錦江秋風聲

2021/08/23

3世紀被害譚SS 三世紀ss

建興十三年八月廿参日

小雨のち曇 秋の風涼し

 

陛下恵陵へ行幸せたまうに同行

 

先帝を拝し奉り

前丞相忠武侯のご命日にあたるため

定軍山の武侯墓を遥拝

 

南門から錦江を望み前丞相を偲ぶ

皇宮へ戻る車内にて陛下に進言

 

折を見て恵陵の隣に前丞相の祠堂を建造し

先帝の御霊を安んじ

前丞相の霊をお慰めあっては如何

 

陛下ご同意あり

折を見て蔣琬に相諮るとのご叡慮

 

大将軍蔣琬は堅実にして

今や国の柱と言うべきも

恐らくは祠堂の事の実現

速やかには進まぬこと必定なるべし

 


 今日の日記はいつもより長く書けました。

 わたしが皇后として今も成都で生きているのは、さきの丞相のおかげなのです。

 今日という日を、特別に感じずにはいられません。

 


 今宵の後宮に、陛下のお渡りは恐らくはありません。

 いつもなら、他の寵姫のところへお渡りの遣いがあった旨の報告を、既に受けています。

陛下は今宵はお慎みあそばすようです。


 

 陛下はお優しいし、重要な行事には必ずわたしを伴って、皇后としての面目を立て、守ってくださいます。

 

 仲が悪いわけではないし、たとえ世子に恵まれずとも、わたしには何の不満もないのです。

 

 陛下は弟のような方。

 わたしの実弟とは随分とご気性が違ってはいても。


 

 ……客殿に臥室を用意させていますから、もう少しの間、話し相手になってくださる?

 

 


 昔、わたしには想い人が別にいたのだけれど、その方は若くして戦で命を落としましたの。

 

 その頃のわたしは悲嘆のあまり、自分がどうやって生き延びられたのか殆んど覚えていない程でした。

 

 ただ世の全てが白と黒の、墨絵の世界になったことを覚えていますわ。

 

 母には本当に心配をかけました。

 父は成都を離れ、長らく閬中という所におりまして会うこともなく。

 


 

 ……あなた、絶望って、ご存知?

 

 泣き暮らす、程度のことではないわ。

 

 涙も笑顔も忘れ、何を見ても何も感じず、何を食べても何の味もしない。

 話す気力もない。

 時の移ろいも分からない。

 それが、生きる希望を絶たれて、なお息をしている者の姿よ。


 

 なぜ生き永らえていられたのか、やはり生きたかったからではないか、ですって?

 ……教えて差し上げるわ。

 自らを害する胆力すらも残っていなかったから、結果として息をしていただけよ。


 

 当時、皆が腫れ物に触るようにわたしに接する中、さきの丞相だけは、折々に花と文を寄越して下さいましたのよ。


 

 初めは、チラと見て触りもせず、卓に置きっぱなし。関心も湧きません。

 度重なると次第に迷惑、いえ、だんだんと憎らしくさえ感じました。

 

 

 最愛の人を戦で突然に失ったりしたことがないくせに。

 

 ご自身は戦場で帷幄深くに守られ、人殺しは他人にさせるくせに。

 

 ……あの方を、助けることも出来なかったくせに。

 

 

 花は侍女にやり、文は読まずに捨てていました。

 

 いま思えば、何と勿体ない。

 さきの丞相の手跡ですわよ?

 若気の至りだわ……。これ絶対、父上の血。

 

 ある日のこと丞相は、花籠いっぱいの菫を送ってくださいました。

 わたしは泣きました。

 菫は、あの方の想い出が宿る特別な花でした。

 

 もう一滴もなくなったと思った涙が溢れてやまず、菫の彩りと可憐な薫りが、わたしの心を開いたのです。

 

 この日のことは今でも、ありありと思い出すことができますわ。

 

 母は驚き、さすがに丞相府へ

「以後、見舞いの花はご辞退申し上げます」

 と使いを出そうとしていたようなのですが、翌日にわたしが丞相……臥龍先生にお礼の文をしたため、母に取次ぎをお願いしたので、母は涙を流して喜びました。


 

 それ以来、わたしと先生の、時々の文通が始まったのです。

 蜀で一番、お忙しいに違いないのに、何と筆まめでいらっしゃること。

 ええ、もちろん、それ以来の文は、全部とってありますのよ。

 

 意外なことに、臥龍先生は、お説教などなさらないのよ。

 

 陛下には上奏のたびにお諭しをお書きだったようですけれど、当時のわたしには、短い昔話でのお励ましをくださることが多かったものです。

 

 ときどき、関二伯や、あの方のことが書いてあり、しんみりとしては、当代一の賢者と名高い先生と共に、大切な人との想い出を温めるなど、上将の娘の如きが容易く与れる幸運ではないと、後で気づきましたの。

 

 あの方の想い出の輝きに、いまだに胸は痛みますが、あの方と添えなかった苦しみを乗り越えて初めて知った境地でした。

 


 その後、太子妃となるお話をいただくことになるとは夢にも思わず、知った時にはもう決まっていて、多少の葛藤がありましたけれど、私的な縁談ではなく、公の縁談であの方の国に嫁す、と思い至ったら迷いはなくなりました。

 

 重臣のなかには

「さすがは丞相。ご自身には令嬢がおられないので、張家と親交を深め懐柔した上での太子妃ご推挙とは。次の代もご安泰というわけだ。抜け目のない」

 と見る者もおりましたが、わたしはそんな下心があったとは思いません。

 

 菫の花は、わたしの心の中だけにある花。

 あの方にすらお伝えしたことがなく、誰も知らない事。

 

 いくら神眼を持つ先生であっても、答えを知っていて機を見て送ってきた、とは到底思えないからです。

 

 あれは、当代最高の賢者が、愚直にも折々の花を諦めずに忍耐強く送り続けた果ての、偶然の出来事です。

 

 わたしが確信するこの事実の前に、小人の蔭口など霧のように消えてしまいます。

 

 

 それにしてもね。

 東宮殿の奥に居ると、張府に居た時よりもずっと鮮やかに、臥龍先生のお噂が聞こえてきましたの。

 それだけでなく、お見かけすることもよくありました。

 

 

 不意にお見かけするのは、必ず、先帝が先生のお手を取ってご一緒に歩いておいでのお姿です。

 

 堂堂として貫禄を増された伯父上……いえ先帝と、遠目には書生にも見紛うお若さの先生が連れだっていると、とても目を惹きます。

 

「ねえねえ、陛下のお隣の文官、ちょっと良い感じじゃなかった?」

 新入りの侍女の私語が聞こえたものです。

 

「これ。太子の後宮の者がたわけたことを。口を慎め」

 侍女長が小言を言いはじめるので、わたしは決まって

「よいよい」

 と、なだめます。

 

 真面目な侍女長は

「太子妃!」

 と眦を吊り上げ、わたしは臆しもせず

「誰か自信のあるものは艶書でも遣るがよい。あの文官は応じぬ。千金賭けてもよいぞ。……そなたらが負けたなら、艶書の内容を一字一句わたしに明かせ」

 と軽口を叩きます。

 

「太子妃~」

 賭け、などという下世話な言葉に、侍女長は慌てたものです。

 ……この辺も、恥ずかしながら亡き父の血。

 父はよく罰酒三杯で、賭けをしていました。

 

 そんな想い出で胸を一杯にしながら、冗談を続け

「千金賭けるは、あの文官こそが名高き丞相ゆえにじゃ」

 

 新入りの侍女たちに一様に顔を見合わせさせて黙らせるのが、わたしの宮中での、暫くの間のいたずらでした。


 

 先生が四十歳ぐらいだということは、噂好きの侍女たちは知っていました。

 加えて伝え聞く神機妙算の数々。

 

 それが、遠目には三十がらみの「年の離れた一番上のにいさま」ぐらいにしか見えない白い文官こそが、だなんて、新米の侍女たちに見抜けるはずがありません。

 

 彼女らに加えて言うとしたなら

「そなたら、陛下に敵うと思うてか」

であって

「丞相夫人に敵うと思うてか」

ではなかった事に、後から気づいて些かうろたえましたけれども。

 

 ……このささやかな楽しみは、一年も続かずに終わり、わたしは皇后になってしまったのですけれどね……。


 

 先帝に最後にお会いしたのは、太子妃が板についてきたころのことでした。

 そう、あの東征のまえ。

 臥龍先生でさえ、先帝のお心を覆すことができなかった、あの戦のまえ。

 

 あの、仁愛が人の形を成したような陛下が、人が変わったようになられてゆくお姿は、先帝と亡父と関二伯との絆が、わたしのあの方への思いと同じぐらい強いものであるがゆえなのだと悟り、情念の強さの剋気に、戦慄さえ覚えるようになった頃のこと。

 

 いい年をした亡父が

「大哥、二哥!」

 と、いつまでも猫のように伯父上たちを慕う様子を、醒めた目で見ては、娘ごころにも

(義兄弟の契りなんて、所詮は若気の至りの勢いの延長、それとも惰性、のようなものではないのかしら?)

と、偏見を持っていたけれど、この世には、わたしの戀とは別な感情にも、戀と同じように強いものが宿るのだと思い知り始めた頃。

 

 いよいよご親征にお出座しと聞き、わたしは太子に陛下をお諌めするようお勧めしましたが、太子のお優しさは軟弱と表裏一体で、父帝の親征を支持する立場に立ったまま、全くお心が動きません。

 

 このことで先帝の御心に付け入った李厳らとはまた異なり、完全に事なかれ主義です。

 


 わたしは太子妃。

 太子の不明はわたしが補佐せんと、陛下に謁見を求め参内しようとしました。

 

 あの方と父を奪った東呉を、わたしはもう好きにはなれないけれど、討ったからといって、あの方も父も帰ってこない。

 わたしには、東征は空しい。

 

 戦費を費やして東征しても、誰も幸せになれない。

 先帝でさえも、お幸せが手に入るわけではない。

 


 その途中で臥龍先生にばったりお会いしました。

 臥龍先生には

「太子妃。……お諌めにお越しですね」

 とたちまちに見破られ

「少し、お話を」

 先生の羽扇に引き止められました。

 

 あんなに近くで先生と直接お話するのは初めてでしたが、文通のこともあり、重臣と話しているというよりは、まるで師匠と話すようで、敬いながらも驚くほど率直に正直にお話できました。

 

 先生の憂い顔とは相反して、先生のお側には辺りを払うような清げなうるわしさが漂い、仙境に居るがごときの心地です。

 

 このような方と寝食を共にして、なぜ陛下は東征などという不穏なお考えをお捨てになれないのか、不思議でなりませんでした。

 

 でも。

 あの時の皇宮を知っている者なら誰でも覚えていますが、先帝は先生を遠ざけておいででした。

 その突然の冷遇の表向きの理由は、先生が東征反対派の首領だったから。

 わたしもそう考えていたのだけれど、お話ししていて本当の理由は違うらしきことを察しました。

 

 先帝は、亡父への思いとは異なる思いを先生に持っておられ、それはわたしのあの方への思いの強さに勝るとも劣らず、先生のお姿や、仙境を思わせるお人柄は、東征の心を鈍らせるに充分ゆえ、先帝は先生を避けざるを得なかっただけですわよ。

 

 決して、先生を疎んじた結果ではありませんのよ。

 

 亡父の血を色濃く引き、先帝のご勘気など恐れず、自分が正しいと信じたことを直言してしまうであろう私が、先生とお話しするや、言葉を選んで謁見に臨めたぐらいですもの。

 

 名君である陛下が、先生と寝食を共にしていたら、絆されないはずがありません。

 


「いま太子妃が申し上げるべきは一つです」

「丞相、仰せください」

 わたしが急き込んで両袖を合わせると、先生は意外なことを口になさいました。

 

「……むしろ、ご無事のご帰還をお願いなさいませ」

「えっ、でもわたしは、断固反対……」

 わたしは拍子抜けし、いったいどんな計略なのかと思ったのですが、それは無策の中の策でした。

 

「よく存じております。……ただ、陛下が菫の花籠を受け取るには、時期尚早でございますれば……」

 賢者の進言は違います。

 意気込んでいたわたしに、たちどころに意味を悟らせました。

 

 いまの陛下は、あの時のわたしと同じ。

 誰の声も届かない。

 ある意味、狂っている。

 

 そしてこの進言は、万一の時、わたしが先帝と喧嘩別れにならないように気遣ってくださった策ではなかったかと、これも後から気づきました。

 

 先生のお蔭で、わたしの想い出の中の先帝は、いつも目尻に皺をたたえて笑っているか、義兄弟や民を思って涙ぐんでおられるかの、いずれかの、誉れ高き名君の姿ですのよ。

 

 先帝はお幸せなお方。

 狂ってもなお、先生のお心を捉えて離さないなど。

 

 そのうえ、わたしが、たったひとつ、墓まで持ってゆくこの思いに値する心持ちを、いくつもお持ちだったなんて。

 お心が相当に広くなければ、すぐに一杯になってしまいましょう。

 やはり非凡なお方。

 

 

 大人になって間近に見聞きした先生は、こんな風ですけど、先生の文にはよく、隆中のことも書いてありましたのよ。

 

 先生は、先帝に三顧の礼で迎えられたことを常にご恩に感じておいででした。

 

 その故事は、今の成都では三歳の童でも知っていますが、本当のところはどうだったのか、母によく尋ねたものです。

 

「そうねえ、伯父上のお供をして、父上が隆中へ三度も行ったのは本当よ」

「へぇえ……。さすが伯父上。ねえ、お目覚めをずっと待っていた、っていうのも本当?」

 

 興味津々な娘を前に、母は適当にうまく濁しながら

「それはどうだったかしら。ただね、父上が相当妬いて大変だったのよ」

 と、興味を父親へ誘導するのが常でした。

 

「うっそ! あの父上が? ヤキモチ?」

「嘘じゃないわ。昼から呑んで、ふて寝。手を焼いたわよ……フフフ」

 と、母は余裕の笑みで、懐かしそうに話すのです。

 

 何度尋ねても、答えに変わりはないので、やはり三顧の礼は本当の事だと思われます。

 

 

 襄陽ではわたしはまだ幼かったため、記憶が薄いのですけれども、母にくっついてお菓子などを献上に何度か奥へ参上していました。

 

 母は若い奥方様に掴まって、長い世間話にお付き合いすることが多く、私はよく退屈していました。

 

 先帝には姫君がおわさなかったので、年が近い女子もおらず、お庭で一人遊びをして暇つぶしをするしかありません。

 お庭の草花に粗相があってはいけないので、遊びは限られます。

 飛び石を跳ねるか、虫をみつけるか、ぐらいです。

 


 蝶を追いかける遊びをしていた日、うっかり知らないお庭まで迷い込んでしまいました。

 いま来た道を戻っても、道は曲がって枝分かれし、更に迷うとしか思えませんでした。

 辺りは静かで、泣いても、誰にも聞こえないかもしれません。

 

 途方に暮れていると、遠くから話し声が聞こえて来たので、足音をしのばせて茂みを巡りました。

 子供心に、衛兵などの怖いおじさんだったらいけない、と知恵が回ったのです。

 声の主が誰なのかを確認してからが、安全。

 

「孔明。よい。そちの思うようにせよ」

 思いがけず先帝のお声だったので、

(優しい伯父上ならきっと怒らない、助けて下さる)

 という計算が働き、駆け出そうとしたのですが……。

 

 何だか、無邪気に「おじうえー」と、姿をあらわして良い雰囲気ではなかったのです。


 先帝のあとから、思案顔に羽扇を繰りながら、黒い衣を纏った若く白い文官が続きましたので

(あ……。いま、だめかも。ほかに誰かいるもん……)

 と、白い人も優しいのか、慎重に観察します。

 

 その時は分かりませんでしたが、白い人はもちろん、臥龍先生でした。

 

 お二人とも、こんな低い場所から子供の目がお二人を見ているなど、全く思い及んでいない様子で、互いの事しか見えていません。

 

「……ですがあまりに、わが君が一軍師の意見のみ重んじているように見えましても、従前と異なり、荊襄で新たに召し抱えた者共に対し……」

 

「儂が差し許すゆえ、そう案ずるな」

 

 父上が話す言葉とは全く違う、何を指しているのか曖昧な言葉で、結局何のことをお話しだったのかは、今でもわかりませんけれど、大事な国事だったことは子供でも分かりました。

 

 初めは

(怒らない人?)

 ということを見極めようとしていたのに、だんだんと先生の装束や容貌に注意が逸れてしまいます。

――あの、羽の扇って、何のお道具なのかな? 


――伯父上が暑いときに扇ぐ係の人なの?


――黒いお着物って、きれいだと思ったことないけど、あの人が着てるのは、みんなと違う黒なのかなぁ……。


――お顔も襟も白くて、なんかすごく似合ってる。


――ああいうのなら着てみたいな~


――あの人誰なのかな~。ほかの奥がた様じゃないと思うし、父上みたいに強い人じゃないみたいだし……。 


――あ。ぶんかん、っていう人? 


――きれいな人って、じつは「きびしい」ばあいもあるんだけど、優しいかなあ……

 

 じっと、低い草木の間から、先生のまばゆいお姿ばかりに見入り

「いかなる時も、この儂がついておると、言うておろうが……」

 お話が続くものと思っていると、先帝は先生に向き直り、先生とじっと見つめ合った末に

「……孔明……」

と囁き、長い腕を伸べて先生を懐になさりました。

 


 たとえようもないけれど、蝶が花を驚かせぬように、音もなく蜜を求めるよりも、なお密やかな風情で……。


 子供心にドキドキです。

 だって。

 ……だって、すごく、うるわしかったんですもの。

 

 (……こうめい様っていう人は……。おじうえの、だいじな宝もの、なのかぁ……)

と、納得してしまう光景でしたのよ。

 

 おとぎ話で聞いたり、人形劇で見たりしていた、お気に入りのどの場面よりもうるわしくて。

 

 先帝は、失礼ながら決して美男とは申し上げられないお方だったし、御歳も五十を過ぎていらしたのに、ですわよ。

 

そしてきっと、この「宝もの」は、誰にも見つかってはいけないに違いないのだと直感して、甜さと苦さが同時に幼い胸に迫り、どうしたものかと思いました。

 

わたしが見とれていると、先帝は大きな掌で先生の髪をゆっくりと撫でおろし、背を何度か軽く押さえるようになさり、名残惜しそうに腕をほどいて、先生の手を取って向こうへ歩いてゆかれました。

 


 そのあと、わたしはぼんやりとしていましたが、鳥が次々と巣へ帰る刻限になり、庭が暗くなってきたことに気づき、焦りはじめました。

 

 心細くて、とうとう泣き出すと、そこへ現れたのがあの方でしたの。

 

「ん? どこの童かと思ったら、玲兒じゃないか。どうした。……わたしは、お髯の伯父上のところの、平だ。わかるか?」

 

 しゃがんで、わたしと目の高さをあわせ、優しくゆっくり話してくださいました。

 お髯の伯父上のおうちのお兄様なら、小さな子にお仕置きしたりしない、と思い、わたしは夢中であの方にしがみつきました。

 

 あの方は幼いわたしを抱き上げ

「よしよし、もう大丈夫だぞー。おおかた、母上とはぐれたんだな。大丈夫、帰れるからな」

 安心して、なおもわんわんと泣くわたしに、あの方は

 

「玲兒……泣いてもいいけどな、知ってるか? 泣きすぎるとお目々が棗のようになってしまうんだぞぉー」

 冗談を言って、わたしをぴたりと泣き止ませました。

 怖い言葉で叱る以外の方法で、癇の強いわたしを黙らせたのは、あの方が初めてでした。

 

 わたしは、父譲りのぱっちりとした大きな目がよく褒められていて、自慢だったのです。

 思い返せば、歳の離れたあの方への憧れが芽生えたのは、この時からだったのかもしれません。

 

 

 後年、あの方に尋ねましたら、先帝がお人払いをして先生と庭で内密のお話をなさるときは、表の出入り口を誰かが守って誰も立ち入らせないようになさっていたらしく、あの日は偶然にあの方にご下命があったということのようです。

  

 ふふ。

確かに。

内密のお話、ではありますわね。

 

 

 ……襄陽。

 もう随分と昔のことになってしまったわね。

 話せるようになったということは、わたしも少しは心が定まってきたといえるのかしら。

 

 臥龍先生のことに話を戻すと、ご重用を受け続けながら、長年その三顧の礼のご恩を忘れ得ぬとは。

 そして、陛下に奉る文にも、何度も先帝先帝とお綴りになり続けるとは。

 もしかしたら、わたし以上に一途なお方ですわよね。

 

 わたしは、おそらく後世に語り継がれるであろう君臣の晩年を見守った者の一人として……名ぐらいは残るのかしら?

 ……残らなくとも別に良いわ。

 だって、こうして知っていることは事実なのですもの。

 

 

 ……あら。

  もう三更ね、眠りましょう。

  客殿へ案内させるわ。


  ねえあなた、また成都にいらしてね。

 

 そして、わたしが陛下にお願いしたことが叶ったかどうかを、見届けてくださらない?


  何年後でも良いから、ぜひ八月の秋風の頃に。