店の者は、長方形の盆を捧げて二階へ上がって来、
小鎮の鄙びた茶店らしからぬ、保温の工夫が好ましい。
続いて大きめの蓋物を蒸籠の側に添え、蓋を取ってみせ
「お熱いので、少しお剥きしてございます」
と、軽く低頭して勧める。
蓋物の中を見れば、渋皮も鬼皮も取り去った栗が、
蒸籠の中は「おかわりはご自由に」という意味合いなのだろう。
「こりゃ、造作をかけたのう」
彼が労うと
「滅相もないことで」
店の者は、序でに小さな炉の上の釜に水を足してから
「ごゆっくりどうぞ」
と、階段の辺りへ去っていった。
(儂が、手づから剥いてやろうと思ったのだがのぅ)
と思いつつ、それでは却って龍は遠慮するであろうとも思えて来て
「これは心利きたることじゃの。先生、お一ついかがか」
「わが君がお先に」
「左様か」
あの隆中での春の日以来、
栗が逃げぬよう、匙と箸で慎重に一粒を運び、
彼は、ほくほくとした栗の甘みに目尻を下げ、
「………美味いのう」
「はい」
湯の沸く音、炭が爆ぜる音、階下で店の者どもが立ち働く音、
平和というものを音に成したならば、
これは、鳳の勧めの巡見なのであるが、一体どこまでが巡見で、
突如、道端から子供の哭き声があがったので、
道の真ん中で、籠を地に置いた婦人が屈んで、
どうやら、幼な子は転んだようだ。
いずちでもよくある光景であるうえ、
婦人は母親であろうか。
助け起こされた幼な子は、なかなか哭き止まない。
母親は、何か言い聞かせている風情である。
のどかに見える小鎮であっても、民というものは日々忙しい。
ままならぬ子に対して、
彼は内心、固唾を飲んで見守った。
立ち上がったというのに、
(じゃがの。童というは………。取り乱しておる時、
彼は頬杖をつき、
忍耐強いのではなく、余所余所しいだけなのかも知れない。
例えば、
そう思い至ると、婦人を母親と決めつけた彼の心は曇りながら
(いまだ戦を続ける者はこれを見よ、との仰せか。世祖は)
と、己を励まして再び直視した。
その時、幼な子の泣き声は、ぴたりと止まった。
彼の視線の先には、婦人と幼な子と、
武人は中肉中背で、地味な服装で剣を佩いており、
武人は婦人と間合いを保って話をしており、
武人は、さらに婦人と話しながら、
婦人の視線が二階へ注がれたので、彼はすっと立ち上がり、
婦人が跪こうとする所を武人は制し、二言三言話しかけると、
武人は幼な子を両手で抱き上げ左肘の辺りに座らせ、
苦笑いに安堵の色を滲ませて、彼は卓に向き直る。
「あれは………。巨達の甥であったか」
「左様でございます」
彼は、穏やかさを取り戻した往来を見やって、爽やかな茶を含み
「向………。何じゃったかの」
と、龍に問うた。
「はい。姓は向、名は寵でございます」
彼は、わざと舌打ちをして聴かせてから
「者共には、あなたにて待てと下知したはずじゃろうが」
微かに棘を含んで言うてみた。
「さて………」
龍は白い羽扇を涼しく繰り
「お下知に逆ろうた事よりも、
目元に笑みを刷いて、先ほどの事への彼の関心を婉曲にあらわした上で、意外にも向寵の肩を持つ言葉を加えた。
「む。さては孔明」
彼は卓に片肘を付いて、少し前のめりになり
「そちが命じたか、ついて来よ、と」
用心深い龍のことである。
そうであっても不思議はない。
「わが君の興趣を削ぐ命など、下せましょうや」
龍は神妙に扇を横たえて袖を揃え、優美に低頭する。
(向寵は気が利くゆえ、供回りに入れておいたのみ、
彼はそう思い至ると
「よかろう。褒美は考え置く」
座り直して栗をもうひとつ味わった。
彼は、栗が先ほどと同じく、
(年の刧、であろうかの)
との思いがよぎる。
心が曇ると味覚も鈍くなりがちであり、確かに心に影が差したばかりにしては、美味い。
さすがに、草莽の頃に比して更に彼が打たれ強くなった証左かも知れなかった。
「孔明。儂ぁのう………」
「はい」
わが龍に囁くように話しかけると、照れ隠しに栗をもう一つ取り
「余人のな、痛い、寒い、ひもじい、などがの。どうにも放っておけんのじゃ。昔から、何ともな」
栗を凝視してから、チラと龍を見つめて眉を下げ、
「わが君おわすは、漢室の幸運であると存じます」
「そう願いたいが………只のお節介爺ぃでなければよいがの」
(結局のところ、
龍は、このようなとき何と言上すべきか分からず、
「頂戴いたす」
彼は、天下一の賢者を前に袖を揃えて礼を取り、熱い茶を喫した。
香り高い茶は涼しき風味を引き出され、
忽ちに仙境に座が移ったかと思うほどの味わいに、
「………するとじゃ。あの子としては、
またひとつ栗を咀嚼してから、彼は頷いた。
「………好し好し。やはり向寵は、褒めて取らそうぞ」
いつもの、屈託のない朗らかな微笑を彼のかおばせに見、
龍には、先刻の幼な子の泣き声さえも、平和の音であると受け止めていた。
なぜなら、
寄る辺もない子らは、哭いても詮ない。
かというて、幼な子にとって見ず知らずの彼が、
むしろ、彼らのような大人が多ければ多いほど、
幼い頃の龍は、寄る辺はあったものの、哭けない子であった。
おそらく、大人たちから見れば、
が、顧みて思うに、哭くに哭けなかった、というのが、
(わたくしにも、昔むかし、側に「お節介爺」
こう言い出しかねて、黙然と自らの碗を茶で満たす。
彼と差し向かい、彼と同じ茶の香りを聞きながら、
時々、彼が龍をその長い腕の中に攫うのは、彼の眸に、
実際、彼の傍に侍っていると、いつでも暖かく、