【新三国アンソロ参加】 漢水千里情(かんすいせんりのじょう)

2011/10/28

サンプル

 今上の叔父と敬われて久しく、齢五十を数えんとする彼は、
先年に江東から持ちかけられた禍を福に転じた。

 禍とは、飽きるほどに前例を求め得る、ありふれた美人計であった。
見え透いてはいたが、状況から見て、肯うほかに道などなかった。

 福とは、呉侯の、若く美しい妹姫を後添いに娶った慶事にとどまらない。
 偽りの縁談が現実に転じた結果、美人計の半ばは破れたものの、
江東の大都督は彼を贅沢漬けにして飼い殺そうと更に謀った。
彼だとて木石ではないが、これには見くびられたものだと密かに失笑した。

��私は、確かに贅沢の味など知らぬ。だが、大都督がご存知の貧乏など、
私の比ではない。貧者は何もかも売り渡すだろうと心得違いをしておる上は、
勝敗は見えておる)

 呉侯も大都督も一代の英傑たりといえども、艱難に満ちた彼の半生に比すれば、
まだ辛苦を知らぬ孺子である。時には矜持すら棄てたように、相手の思惑に乗ったかを
装ってみせる如きなど、彼は幾度も甘んじてきた。

 銀を乱費するたびに、いまこの時を生きる為に必死な、
何処の誰とも知れぬ貧しき一家族の姿が彼の脳裏をよぎる。
美酒を呷るたびに、いつどのように江東を脱出すべきか、
その一事で頭はますます醒めてゆく。豪邸での起居は臥薪であり、
美食は嘗胆に等しかった。

 同盟国にして、しかも死地である不穏な江東で一日生き延びれば、
我が荊襄の備えは一日分堅牢になる。彼は、その身を質にして、
荊襄を磐石たらしめる時を稼ぎ続けていた。帰る日が来ぬかもしれぬ毎日を、
ついに耐えおおせたのだ。

 生ける屍に大志をひた隠しにして、いままさに数ヶ月ぶりに漸く襄陽の城へ生還した。
まろび出てきた義弟二人と、門前で再会を喜び合い、息を吹き返した心地であった。

「軍師は? 孔明はどこだ。早く会わねば。孔明の智略がなければ、
今頃どうなっていたことか」

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2011年10月30日 発行(ご主催 「無天下帖」 まつは様) 
新版ドラマ三国志アンソロジー『新版 さんごく!』 参加作品  

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※サンプルの掲載については、ご主催のご了承を得ております。

※web用に適当に改行しておりますので、実際の紙面とは若干異なります。






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