今宵は、恒例の七夕の宴だ。
主座にはご主君、わたしと孔明がそれぞれ両隣に座を占めて、
あとは古参の諸将が順に居流れるという、いつもの席次だ。
「皆々、堅苦しい挨拶は終いじゃ。乾杯としよう。我らが漢王室の弥栄を」
「乾杯」
「乾杯」
ご主君に仕官して、もう何回になるかな、三回ぐらいか。
早いものだな。お仕えして、初めての七夕の宴を思い出すよ。
「こたびは鳳雛先生も我が陣にお加わりあって、いつにも増して、めでたい宴となった」
「我が君、鳳兄、おめでとうございます」
「兄者、おめでとうございます」
「殿、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「皆々、堅苦しい挨拶は終いじゃ。これにて、乾杯としよう」
「乾杯」
「乾杯」
奏者は少ないが、楽の音などまで流れてきて、
この家中らしい宴会が始まった。
珍味などは並びもせぬが、廉くて美味い酒肴の数数と、荊州の美酒。
何も言うことはない。
……だがな、冒頭の、ご主君の口上が余計だった。
この流れでは、はじめだけでもご主君とサシで呑まねばならぬではないか。
孔明よ、微笑んでいないで助けてくれよ。
そんなわたしの内心の悲鳴が全く聞こえていない風情で、
あ奴、向かいで和やかに杯を挙げておるわ。
おおそうか、いつもご主君が離さんので、
このような好機に、皆、一献まじえて近づきになろうというのだな。
「……というわけでな、これは、儂にとっては懐かしい味なのだよ」
「ははあ、左様でございましたか」
おふくろの味のような話なのだろうか、それとも、昔から料理好きだという、
ご末弟の将軍の妻女のことでも褒めておいでなのか、いずれにしても、
馬耳東風、当たり障りのない応答をしておいた。
ご主君と、他愛もない話で盛り上がれるほど、わたしは物好きではない。
頗る面倒くさい。折角の酒がまずくなる。
女官が、お上品にちびちびと酌をしてくれるが、
ほれ、もそっと、ダバっといかんか。ダバっと。
許されるなら、そこの一壷を持ち去って、
どこか静かな河畔ででも手酌をしながら、
適当にばったりと地に仰臥して、今日の星空を視界一杯に仰いだほうが、
よほど興があろうというものだ。
「それでぇ、水の軍師殿はぁ、でかいのと、ぺったんこなのと、どっちが好きだ?」
談笑のはざまから、三の将軍の、ご機嫌な大声が響いてきた。
いつの間にか、あ奴を傍らに連れ去って、明るく絡んでいる。
酒が一巡した頃の、決まり文句なのだ。もちろん、おなごの乳の話だ。
誰にでも、何度でも、これを問い、翌日には忘れている。
「はは、翼徳め、もう酔い始めおったか」
「張将軍は、酔われても、なかなか、潰れてしまうことはありません。さすがに酒豪です」
「そちが、三弟の酒に付き合うてくれるようになって、悪酔いが少なくなった。これも喜ばしい」
「将軍の酒は、元来、明るうございます。ご一緒に呑むと痛快至極」
「それはよかった」
話題もないので、ご主君とふたりして、あ奴をぼんやりと眺める。
ご主君よ。
御口が、半開きになっておいでですぞ。
……誰も気づいておらんが、ちと、間抜けですぞ。
我が軍師に見とれる主君など、聞いたこともないですぞ。
あ奴は、白い扇で口元を隠して、
三の将軍の虎髯の傍で内緒話をするような仕草をして、
にこにこと談笑している。
「エーッ、んなわけねぇでしょうよ! 担ごうったって、だめでスぜ」
将軍は虎髯をつやつやとさせながら、豪快に笑って、酒をダバダバと足す。
「今日こそはっ! 恐妻家同盟を発足させようとおもっとるんでス」
「恐妻家……?」
「そうでス。主だった者で妻帯してるのは、俺と兄者と、水どのだけ。
……言いにくいでスが、兄者の新しい奥方は、ほれ、あの通り。オッカネエ。
てことは、ほらあ、なんと俺ら三人に共通項ができたってコトでスよ」
「いやしかし、我が君は、奥方をお恐れになど……」
「俺が天下で従うのは兄者だけ、天下で一番怖いのはかみさん。水どのもそうじゃないんでスか」
「我が家は、『強妻』でございます」
「何だよツマンネェ。……だが、俺はっ! 俺は押し倒されたことなどないぞ!」
話がかみ合わずに、しかも、ややこしい方へ行こうとしている。
どうせ、今の問答も、翌朝には綺麗さっぱり忘れているのであろうが。
確かにな、あ奴の夫人は、婦女にしておくのは惜しい逸材。
あ奴の岳父の黄大人も、『もしも男であったなら』と、
いまだに常々にこぼしておられるらしいし、実際に男であったなら、
わたしは天下に恐れる者がもう一人増えたところだ。
……あっちの方がどうなのかなど、そりゃ知らんがよ。
いいんじゃないのか、妻女が押し倒したとて。何の問題がある。
真偽はともかくだ、
ほとんど素面のあ奴には、これは、ちときつかろう。
酔ってもおらんのに、ほれ、耳が真っ赤ではないか。
助け舟を求めるように、主座のあるこちらへ眸をめぐらせた。
斜め隣のご主君の座から、
衣擦れの音と、囁いたような気配が聞こえた。
見ずとも分かる。
長いお腕をあげて、あ奴を手招きしながら、
三の将軍にもよく見えるように、お口を大きく動かして、
しかし、宴に水を注さぬよう、お声には出さずに
あ奴の名を呼んで見せたのだ。
絡まれているあ奴は、ほっとした表情で、
三の将軍に注意を促して、将軍はご主君を見ると、
あっさりと、あ奴を解放した。
「ううむ、兄者がお呼びなら仕方ない。同盟はまた今度な!
……おい、こら子龍。お前、嫁さんはいつ娶るんだ。ちょっと艶聞のひとつも聞かせんかい」
「艶聞など、ありません」
「何だよ情けねぇ。お前の槍は昼だけか。いいか、俺がお前ぐらいの時は、そりゃもう……」
おお、ありがたい。
三の将軍の下ネタのおかげで、ごく自然にご主君の傍から
消えることができるではないか。
「……お呼びでございますか、我が君」
ああ、ご主君。
横顔の、目尻がすっかり下がっておしまいになっている。
「おお、呼んだとも。……近う寄れ」
長い御腕を挙げると、お側衆は心得たように、
腰掛をもう一つ運んできて、ご主君の卓の傍へ据える。
御手が届きそうな近さにあ奴を掛けさせて、
「悪く思うでないぞ。三弟は、お前が好きなのだ。孔明。
何をどう話してよいのか分からず、つい、照れ隠しに、
あのようになってしまうだけなのだよ」
「はい」
「一献参ろうか」
「ご相伴に与ります」
もう、宴の喧騒などどこへやら、
おだやかに言葉をかわして、
主座のまわりだけ、帳が巡らされているようじゃった。
それで、今年もまた、その時とそう変わり映えしない宴が、
わたしの眼前で賑やかに進んでいるわけだが。
ところでな。
ご主君は、白髪爺になられても、このご調子なのであろうか。
まあちょっと、見てご覧よ。
もう、この世にあ奴しか居ないかのごとく、
お話とは別に、眸と眸で、何やら語り合うておられる。
よい御歳をして、こっぱずかしい。
あっ。
ご機嫌うるわしく杯を置かれて、なにやら物語をなさりながら、
……どさくさに紛れて、案の陰で、
あ奴の手など握っておられる。
何をしておいでなのだ。もう酔っておられるのか。
衆目も憚らず、御身体半分、あ奴の方へ、
完全に乗り出してしまわれておるわ。
あ奴もあ奴だ。
眸元を染めて、何を俯いておるのか。酔ってもおらんくせに。
いったい、今年いくつになった。十七の娘かよ。
それに、ご主君がおぬしの手を握るなど、
日常茶飯事ではないか。
……わたしだとて、未だに目の遣り場に困ってはおるが……。
そうだよ。見なきゃよいのだ。言われるまでもない。
だがな、背を向けていても、わかってしまうのだよ、
あの主従の、一体何と言うか、酔いを覚えるような
面倒くさく絡んだ情感が。
ご主君は、お幾つになられたとて、
ああしてあ奴を傍に置いて、
掌中の珠玉のようにしておられるのだろう。
このあと何度、このような甘ったるい
七夕の宴に同席せねばならぬのか?
ご主君が仮に、孔夫子の如くにご長命だったとしてだ……。
……おお、気分が滅入ってきたよ。
ご主君には、一日も早く天下をおとりいただいて、
わたしはさっさと、楽隠居をさせていただこう。
来年の今頃は、少しは西進しているとよいのだがな。
ご主君の老後の世話も、御免蒙るぞ。
おい、頼んだぞ、孔明。
主座にはご主君、わたしと孔明がそれぞれ両隣に座を占めて、
あとは古参の諸将が順に居流れるという、いつもの席次だ。
「皆々、堅苦しい挨拶は終いじゃ。乾杯としよう。我らが漢王室の弥栄を」
「乾杯」
「乾杯」
ご主君に仕官して、もう何回になるかな、三回ぐらいか。
早いものだな。お仕えして、初めての七夕の宴を思い出すよ。
「こたびは鳳雛先生も我が陣にお加わりあって、いつにも増して、めでたい宴となった」
「我が君、鳳兄、おめでとうございます」
「兄者、おめでとうございます」
「殿、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「皆々、堅苦しい挨拶は終いじゃ。これにて、乾杯としよう」
「乾杯」
「乾杯」
奏者は少ないが、楽の音などまで流れてきて、
この家中らしい宴会が始まった。
珍味などは並びもせぬが、廉くて美味い酒肴の数数と、荊州の美酒。
何も言うことはない。
……だがな、冒頭の、ご主君の口上が余計だった。
この流れでは、はじめだけでもご主君とサシで呑まねばならぬではないか。
孔明よ、微笑んでいないで助けてくれよ。
そんなわたしの内心の悲鳴が全く聞こえていない風情で、
あ奴、向かいで和やかに杯を挙げておるわ。
おおそうか、いつもご主君が離さんので、
このような好機に、皆、一献まじえて近づきになろうというのだな。
「……というわけでな、これは、儂にとっては懐かしい味なのだよ」
「ははあ、左様でございましたか」
おふくろの味のような話なのだろうか、それとも、昔から料理好きだという、
ご末弟の将軍の妻女のことでも褒めておいでなのか、いずれにしても、
馬耳東風、当たり障りのない応答をしておいた。
ご主君と、他愛もない話で盛り上がれるほど、わたしは物好きではない。
頗る面倒くさい。折角の酒がまずくなる。
女官が、お上品にちびちびと酌をしてくれるが、
ほれ、もそっと、ダバっといかんか。ダバっと。
許されるなら、そこの一壷を持ち去って、
どこか静かな河畔ででも手酌をしながら、
適当にばったりと地に仰臥して、今日の星空を視界一杯に仰いだほうが、
よほど興があろうというものだ。
「それでぇ、水の軍師殿はぁ、でかいのと、ぺったんこなのと、どっちが好きだ?」
談笑のはざまから、三の将軍の、ご機嫌な大声が響いてきた。
いつの間にか、あ奴を傍らに連れ去って、明るく絡んでいる。
酒が一巡した頃の、決まり文句なのだ。もちろん、おなごの乳の話だ。
誰にでも、何度でも、これを問い、翌日には忘れている。
「はは、翼徳め、もう酔い始めおったか」
「張将軍は、酔われても、なかなか、潰れてしまうことはありません。さすがに酒豪です」
「そちが、三弟の酒に付き合うてくれるようになって、悪酔いが少なくなった。これも喜ばしい」
「将軍の酒は、元来、明るうございます。ご一緒に呑むと痛快至極」
「それはよかった」
話題もないので、ご主君とふたりして、あ奴をぼんやりと眺める。
ご主君よ。
御口が、半開きになっておいでですぞ。
……誰も気づいておらんが、ちと、間抜けですぞ。
我が軍師に見とれる主君など、聞いたこともないですぞ。
あ奴は、白い扇で口元を隠して、
三の将軍の虎髯の傍で内緒話をするような仕草をして、
にこにこと談笑している。
「エーッ、んなわけねぇでしょうよ! 担ごうったって、だめでスぜ」
将軍は虎髯をつやつやとさせながら、豪快に笑って、酒をダバダバと足す。
「今日こそはっ! 恐妻家同盟を発足させようとおもっとるんでス」
「恐妻家……?」
「そうでス。主だった者で妻帯してるのは、俺と兄者と、水どのだけ。
……言いにくいでスが、兄者の新しい奥方は、ほれ、あの通り。オッカネエ。
てことは、ほらあ、なんと俺ら三人に共通項ができたってコトでスよ」
「いやしかし、我が君は、奥方をお恐れになど……」
「俺が天下で従うのは兄者だけ、天下で一番怖いのはかみさん。水どのもそうじゃないんでスか」
「我が家は、『強妻』でございます」
「何だよツマンネェ。……だが、俺はっ! 俺は押し倒されたことなどないぞ!」
話がかみ合わずに、しかも、ややこしい方へ行こうとしている。
どうせ、今の問答も、翌朝には綺麗さっぱり忘れているのであろうが。
確かにな、あ奴の夫人は、婦女にしておくのは惜しい逸材。
あ奴の岳父の黄大人も、『もしも男であったなら』と、
いまだに常々にこぼしておられるらしいし、実際に男であったなら、
わたしは天下に恐れる者がもう一人増えたところだ。
……あっちの方がどうなのかなど、そりゃ知らんがよ。
いいんじゃないのか、妻女が押し倒したとて。何の問題がある。
真偽はともかくだ、
ほとんど素面のあ奴には、これは、ちときつかろう。
酔ってもおらんのに、ほれ、耳が真っ赤ではないか。
助け舟を求めるように、主座のあるこちらへ眸をめぐらせた。
斜め隣のご主君の座から、
衣擦れの音と、囁いたような気配が聞こえた。
見ずとも分かる。
長いお腕をあげて、あ奴を手招きしながら、
三の将軍にもよく見えるように、お口を大きく動かして、
しかし、宴に水を注さぬよう、お声には出さずに
あ奴の名を呼んで見せたのだ。
絡まれているあ奴は、ほっとした表情で、
三の将軍に注意を促して、将軍はご主君を見ると、
あっさりと、あ奴を解放した。
「ううむ、兄者がお呼びなら仕方ない。同盟はまた今度な!
……おい、こら子龍。お前、嫁さんはいつ娶るんだ。ちょっと艶聞のひとつも聞かせんかい」
「艶聞など、ありません」
「何だよ情けねぇ。お前の槍は昼だけか。いいか、俺がお前ぐらいの時は、そりゃもう……」
おお、ありがたい。
三の将軍の下ネタのおかげで、ごく自然にご主君の傍から
消えることができるではないか。
「……お呼びでございますか、我が君」
ああ、ご主君。
横顔の、目尻がすっかり下がっておしまいになっている。
「おお、呼んだとも。……近う寄れ」
長い御腕を挙げると、お側衆は心得たように、
腰掛をもう一つ運んできて、ご主君の卓の傍へ据える。
御手が届きそうな近さにあ奴を掛けさせて、
「悪く思うでないぞ。三弟は、お前が好きなのだ。孔明。
何をどう話してよいのか分からず、つい、照れ隠しに、
あのようになってしまうだけなのだよ」
「はい」
「一献参ろうか」
「ご相伴に与ります」
もう、宴の喧騒などどこへやら、
おだやかに言葉をかわして、
主座のまわりだけ、帳が巡らされているようじゃった。
それで、今年もまた、その時とそう変わり映えしない宴が、
わたしの眼前で賑やかに進んでいるわけだが。
ところでな。
ご主君は、白髪爺になられても、このご調子なのであろうか。
まあちょっと、見てご覧よ。
もう、この世にあ奴しか居ないかのごとく、
お話とは別に、眸と眸で、何やら語り合うておられる。
よい御歳をして、こっぱずかしい。
あっ。
ご機嫌うるわしく杯を置かれて、なにやら物語をなさりながら、
……どさくさに紛れて、案の陰で、
あ奴の手など握っておられる。
何をしておいでなのだ。もう酔っておられるのか。
衆目も憚らず、御身体半分、あ奴の方へ、
完全に乗り出してしまわれておるわ。
あ奴もあ奴だ。
眸元を染めて、何を俯いておるのか。酔ってもおらんくせに。
いったい、今年いくつになった。十七の娘かよ。
それに、ご主君がおぬしの手を握るなど、
日常茶飯事ではないか。
……わたしだとて、未だに目の遣り場に困ってはおるが……。
そうだよ。見なきゃよいのだ。言われるまでもない。
だがな、背を向けていても、わかってしまうのだよ、
あの主従の、一体何と言うか、酔いを覚えるような
面倒くさく絡んだ情感が。
ご主君は、お幾つになられたとて、
ああしてあ奴を傍に置いて、
掌中の珠玉のようにしておられるのだろう。
このあと何度、このような甘ったるい
七夕の宴に同席せねばならぬのか?
ご主君が仮に、孔夫子の如くにご長命だったとしてだ……。
……おお、気分が滅入ってきたよ。
ご主君には、一日も早く天下をおとりいただいて、
わたしはさっさと、楽隠居をさせていただこう。
来年の今頃は、少しは西進しているとよいのだがな。
ご主君の老後の世話も、御免蒙るぞ。
おい、頼んだぞ、孔明。