嘉禾三年秋

2023/08/23

3世紀被害譚SS

成都の豎子が、大赦の触れを出したそうな。


実際には「生前の丞相の功績を讃え、大赦を發せられるが宜しかろうと存じまする」と重臣どもが奏上したので「よきに計らえ」と言うたのみであろうがな。


何にせよ、諸葛亮の他界は、劉備がようやく真の意味で亡き者になったことを意味する。

魏の豎子は、意外に祖父譲りの片鱗を見せよる上に、蜀は蜀で、豎子が帝であるというのに、まるで劉備がまだ生きているかのようではないか、と、幾たび苛立たされてきたことか。

こうしてあの智者の俤を思い描く時、朕は決まって赤壁大戦の頃や周郎の思い出が過ったものだった。

まさに今もそうだ。

あの頃は、武に優れた長兄のあとを突然に継ぐことになり、長兄の遺臣の筆頭は長兄の親友であると同時に東呉随一の将……
という、まだ嘴の黄色い次男坊には胃が痛くなるを通り越して、常に頭のどこかが痛む状況だった。

朕としては、否応なく想定外の道を歩むしかない重い毎日に、ようやく慣れ始めた頃だった。

幸い、あの子敬が側近く居てくれたので、子敬を支えに、とにかく先の事は考えすぎず、今日一日、東呉の主として判断を誤るまい、と慎重を期して臨んでいた。

一日が精一杯の若き呉侯にとって、曹軍南下は難題だった。


子敬が連れてきた諸葛亮と初めて会った日、少しだけ拍子抜けしたのを覚えている。

眉目秀麗で弁説爽やかな、周郎という華麗な存在を見慣れていたためであろうか、朕と然程には歳が離れて居ないはずの諸葛亮は、年齢が判然としない風があった。

綸巾を戴き、鶴氅を纏い、白い羽扇を手にした諸葛亮の姿は、道士なのか何なのか、世俗の塵が無さすぎた。

兵事の使者として軍議に同席させ、
籌策を問うて良いのか躊躇われ、そしてこの者は問うた答えを返せるのか、と疑うた。

実際には、子敬や余の重臣らに問わせて、朕は聞いていただけだったが。

援軍を求めて泣きつくのかと思えば、全く媚びもせず超然としているので、黙って聞いているだけでは段々と癪になり、我ながら意地の悪い質問をしてやったら、諸葛亮め、十倍返しにしてきおった。

あの聲は、今でも耳の奥深くに残っておるぞ。

「我が主君、劉豫州は皇叔にして天下の英傑にあらせられ、そのご人望は畏こくも上は帝の御心から下は民心までを得ておられます。曹賊に降るなど……有り得ませぬ」

羽扇をゆったりと一度繰り、涼しい様子で余裕を漂わせ、静かにぬかしおった。

一敗地に塗れ、劉備は夫人まで亡くしたほどの劣勢というのに、その虚勢は何か、と嘲笑する暇もなく、精鋭の水軍を擁し兵糧を蓄えた東呉が「降伏か開戦か」で連日揉めている不様さを暗に衝かれ、胸に突き刺さった。

今だにあの痛みは忘れ得ぬ。


朕はこの直言の冒頭で、諸葛亮が遥けき主君に向かって、斜め上の方角へ拱手した所作と、発言の内容の双方について不愉快になり、中座したわけだが、中座の理由はそれだけではなかった。

外国の君臣という、東呉とは異なる存在の最たる例を、目の当たりにしたような当惑があった。

まず重臣どもと外国の臣の最たる違いは、重臣どもは若かりし呉侯に従うが、諸葛亮は違う、という点にある。

周郎とは全く異なる人となりの賢者がここに居り、この者を召し使っている劉備という主君が存在している。

これらの当然のことが、具体的に目に見えたことで、名将と謀臣を率いた曹操という者が南下してくるという事態に現実味が加わったのだ。

そしてこの君臣は、朕と周郎との関係とも、朕と子敬との関係とも違う、亡き長兄と周郎の関係ともおそらく違う、何らかの信義で結ばれているのだ。

その信義がいかなるものかは分からぬが、劉備という男が、親子ほど歳の離れた若造に、全軍の命運を賭して江を渡らせるほどの絆だ。

このまま諸葛亮が東呉に奔りはしないかと、考えはしなかったのだろうか。

劉備の心の中は知らぬが、少なくとも、諸葛亮の様子には、劉備への忠義一徹が見て取れた。

引見の際に朕にも気に入られておき、大戦の行方次第で自身の進退も如何様にも立ち行くように上手く立ち回ることも出来たであろうに、左様なあざとさは、微塵もなかった。

このあたりは、子瑜と同質の潔さを感じた。


更に、劉備が曹操に降らぬ理由には、現状が厳しいという現実を承知した上で、勝敗以外の重要事項として、既に後世の評価をも考慮する視点が含まれる事にも朕は気づいた。

今日一日、を積み重ねて来ていた朕には、後世になどまだ思い及ばず、おのれが曹操や劉備に比して圧倒的に実戦や求心力、そして将来への明確な展望が不足している事実を直視する覇気が生まれた端緒だったかも知れぬ。


ところで、大戦のあいだ、時々に諸葛亮を引見したが、あれは周郎ほどゴリ押しして来ない。

単に、別な家の君主に対する遠慮だったのかも知れぬが。
だが、言うべきことは端的に言う。

容姿や服装が涼しく、話していると話題の本質へと集中できる。
よい軍師だ。


当時を思い返すと、周郎を使うことには骨が折れた。

若かりし呉侯の朕にしては、主君として上出来、よく躱しながら、おおむね上手く御しおおせた、と今でも思う。

当時に戻って、褒めてやりたい。
亡父にも長兄にも問えず、本当に手探りだった。


大戦のあとで思ったが、ああいう謀臣は使いやすかろう、劉備は随分と楽をしていたのかも知れぬな、という思いが過ったこともある。

おそらく劉備は、最後の一戦を除いて、何事も諸葛亮に丸投げだっただろう。

先の戦は諸葛亮は反対の立場を明確にしたとやらで、帯同していなかったが、死ぬ間際に結局、諸葛亮を呼び寄せたと聞く。

和議に遣わした子瑜が諸葛亮に会っているのだから、間違いなかろう。


……子瑜で思い出した。

和議の事の前に、子瑜を成都に遣わした事があった。

我が国の長年の懸案の、荊襄返還問題の件でだ。

子瑜には悪いことをしたが、本当に子瑜の家族を獄に監禁し、事破れたなら刑に処する構えを、子瑜にではなく諸葛亮に見せつけて臨んだ。

結果的には、また数年の堂々巡りになった案件だったが、一応の落着を得て戻ってきた子瑜に対して、朕は慰労と懺悔の気持ちで小宴を張った。

「子瑜。こたびはまことに心労をかけた。相済まぬと思うておる」

 自ら酌をしてやろうとすると、子瑜は爵を置いて立ち上がり、朕に対面する位置で後ずさって座ると

「長年に渡り紛糾してきた荊襄のこと、全ては我ら臣どもの無能がゆえ、恥じ入るばかりでござりまする……」
と述べて、平伏した。

これが、子瑜という者の美点のひとつだ。
手柄顔ひとつしたことがない。

「あー……。済まなかった。酌などせぬから、座ってくれ。飲み直そう」

朕は、侍女に酌をさせて、傍らに戻ってきた子瑜と話を続けた。

「髯の大将が厄介だが、とりあえずは、劉備と諸葛亮とは合意したのだから、やはり吉事じゃ。……諸葛家に泊まり込みでもいたしたか」

話の流れで冗談を言ってみると、子瑜はあの面長の生真面目な顔を横に振り

「それが出来ましたならば、もう少々早く帰還できましたものを。何しろ弟は、劉使君のお傍で暮らしておりますゆえ、時がかかり、面目次第もございませぬ」
と、袖を揃えて回答する。

この時、かつて妹に付けて襄陽へ遣った間者の密書の内容が、朕の頭を掠めた。

「だが、諸葛亮とて人。時々の夜はさすがに帰宅しよう」
と、かまをかけてみた。

子瑜は首を振り
「今だに、寝食を共にしているようでございまして……。劉使君がお食事やお休みの際は、弟と談判できぬことになりますゆえ……」

朕は、まさかなのか、やはりなのか、自分でも判然とせぬ思いが心の隅を走るのを覚え、一瞬遅れて

「ぉ、おう。そりゃ、子瑜よ。……そちと諸葛亮を会わせぬための、劉備の悪巧みではないのか」

と、動じない風を見せてみると、子瑜は珍しく曖昧な色を目に浮かべてから

「……なるほど左様でございますな。……まんまと時間稼ぎに嵌ったとは……汗顔の至り……」

朕を立てながら、言い淀んでおった。

朕は、半信半疑であった例の密書の内容が正しかったことを、この時に理解した。

間者の密書には、劉備は連日連夜、諸葛亮と共にある様子が書かれており、妹の閨房を訪れる記述は、ほぼなかったのだ。

臣と寝食を共にするぐらいは、驚きに値しない。

朕とて、東呉を統べ始めた時は、魯子敬を片時も離さなかった。
離せなかったと言うべきか。
むろん、毎夜同衾だ。

だが、子敬を蟄居させねばならぬ事態のあとは、我が許に泊めることもなくなった。

仮に今まだ子敬が存命だったとして、必要が発生しても、連日連夜は辛い。

おそらく、お互いに辛い。

あの頃の劉備は五旬。
呉侯の妹にして、花も恥じらう妙齢の姫と、廿歳下の軍師。

いずれと夜を過ごすかなど、問うも愚かではないのか、本来は。
本来は、な。


……話を戻そう。

朕が、諸葛亮のような使いやすい謀臣を抱えていたとして、丸投げ……。

できぬな。
即答だ。
これこそ、苦労して臣下を束ね、東呉の安寧を保ってきた朕の答えだ。

人ひとりに頼るというは、百年の計にあらず。

やはり、気心と得手不得手の知れた優れた臣を揃え、皆があれこれ議論するのを横で聞き、呉の百年にとって良い策を採用してゆく、それが間違いない。

劉備はやはり、かなりの曲者だ。
自分の事しか考えておらんな。

おのれは良かろう。
歳の離れた諸葛亮が、先に没する可能性は低い。

だが、奴の倅の身になったならどうか。
いつまで諸葛亮に丸投げできるというのか。


とはいえ、早速に蜀の凋落が始まるとは思えない。

いままで、まるで劉備がまだ生きているようだった蜀は、これからしばらくの間、まるで諸葛亮がまだ生きているような様子を、時々見せるだろう。

諸葛亮が真の意味で世を去る日は、蜀が滅びる日であろうと朕は考えている。

その日を見ることができたなら、朕は劉備に勝利したと、天に宣言できる気がする。


酒は控えて、長生きせねばな。