七曜で7題  Monday

2007/01/30

21c(パラレル七曜7題) 劉公叔の物語(21世紀)

「あのう、父上、お話があるんです」
春宵に、小さなノックの音につづいて、扉のむこうで子息の沈んだ声が彼の巨きな耳に届く。

「どうしたのだ。眠れんのか。お入り」
そう言いながら、彼はデスクで書類を見ることを止め、リーディンググラスを机に置いて、扉を開けに立ち上がって、子息を迎え入れた。

いつも聞き分けがよく、まだ年相応に無邪気な子息が、浮かない顔で彼の書斎を訪れる。
「今日も疲れたであろう。薄着はいかんぞ」
ソファに座らせて、パジャマの上から大きな膝掛けを羽織らせて、様子をうかがう。
子息は、ようやく長年の内戦が終結した国の、恵まれない子供たちの為に、
放課後に有志の街頭募金のボランティア活動に参加していた。
今日は最終日だった。
「何から話したらよいか分からぬなら、思いついたことから言うてみよ」
彼も、向かいの長椅子に腰を下ろして、寛いだ様子で促した。

「あの、父上が……、どんな小さなことでも善いことは行うようにって、いつも言っていることが、僕もいいことだと思ってて、これって難しいけど、なるべくそうしたいと思ってます。
だから3日間募金活動をして、少しは力になれたと思っていました」
「ふむ、それで、どうしたのだ」
「帰り道、姜くんが、怒ったみたいな顔してたから、
『どうしたの? お金、こんなにいっぱい集まったよ』
って言いました。そしたら、姜くんが、
『無意味とは思わないけど空しい』
って。それを聞いたら、何だか急に、どうすればいいのか分からなくなりました」

姜くんは2学年も飛び級して転校してきた秀才である。
(姜くんは、頭が良いのだろう。大人びているともいえる)
彼はそう思いながらも、大人の階段のぼり中の子息の悩みが、ある意味で嬉しい。
「そうじゃな、姜くんは正しいな。
しかし禅よ、分からなくなったお前も、正しいのではないか」
「分からないのにですか」
子息は不安げな、しかし真摯なまなざしを偉大な父たる彼へ、ひたと注いだ。
「そうだよ、確かに、これから例えば10年間毎日金を募るのは難しい。お前たちには勉学という本分がある。そして、道行く人も10年間毎日募金することも難しい。彼らにも日常の生活がある。多寡が知れるということと継続という点で、姜くんは個人の力の限界を知って非力な己に憤っておる。
お前はその限界に気づかされ、そして限界を補うこができないものか、悩んでおる」
「そうなのでしょうか」
「悩みのさ中では、よく分からんものだ。儂は職業柄、そのようなやむを得ぬ状況を見聞きしては、いつも己の非力を嘆くばかりじゃ」
「父上は、あんなに色んな人に慕われているのにですか」
「有難いことだがな、儂には、いかんせん権力も金もない。あるのは運と度胸だけじゃ……それに少しの覚悟、といったところか」
「覚悟って。どうしたらできるんですか」

解答を、すぐにでも得たいと逸るような、若さの持つ性急さを、まだ子供だと思っていた子息の内面に萌芽していることを感じて、彼は眩しさを覚えながら続ける。
「そうじゃな……例えばな。今お前は10万の民衆とともに負け戦の最中じゃ。
敵は10倍の100万だとする。……ゲームと違うて、魔法は使えんぞ。明日9万人を生かすために今日1万人を見捨てるか、全員ここで討ち死にか決めろと言われたならばだ。禅よ、どうする」
「え……っ。急に言われても」
「そうじゃ。この問いに正解はない。それにこのような問いは理不尽じゃ。だが、生きていることは選択の連続じゃ。そして公の場で何かを統べる者は、不意に何らかの決断を短時間に迫られる覚悟をしておらねばならん」
「父上なら、どうなさるんですか」
「儂か。その時の状況にもよるが……どちらにも従わんよ」
「そしたら、全員が……」
「禅よ、『それ以外の選択肢はない』とは言わなんだぞ。どんな穢い手を使ってでも、一人でも多く逃がしながら、最後は殿軍をつとめて落ち延びるのだ。犠牲者ゼロというわけにはいかんだろうが、それが1万人よりも一人でも少なければ、たとえ儂が討ち死にしようとも、儂らの勝ちと考える」
「父上が亡くなったら、そのあとはどうなるのです」
「お前が居るではないか。どうもならん。何も心配はない」
「僕はまだ子供です」
「今すぐにではない。お前が、いつの日か決断を求められる日が来るのなら、
目先にとらわれず、後世から英断と言われるような判断ができる人間になるのを、儂は楽しみにしておる。そして、その判断は、儂と同じである必要はない。そのためにもよく食うて、よう学ぶのだ」
「……父上」
「度胸はな、解答が……正解が一つきりだと思い込まないところからも發する。
いま見えずとも必ず道はあるのだ。天は無関心に見えて、實はそれほど無慈悲ではないぞ」
「……はい。今はまだ、わからないけど、いつか分かるように、今日はもう寝ます」
「そうじゃ。それでよい。……父の寝台で寝るか?」

彼が、我が子を慈愛溢れる双眸で見詰め、そう続けると、子息は迷ったような正直な表情を浮かべた後、毅然と顔をあげて
「いいえ。僕より小っちゃい子が、さみしいの我慢して今日も一人で寝てるんです。僕が一緒に寝てあげたいぐらいです。……お休みなさい。父上。ありがとうございました」
普段、マイペースであまり見せない、きりりとした表情を見せて書斎をあとにした。
子息の、一回り大きくなったような小さな背中を見送ってから、彼はコートを羽織り、外套をもう一枚を手にして書斎を出て屋上に向かった。

先生は、薄着をして星を観て、ひとりで泣いているのだろう。
テレビを見るまでもなく、先生は一つの情報だけで十の状況が手に取るように分かってしまう才能に恵まれて、否、与えられてしまっている。
先生も幼少の頃に一家が離散したままなので、一人一人の心の傷までをも、ひりひりと感じずには居られないのだろう。
(儂のように、「皆」と、ぼんやりと掴むような考えであれば、少しは楽であろうに)
この不憫に、寛い胸をきりきりと痛めることが、夢の中のような、現実ではないところでも度度にあったような不思議な感覚を覚えながら、彼は花冷えの夜の、屋上へ向かう梯子をよじ登っていた。

「孔明」
梯子を登る物音を、先生が聴き逃すはずがないというのに、先生は振り向きもせず、かといって天を仰いでいるわけでもなく、立ち尽くして下を向いているので、彼はわざとゆっくり近寄って、大きな外套を優しく着せ掛けると
「どの星の輝きもな、実は遠い昔に既に発せられて、今ようやく届いた光だとは、不思議であるな」
先生は何も言わないが、彼が言いたいことは分かっていて、その優しさに泣くまいとしても涙を禁じえない。
「儂ら人間など、何とちっぽけで儚い」
「……無力なのです。誰もかもが」
「そうだな。だが、例え束の間でも、意志を持って行動することを許された以上は、後へは引けまい」
先生は、聡明であるがゆえに、行動して報われることと報われぬことの区別がついてしまうに違いない。
そして、報われぬことのほうが多いと悲嘆しているのかもしれない。
「お前が傍に居るとな、何でもできるような気がしてしまうのだよ。……実際にできるかどうかは、もちろん別のことだが、このような心持ちは、事に当たる上で重要ではないのか」
先生の悲嘆は分からぬではないが、彼は、報われるか否かよりも、行動することに意義があると思っている。
「だからの、お前はもう星を観るのは終わりにして、儂の傍で、そうだな、とりあえず……ホットミルクなど飲むことが急務じゃ」
彼は急に、子息がさきほど、『僕より小っちゃな子』と言ったことを思い出して、
――ここにもおったぞ。『儂より小さな子』が。
心の中で我が子に呟いた。

「儂はな、実はホットミルクを作るのが巧いのだぞ、あれにはコツがあってな……」
幼な子にするように、先生に牛乳を与えたくなって、冷えた細い體を腕にしながら、邸の中へいざなった。


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