緊緊聞啼鳥(下)

2011/11/01

3世紀(ファンタジー・詩歌他)

その夜、彼は、鳥になった我が龍とともに、
楼台に登った。

彼は、星を観る我が龍を偸み見ていたいのだが、
常日頃は、星を観る邪魔をせぬように、辛抱強く待っているのだった。

ただし、今日は状況が異なる。

晩の餐のあと、彼はいつものように私室で、
白い鳥の姿の我が龍と談笑していた。

はじめは、彼が独り言を言い続けているような奇妙な雰囲気に、
(殿様は、おかしくなられたのか)
と、お側衆は午頃から落ち着かぬ風であったが、
平静を装って低頭気味に控えながら視界の端でその様子に注意していると、
彼の温厚な王風には全く翳りがない。

(すると、軍師さまの計略なのかもしれない。
殿様のお腹芸は、何と言っても天下一なのだし)
と、お側衆は何となく点頭しあって、
ともかくも、彼の『お芝居』かもしれない
小鳥との生活に、打ち解けようと努めるのだった。

くだんの白い小鳥は、小さな皿に供された茶を
行儀よくちびちびと飲んでから、白い翼を広げて戸口へ飛び去り、
つぶらな瞳で彼をみつめから、愛らしい嘴で扉をこつこつと敲いた。

「そうか、そろそろ、星を観る刻限だったのう。儂とゆこう。乗れ」
と、肩を叩いて、心なしかうきうきと腰を上げた。
『ひとりで大丈夫です』
という囀りに

「ならん。意地の悪い烏に絡まれでもしたら、どうするのだ」
彼はしっかりと白い翼の我が龍を腕にしてから
扉を開けたのだった。

つぶらな瞳をまばたきもせずに、鳥になった我が龍は、
満天の星をじっと仰いでいる。

あるいは、今宵は己の星を観て、この奇怪な出来事を占っているのかもしれない。

ややあって、肩のあたりにに、ため息のようなものを感じて、
彼はたちどころに言い当てた。

「……孔明よ、今、よからぬことを考えたであろう」

彼は、ともに夜空をあおいだまま、咎めるわけでもなく、穏やかに質した。

「今、飛び去ろうと思うたであろう」

小枝のような両脚が、肩をぎゅっと掴むのが、衣ごしに分かった。

「鳥の姿では、ゆくゆく、儂に不利益を招くと考えたのではないか。
よいか、儂にはの、そなたが龍であろうと鳥であろうと、
あまり違いはないのだよ」

巨きな耳の傍で、悄然と萎れている我が龍が、目に見えるようだった。

「儂を離れて生きてゆきたいのがお前の望みならば、そうするがよい。だが、儂の為と思うて、いずこかの木の洞で食を断って事切れようとでも思うておるなら、それは誤りぞ」

説き伏せようとするような様子は全くなく、彼は淡淡とつづける。

「もしそのようなことがあらば……儂はおそらく何も食えんようになろうな食わずとも、すぐには死なん。儂を哀れと思うたなら、息のあるうちに
思い直すか、……一目会いに、帰ってきておくれ」

彼はそう言いながら、
(いかん。儂が死ぬことを言うのは、卑怯であった)
と、龍の弱点につけこもうとする己の無意識と無神経を戒めた。

「それでもなお飛び去ろうと思うならば、そうしてもよい。儂はお前を鳥籠に入れたり、脚を紐で戒めたりはすまい。
だが、よう聞け。
仮にこののち、お前がずっと鳥であったとしても、儂はお前と飯を食い、お前を抱いて眠るのだ」

叱るわけでもなく、声を荒げるわけでもなく、おっとりと諭すような口調で、まるで
『太陽も月も星も、東からのぼるものである』
という当然のことわりを述べるだけのように、事も無げである。

彼は、我が龍がどんなに巧妙に本心を秘め匿していたとしても、そして時には、故意にそれに気づかぬふりを装って、我が龍を騙しおおせていたとしても、いつでも、たやすく見破ってしまっているのだ。

たとえ、鳥の姿になってしまった今でもそれは少しもかわらぬことに、
白い龍は瞳いっぱいに涙をたたえた。

「それ見たことか。涙を流す鳥など、この世のどこを探しても他におらんではないか。……よしよし」

彼は長い腕を広げて、白い鳥の姿の我が龍を懐にだきかかえ、ちいさな瞳を傷つけることをおそれながら、まるで嬰児をあやすようにして、相好を崩して、泣きやむのを待った。

彼は未だ嘗て『泣くな』と言ったことが無い。
それも普段と何も変わらなかった。

「そうじゃ、あとで、盥に湯を張らせてな、風呂に入れてやろうか? ……ハハ、冗談じゃ。これ、逃げるでない」


……その夜半。
花の王冠を戴き、虹色の外套をまとった男と、鶴に乗った道士、そして、小柄な少年の妖精が、彼らの枕元に漂っていた。

「ハッハッハ、この男は、鳥に恋をしてしまったというわけか」
花の王冠が揺れて、夢のように花弁が舞い落ちるが、床に落ちる前に悉く虚空に消えてしまう。

「笑っておる場合ではないが、ちょっと笑える光景ではある。鳥だぞ、鳥にだぞ。熱い接吻すらできんではないか。不憫よのう。ヒィ、腹が痛い。ハッハ」

王らしいおもだちを崩して、傑作、傑作、と、腹をかかえて笑っている。

「いえ、じつは、……そうでは御座いませんのです、大王」
「何が違う。後生大事に、ほれ、鳥を抱いて寝ておるではないか」
「いえ、これはいつもの惚れ薬ではございません」

惚れ薬とは、西の妖精の王だけが持っている、成分不明の
「目覚めて初めて目にしたものが何であろうと恋焦がれる」
魔法の液体である。

「何だと、どういうことじゃ。パック、白状せい」
少年の妖精は、襟首を掴まれ、首をすくめてしどろもどろに事の経緯を述べた。

「お許しください大王様。正直に言います。王様の魔法の薬を使うご命令を果たすついでに、イタズラもしちゃおうと思って出かけた途中、昔みかけた、世界で一番耳の大きな男が、その後どうなったか、急に知りたくなって、目にもとまらぬ速さで五大陸を駆け巡って探し当てました。
……そうしたら、なんかキレイな顔した人間と枕を並べて、平和そうに仲良く寝てるじゃないですか。おかしいぐらい耳の大きなこの男がですよ。
惚れ合っているヤツラに、惚れ薬を使ったって、ちっとも面白くないじゃありませんか。腹いせに、目が覚めて初めて見た人間が禽獣になる方を、
使ってやりました」

「こやつめ、また面倒を起こしおってからに……。まことだろうか、管どの。呪文を間違えると、本来鳥であるものを人間にしてしまうことになりかねん」

「大王、この君臣の仲のよさは、わたしも請け合います。
念をお入れになるならば、オーベロン王、人間に化けて、この城の者どもに、それとなく問われませ」

「わしはそれほど暇でもない。おぬしを信じよう」
大王と呼ばれた男は、抑揚のある魔法の呪文を詠唱すると、虹の外套をさっと翻して、
「帰るぞ、パック。お仕置きは覚悟しておけ」
「ええーっ、大王さまだって、お笑いになったじゃありませんか」
「傑作とは別儀じゃ」
威厳のある声を闇に渡らせて消え、道士も鶴の翼を広げて飛び去った。


翌朝の寝台の上で、人の姿に戻った我が龍が、結い上げもせぬ長い黒髪を伸べている寝姿をみとめ、ほっとする前に、夜具から覗いた白い肩の丸みにはっとして、動悸と共に急いで着替えを取りに走っていったことは、
彼だけの秘密でもあった。

( 了 )