徐徐黄葉飛(じょじょとしてこうようのとぶをや)

2011/12/01

うをとみづ3世紀SS

今上の叔父と呼ばれ、実質上の荊州牧である彼は、
この世で一条の龍を伴って、
少ない供ぞろえで、収穫も終わらんとする近郊へ、
おしのびの視察に出かけた。

公の視察は、農閑期が望ましい。

民の働きを邪魔せぬように、
木立の多い高台を何箇所か選んで順に巡り、
刈り入れた穀物や、木の実や茸で満載にした荷駄を、
牛馬に牽かせて盛んに運ぶ様子を、
そっと遠くに望みながら、彼は、この年の豊作を領主としてよりも、
ここに住まう者としての喜びととらえてかみしめた。

我が龍の働きで、着着と戸籍はととのい、
広く公平な徴税は、薄いままであるというのに、
たしかに緩い増収をもたらしている。
くわえて、彼らは倹約家である。

暮れる前に府へ戻らんと、
ふと仰ぎ見た蒼天に、枯れ枝を揺らす梢の風情に、
彼は返した踵を止めた。

銀杏の木は空を黄金色でくっきりと画すことをやめ、
はがれてゆくような寂しさをまとって、寒空に葉を落とすばかりである。

「そういえばな、いつぞやの酒の肴が、銀杏の実であったな」
「はい」
「炒ったものじゃったな。うかうかと、幾つも食うて、止められたな」
ふたりはその日を思い出して、明るい聲と澄んだ聲とを揃えて笑った。

銀杏の実は、肺腑の病によく利くとも言われており、
効能が高いことが災いせぬよう気にかけて、
向かいで餐に与っていた龍は、十個目を数えたあとに、
彼を制したのだった。

「過ぎたるは何とやら、であるな。
特別に旨いというわけではないが、手のかかるものじゃ。
一年、また瞬く間であったと思う味わいじゃった」
「……はい」

彼は、誰にでも愛される花鳥風月も喜んで賞するが、
誰の注意を惹かぬものにすら、
温かいまなざしを、しばしば注ぐのである。

咲き始めばかりもてはやされ、
もう散るばかりになって忘れられた蝋梅を
「この寒さに、ようも辛抱して咲いておったのう」
と労い、
桃の花の蕾が覗く頃には
「まだ春であるのに」
と、木の下の花もない翠の萼紫陽花に話しかけ、
曼珠沙華の背丈が目立ち始めれば
「誰に教えられたわけでもなかろうに、賢いのう」
と、毎年のように褒めている。
然らば、錦がほどけてゆくようなこの落葉にも、
同様である。

ただ優しいのではない。
疎にしてもらさぬという種類であると考えた方が
近いようである。

なにごとも目には映っていても、
見ようとせねば見えぬということを、
龍は彼の傍らで、戒められるような心地になることが
しばしばである。

凡庸を装っているのではないかと見誤るほどの
温厚さの中には、疎にして行き届く目が
隠されているのであり、彼は明らかに何事についても
己の見解は持っているにもかかわらず、
我を通そうとすることは極めて稀である。

而して、彼は周囲の進言はもちろん、殊に、
我が龍が謀ることを、巨きな両耳でよく聴き、
ほとんど「不可」を言わない。

龍はこうして、彼の傍で謀る日が一日増えるごとに、
きっと気づかずに至らぬままであろう面を黙然と赦す、
その、一種の忍耐ともいうべき王たる徳に、
あらためて頭が下がる思いであり、
王風を備えるその容貌は、いよいよ眩しい。

否、既に忍耐ですらないのかも知れない。
天意と人の世の間に位して、
それが姿を呈すると、たとえば彼であり、
いわゆる『人力に非ざるなり』を、
目の当たりにする心地で、瑞獣ごときに
喩えられる我が身を羞かしく思うほどである。

実が落ちた銀杏の樹の付近は芳しくないものだが、
どこかで焚かれているらしい落ち葉の、
乾いた懐かしいような煙の薫りが北風の間に乗ってたゆたい、
辺りは淡く燻されているかのようである。

「儂は、花よりも木の葉でありたいものじゃ」
まるで彼の話に応じるかのように、梢のあたりから風が吹き降りて来、
銀杏の葉は、相前後して誘い合ってはらはらと落ちた。

「そうよの、このような、うるわしい扇形でのうてよい。
……かしこの、鈴懸の木の葉ぐらいにな、
がさがさと、多少は歪でも、大きいのがよい」

木の葉を望むこの心は、謙遜ではなく、
ものも言わずに枯葉を落として春まで虫どもを眠らせ、
一人でも多くの者の寒さをしのがせようともする、
陰徳や実益の重視とも見える。

または、うるわしい思い出を残すよりも、
去りてなお温もりのための料を遺したいというかのごとき、
次代への情け深さに満ちている。

龍は、かなしいほどに優しい彼の心ばえの本質の
いくつもを機敏に察しては、
黄色い葉のゆくえとともに視線を落とし、
白い羽の扇をぴたりと動かしもせず、
ひっそりと息をこらえるような僅かな気配を隠そうとする。

俄かな静寂に応じるように、吹き溜まった枯葉が、
からからと無関心な音をたてた。

「のう、孔明よ」
漂うてきた、不安に似た様子を温めるかのような聲音で、
彼は我が龍のあざなを呼んだ。

「一夜にして葉を落としてしまう樹を、そなたは知っておるか」
「……いいえ、存じません」
僅かに沈んだような聲に、彼は笑みを含んで応じた。
「儂も知らんよ」

同じ床で寝起きし、同じ食を摂り、
同じ空を仰ぎ、いま緩やかに落つる同じ葉を見ている。

木の葉が落つるように、いずれ至る時を徒におそれて、
今この時を嘆きに費やすことの愚を、
彼は少しも責めもせず、知らぬふりもせず、
それにすらも落葉を見るごときまなざしを注ぎ、
形はいびつでも大きなる言の葉で、
我が龍を温めるのであった。

「ゆえにな、今は、これを火にくべて、
何を焼いて食うたら旨かろうかを、考えようではないか。
互いに食養生して、長生きせねばならんのだぞ」
「はい」
「碁と同様、儂が先番でよいか……『林檎』」
「……『豚の耳』……」
「そりゃ、お前は苦手であろう」
「我が君はお好きです」
「それはそうじゃが、お前の好きなものでよいのだぞ」

互いに、互いの好物ばかりを列挙しながら、
どちらからともなく手を携えて馬車に向かう二つの影を、
数葉の落ち葉は名残惜しげに見送った。