中の、
其の時の丞相に、かけるべき言葉はなかった。
あれも、其れも、池の水面を見ているのではなく、
ただ水面の下の、あるがままに目に映る景色のなかで、
水を得て無心に泳ぐ魚の群れに跪いては、
ひとり先帝に想いを致して、わずかな慰めを得ていたのではないか。
「君の才は曹丕の十倍」
と、父帝は丞相を評したと聞く。
ここにあるのは、もはや龍の抜け殻かもしれないが、
恐るべきことに、抜け殻ですらも巴蜀を守りおおせて猶あまりある。
それほどの叡明は、あの日から實は九泉の下に捧げられている。
水のなかには、巴蜀の生けるもの全てが棲んでいると思っていたが、
あの日、水の中に棲んでいた唯だ一条の大魚は去り、
遺された水は、どこまでも孤独に澄んでゆくだけになったのかもしれない。
近頃の丞相の真意を測りかねて、
今日は父の力を借りようと、深い蒼色をした、形見の御衣を纏っていった。
当然、あの長大な裄の寸法を直させた。
丞相は何も言わなかったが、気づかぬはずはなく、
かえって丞相の心を傷つけたかもしれない。
いまだ超えられない父帝の大いなる影と、その影を慕いて止まぬ遺臣を思い、
「朕は、そちの魚にたらざるか、而してほかに棲むべき水はありや」
車駕の音に紛らわせ、蜀帝はそっと、嘆息したが、
やはり、其の水を見誤っていることに、気付いていない。
あの日、水は孤独に澄んで行くばかりになったのではなく、
あの日から、徐々に凍てつきはじめてもいるのだ。
一刻でも長く、氷点に至らずにいられるように、
水が凍らずに生き続けていられるように、
父帝が、あの長い腕で、命の限り、暇さえあれば暖め続け、
いまだに其の余熱が、辛くも丞相が方円に自在に応ずる水たり、
なお龍たることを、永らえさせている。
父帝が崩御してしばらくたったのちの、
丞相の口癖のひとつは
”臣、非才にして、陛下のご聖恩と、先帝のご遺徳の賜物でございます”
であるが、「遺徳」には、多分にこの余熱が含まれている、
証明は不可能なこの事実にまでは、蜀帝が思い及ぶべくもなく、
ただ馬車の揺れに玉體を任せていた。