日月両把劍 餘話

2015/10/01

3世紀被害譚SS

 父上。

 主公は漢中王におなりあそばして、臥龍先生は剣を賜りました。

 いわゆる「先斬后奏」の剣という意味なのだとわたしは解釈しています。

 おそらく先生はこの鞘を払うことなど生涯ないのでしょうが、父上から託された、例の不揃いだった伝・黄石公の剣飾を臥龍先生に差し上げて取り付けていただき、日の目を見せることができました。

 長年行方不明だった鐺の玉剣飾には金属の覆いがしてあったそうで、戻ってきて他の三つと並べても、はぐれていた年月を感じさせませんでした。
 何のめぐりあわせか、全部揃ったいきさつを御覧になっておいででしたでしょう。

 じっと手元に置いておいても揃う兆しも何もあったものではなく、実は少々面倒くさくもなっていたのを、剣飾は察知したのかもしれませんね。売り飛ばされてはたまったものではないと。
 
 ……なんて冗談を言うと、父上はおなかを揺すってお笑いになりましたわね。

 
 あれは、わたしは今では、むしろ留侯の剣飾だと思っているんです。黄石公の剣飾ではなくて。
 いいえ、思いたくなった、が正しいかもしれませんね。

 留侯は漢室の功臣にして、いちはやく鮮やかに身を引き寿を全うした賢者と見えますが、もし高祖の晩年をお支えして閨閥の増長を抑えることができたなら、初代にして血塗られた漢の歴史はもう少し違ったものになっていたのではと惜しみます。

 伝承によれば留侯は秦始皇の暗殺を企てるほどの激しさを秘めたおかたというのに、もしかしたら秦さえ打ち滅ぼし、あらたな治世の到来を見届けさえすればもう宿願は果たせて、その後の漢の内容がどうであろうと、実はそれほど関心は無かったのかもしれませんね。
 
 思惑はどうあれ、高祖が一介の亭長から帝にまで昇りつめることができたのは、早くから留侯という賢者が傅いていてこそ、とくに鴻門宴で高祖が九死に一生を得たのは留侯が居たからこそ。

 その感慨を思うと、この両者の別れは本当に
「留を賜る」
 という淡白な落着でよかったのかしらと思うことがあります。

 この広い中華を統一できる王があらわれるなど、少し前の世ではどの王にとっても夢物語だったに相違ないのに、秦始皇はしおおせてしまいました。統一が可能だということが証明されてから初めて立ったのが高祖といえましょう。

 当時いまだ数名しか昇ったことのない玉座に就いてのち、高祖は留侯の知る高祖でありえたでしょうか。もしかしたら、高祖も留侯もなすすべもなく、両者の心も考えも遠ざからざるを得なかったのかもしれません。

 この剣飾の由来なんていまや知る由もありませんが、四つのうち一つだけはぐれていた、なんて明らかに故意にです。

 わたしが考えついたことは二つです。
 ひとつは、この剣飾の力を削いでおく必要があった。
 ふたつ目は、別な剣の力を削ごうとして一部取り付けた。

 わたしは、ふたつ目ではないかと思うのです。
 もしかしたら、高祖にまつわる剣に、願いか祈りをこめて。

 璉璉があとで古道具屋の主人から聞いた話だと、鐺を持ってきたのは鍛冶屋のお爺さんだったらしいのです。
 てっきり、先代の牧の宝物蔵から流布したのだろうと思っていたら、どうやらその時お爺さんは主公の剣の御用を仰せつかっていたようなのです。

 三略には優れた兵法がいくつもあるのに、盒には選んだように「水」のくだり。
 ずっと大王の剣の鐺を守り、待っていたことにさえなろう、我が家のこの剣飾。  
 実に興味深いです。
 
 あのまま父上が持っていて、たとえば劉の叔父上……劉荊州と縁があっても良さそうだったのに、隆中へ発つときにわたしが預かってから、気づいてみればここ益州まで運んでやったことになりはしませんか。

 隆中でまみえたのは、大王と臥龍先生だけではなかったのかもしれませんよ。
 
 もう削ぐべき、それとも封ずるべき何かはなくなり、あらためて何か劉とし残したことを始めようとする証かもしれないと思うなんて、物に心を見いだし過ぎでしょうか。
 
 でも、からくりを作れば作るほど、閃きを与えてくれる目に見えぬ力や、いまだ人智では測り知れぬ何か大いなる力を、おろそかにせず畏れ敬うべきであることを年年歳歳に感じます。

 父上は、怪力乱神についてはどうお考えだったのかしら。ついぞお聞きする機会もありませんでしたけれど。


 わたしの無上の喜びは、いずこからともなく沸き上がる、動力についての閃きを目に見える形にすることで、諸葛家には本当に申し訳ないのですけれど、子を産み育てたいという、女なら誰にでも備わっているらしい願望が、全く欠落してしまっているのです。

 たとえば臥龍先生のかいなにいだかれ、詩や絵にえがかれる巫山の夢とやらをみたいなどという衝動それとも願望がよぎったことなど一度もないのです。

 幼い頃から草花や小動物を観察し、下女の噂話にも耳を欹ててきた私は、人も禽獣も殖える理屈は同じだろうと早くに気づいていました。

 子を望まぬのにそのようなこと、考えただけでも苦痛です。
 臥龍先生のようにうるわしく品のよい君子ならば、などという話も論外です。
 誰とでも嫌なものは嫌。

 それに、蔡の叔母上が母上と奥のことをあれこれ話していた内容も、わたしにはどれも下らない暇つぶしにしか聞こえず、まかり間違ったなら鋸と槌を取り上げられて、粉黛にまみれ、陰湿な政治めいたことに明け暮れることになるのだと、心底おびえていました。

 有り体には言いませんでしたが、父上には
「嫁になど行かない」
 と、再三再四、宣言しましたね。

 そのうち
「行かない」
 のではなく
「行きたくない」
 という本心を何度もお話しました。

 さすがに、耳にタコができましたでしょ? 
 くどいのは承知でした。
 だって、はじめは信じておいでじゃなかったし、年頃の娘の気まぐれ、ということで一笑に付されたくなかったんです。
 いくら不器量でも、鏡を見れば女子に生まれついてしまったことぐらい弁えていましたから。
 
 幸いにもわたしは、美しい母上にも更にお美しい叔母上にも似ず父上に似ましたので、言い寄ってくる者もおらず、荊州の閨閥といえた蔡の叔母上も、不器量なこの姪を敢えて押しつけてまで縁を繋げたい者が当時いなかったと見えて、わたしに縁談が来ることはありませんでした。不器量でよかったです。

 でも、母上は
「早く何とかしないと行き遅れて取り返しがつかなくなる」
 と、蛾眉を顰めては困っておいででしたね。泣き崩れてみたり、激昂してみたり。

 実はわたしは、母上の困り果てた様子を内心面白がっていました。

 だって、わたし一人ぐらい嫁にゆかなくとも天下に何の影響もないというのに、天でも落ちてくるような深刻さが滑稽で仕方なくて。

 そして、わたしが嫁に行かなくて困る者なんて、当の母上ひとりだけで、特に父上はこの件について全く母上の話を取り合わず、わたしは本当に救われていました。

 父上さえお許しくださるなら、どこかひっそりとした里の土地を分けていただき、璉璉と畑をやりながら発明をする一生を送れたならと夢見ていました。

 いつか、洗濯のからくりを完成させて、あの重労働から世の女たちを救うことができたなら。
 これが、あのころからずっと変わらない、わたしの宿願です。
 いまだに完成の兆しが見えないのがお恥ずかしいけれど……。

 父上は、母上とは違って、こんなわたしを心から慈しんでくださいました。
 娘だけれど、普通の娘じゃないらしいというのに、このままで良いのだと、いつでも味方になってくださいました。
 私は、黄承彦という人物を父に持って幸せでした。

 とうとう父上は、臥龍先生という変わり者とめあわせてくれ、わたしの、いわゆる終身の大事さえも誤りませんでしたね。これはわたし自身の生涯についての予測を大きく覆した出来事でもありました。

 あの夜は大喧嘩しましたね。
 わたしは喧嘩だと思っていましたけれど、父上はそうではなかったのですよね。
 縁談を持ってきた父上を、わたしは激しく詰りました。
 父上も結局、わたしを本当にわかってなど下さっていなかったと。

 父上はおっしゃいましたね。
 月英は、黄の家の外に生涯安全なところを持つべきなのだと。
 それは臥龍先生のところだと。
 そして、臥龍先生は月英によく似ているから間違いないと。

 男なんて皆同じだと決めつけて異議を唱える私に、父上はおっしゃいました。

「世に既に月英あり。しかして、ひろい天下にもう一人ぐらい似た者がいて何がおかしいか。おのれ以外はあり得ぬのか」

 あの頃、自分が普通じゃないことを、自分だけは特別だということと同義に考えがちでした。
 そんな風変わりな臥龍先生を否定することは、普通じゃない自分も否定することに似て居ると気づきました。


 いよいよ隆中へ向かう日、父上と離れるのは辛かったけれど、あの因習の塊のような母上から解き放たれてゆく道中、翼が生えたように感じましたのよ。

 臥龍先生はあんなお方だし、その賢弟も
「嫂とはこうあるべき」
 なんて思い込みが全くない人で、もしかしたら上の二人の哥よりもあの賢弟こそ真の賢者かもしれないとさえ、いまだに思うくらいでしたし。

 ここだけの話、車中で璉璉が
「お嬢様。もしも旦那さまのお見込み違いだった時は、この璉璉がお嬢様の身代わりになります」
 と、きっぱりと言うので、肚が決まりました。

 璉璉を差し出したりするものですか。
 そんなことをするぐらいならば、側女の一人や二人を見繕う間に、夜の世話をするからくり人形ぐらい徹夜で拵えてみせるわと、その設計図ばかりぐるぐる考えていましたわ。
 やはり父上の目に狂いはなく、杞憂でしたけど。

 思えば父上としては、ご自身亡き後のことまでお考えになっての縁談だったのですよね。
 わたしには子はないながらも、あの時の父上のお気持ちが少しだけわかってきました。


 そうそう。わたしは、ちょっと臥龍先生に焼きもちを妬いてしまうことがあるのですよ、父上。
 主公、いえ、大王に対してではなくて、ですよ。

 臥龍先生はときどき、お宿下がりを命ぜられているらしく、渋渋と……。
 ふふ、父上がいらしたら、ここでも大笑いなさいましたでしょうね。 
 それは渋渋と邸に帰ってお見えになりますのよ。

 このあいだも、元宵の頃にお戻りになりました。
 渋渋です。
 わたしの図面を見たり舞箒伍號機の改良点を見たりして、あとはお昼寝と天文、それなりにお寛ぎではあるけれども、なんだかいつも気はそぞろです。お静かなので、手がかからず助かりますけれど。

 顔と背に、書いてあるんですよね。
「我が君はいま何処で如何にしておわすやら」
 って。
 そんなに王府へ帰りたいならいくらでも正当な理由を適当につけてお帰りになればいいのに、なさらないんです。
 たぶん、大王がお命じの日数を馬鹿正直に過ごしておいでなんです。
 本当はわたしよりも馬鹿?
 って疑ったこともありましたけれど、違いましたね。国政や外交のこと以外で、なぜか滅多に大王には逆らえないのでしょう。

 このあいだ、舞箒の作動音がどれくらい静かになったか実験しようと思いついて、お昼寝中の部屋へこっそり侵入して仕掛けていたときのことです。
 寝言ですよ。
「亮在」
 ですよ。
 亮は君前に、って。
 それも、囁くように。

 荊襄を争っていた頃はいざ知らず、いまや五虎上将すら顎でお使いになる臥龍先生がしおらしく諱(いみな)を申し上げるなんて、江東の大哥は別にして、益州には唯お一人じゃありませんか。

 いまだに同じ食卓に就き、同じ寝台で眠っているらしいんですけど、もう卅五ですよ? 
 まあわたしも、璉璉とだったら嫌じゃないけど、好んで寝台に呼ぶかといったら別ですよ。
 臥龍先生のことを見聞きしていると、もしかしたら自分は自分が思っているほどには変じゃないのかも……。と、錯覚に陥ります。

 危ない。
 今だに充分に変なんだから。
 臥龍先生にも璉璉にも誉められてばかりだから、世間とズレてる。
 思い上がるな月英! 活!

 

 そうそう、これはいつでしたか、急にお召しのお使者が来た時なんて、お使者の姿を見ただけでもう、お顔がね。
 わたしが父上にお見せする顔と多分似てる。同じじゃないけど。

 お使者は大王じゃないというのに、向こうに大王が透けて見えてしまっている感じです。
 いまどきの若者言葉でいうなら 
「めっちゃ輝いてる」
 って感じね。
 ああいうお顔で、大王をご覧になっているのね……。と思うと、なんだか妬かずにはいられませんよ。

 まだ父上が居るなんて、先生だけ狡い。

 とはいえ卅五にもなって、たとえば父上と寝る?
 ……わたしは嫌だな。父上は大好きだけど。
 この際、引き合いに出すべきが母上だとしたら絶対に嫌だわ。
 あの、物の見方が一晩で伝染しそうよ。ゾッとする。

 
 何がどうあれ、成都に君臨なさる大王のおそばで日夜養われているあの風変わりな天才の姿を思うと、とにかく一日でも長く君側に侍っておいでになれるようにと願わずにはいられません。

 大王は御年五十五をお迎えになりました。

 あの福相と強運をお持ちですからご長寿であろうとは思いながらも、臥龍先生が、いまわたしが父上をお偲びするように大王を思う日が一日でも遠いことを祈らずにはいられません。

 そしてどうか、大王が漢室中興をお果たしになったのちも、おかわりない仁君であらせられますように。
 功成りてのち、もしも臥龍先生が隆中へ帰るお暇請いをなさらなくてもお許しくださいますように。

 先生に対しては義兄弟のような気持ちです。
 先生はどうお思いか分かりませんけれど、わたしは姐のような気持ち。
 
 戀が、産み落としたいという気持ちを必ず伴うものならば、わたしは詩に出てくるような情趣とは如何なるものなのか分からずに、一生を終えるであろうことが寂しく感ぜられることも有りはしましたが、今は別にどうでもよくなってしまいました。

 それに、この歳で子を儲けている女なんて、身の回りには居ませんから、みんなもう「時間切れ」な感じで諦めているようで、仄めかすようなお節介も全くなくなりましたので、わたしにとって加齢というものも味方です。この気楽さ、若い頃は思いつきませんでした。

 おかしな父上に恵まれ、変わり者の夫君に巡り合え、わたしは己の宿願が、世の多くの女たちとは違うらしいことに自信と確信を持てる日が多くなってきました。

 なんだかんだ言って、普通じゃないことに負い目を持ってはいたようです。

 今でもふと不安になりますけれど、そのたびに、これは母上の考えが刷り込まれている結果であって、わたしの本当の感情ではないと、冷静に確認しては頷いています。
「そうじゃ、それでこそ月英じゃ」
 と、豪快に笑って許してくださった父上なきあと、耳に残る父上のお声を頼りに、自分でしっかりしなくては。

 だからこそ妬けるのかもしれません。

 普通じゃなくて良いのだと、あるいは普通であるべき必要などないと、いまだに毎日のように仰せくださるのであろう、それとも仰せになりもせずにそれを伝え得るのであろう御方のお側に安心して暮らす臥龍先生が、ね。