「ワシの知っている公案の類は、これぐらいだ。 まあ、言うまでもなかろうが、別に允許を貰いに行くでもなし、 その調子で、適当に矛先をかわしてやれ。毒は少なめにな」
一昨日、彼から急な相談の電話を受けて、高弟たる伏龍、つまり先生のことを気にかけ、公叔邸を訪れた水鏡先生は、頼まれもしないが念のため、小手調べの舌戦相手を買って出てやっていた。
「老師、お教えに感謝いたします」
「ほ、ほ、お前の危なさはよくわかっておるわ。 公叔の膝元で、眠ったふりをして、相変わらず匕首のような奴。怖いのう」
白い髯を撫でながら、目を細めて、水鏡先生は満足げな表情をする。
『膝元で』という一言に、何か含みを感じるのは、考えすぎだろうかと、先生はくるくると考えながら、それを紛らわせるように、
「もう、仮縫いができたのです。奇異ではございませんか」
哲学的問題についての理論的考え方、宗教の持つ、信仰以外の側面である歴史的経緯や意義、そして有職故実的な、典礼のような伝統、古今東西のことを、一通り弁えてはいるが、亀の甲より年の功である。にわか仕立ての法衣を見せて、師の意見を求めた。
「よいのではないか。思ったより地味に作ったのだな、いっそ、宗派も分からんように、怪しげに綺羅綺羅しくしてみたらどうか」
「これでも充分、怪僧でございます」
「妖僧、かもしれんぞ」
「ご冗談を」
師弟は、辛口の応酬に、まるで昔に戻ったように腹の底から笑った。
「怪しいついでにな、これを持ってゆけ」
「払子、でございますか」
「ワシの、師匠の形見じゃ。古かろう。 目のある幾人かは、敬って黙ろうぞ。持ってゆけ」
幼い頃から、この師にだけは、我儘放題を言い、好き勝手な放浪や奇行を許してもらってきた。厳しい師であり、温かい祖父のようなものだ。
先生は、昔から少しも変わらない老師の前に跪いて払子を受け取り、
「必ず、事を収めて、お返しに参上いたします」
深深と頭を垂れて、拝領した。
「返すには及ばんよ。よいぞ、よいぞ」
ご機嫌なあの口癖を紡ぐと、皺だらけの顔に更に笑い皺を加えて、先生の肩を、かるく叩いて、
「土産に日本の美酒の一升も、求めてきてくれれば、 それでよい」
「それは、公叔に、おねだり下さい」
「お前に言っておいたほうが、奥ゆかしかろう」
水鏡先生は呵呵と笑い声をたてて、
「おねだりついでに、帰ってきたら、これに、 劉家の双剣をお借りして、負うてみよ。 美酒の肴に、見てみたいのぅ」
テレビドラマで、白髪白髯の、道士然とした老爺に扮した俳優が、派手なワイヤーアクションで立ち回るときの、
手真似をしながら、ほ、ほ、と笑ってみせた。老師の、マイブームなのだ。
「・・・老師、武侠小説の読みすぎです」
テレビを見ない先生は、誰の何の技のふりか、わからなかったが、華僑の間で大人気の物語を、すぐに思い浮かべた。
昔から、案外にミーハーなくせに、少し天邪鬼で、横目で気にしながら、ブームが下火になった頃から遅れて流行を追う、少し俗っぽくも、子供っぽくもある、
憎めない面を持つ水鏡老師に、先生はわざと軽く眉を顰めて見せた。
気心の知れた自慢の弟子と、冗談を言って穏やかに過ごすひととき。
水鏡先生は、家族の縁は薄かったが、老後の楽しみに恵まれていると、幸福感に双眸を細めた。
<Something4 全5話> 全話一気読みへのショートカットは → こちら
一昨日、彼から急な相談の電話を受けて、高弟たる伏龍、つまり先生のことを気にかけ、公叔邸を訪れた水鏡先生は、頼まれもしないが念のため、小手調べの舌戦相手を買って出てやっていた。
「老師、お教えに感謝いたします」
「ほ、ほ、お前の危なさはよくわかっておるわ。 公叔の膝元で、眠ったふりをして、相変わらず匕首のような奴。怖いのう」
白い髯を撫でながら、目を細めて、水鏡先生は満足げな表情をする。
『膝元で』という一言に、何か含みを感じるのは、考えすぎだろうかと、先生はくるくると考えながら、それを紛らわせるように、
「もう、仮縫いができたのです。奇異ではございませんか」
哲学的問題についての理論的考え方、宗教の持つ、信仰以外の側面である歴史的経緯や意義、そして有職故実的な、典礼のような伝統、古今東西のことを、一通り弁えてはいるが、亀の甲より年の功である。にわか仕立ての法衣を見せて、師の意見を求めた。
「よいのではないか。思ったより地味に作ったのだな、いっそ、宗派も分からんように、怪しげに綺羅綺羅しくしてみたらどうか」
「これでも充分、怪僧でございます」
「妖僧、かもしれんぞ」
「ご冗談を」
師弟は、辛口の応酬に、まるで昔に戻ったように腹の底から笑った。
「怪しいついでにな、これを持ってゆけ」
「払子、でございますか」
「ワシの、師匠の形見じゃ。古かろう。 目のある幾人かは、敬って黙ろうぞ。持ってゆけ」
幼い頃から、この師にだけは、我儘放題を言い、好き勝手な放浪や奇行を許してもらってきた。厳しい師であり、温かい祖父のようなものだ。
先生は、昔から少しも変わらない老師の前に跪いて払子を受け取り、
「必ず、事を収めて、お返しに参上いたします」
深深と頭を垂れて、拝領した。
「返すには及ばんよ。よいぞ、よいぞ」
ご機嫌なあの口癖を紡ぐと、皺だらけの顔に更に笑い皺を加えて、先生の肩を、かるく叩いて、
「土産に日本の美酒の一升も、求めてきてくれれば、 それでよい」
「それは、公叔に、おねだり下さい」
「お前に言っておいたほうが、奥ゆかしかろう」
水鏡先生は呵呵と笑い声をたてて、
「おねだりついでに、帰ってきたら、これに、 劉家の双剣をお借りして、負うてみよ。 美酒の肴に、見てみたいのぅ」
テレビドラマで、白髪白髯の、道士然とした老爺に扮した俳優が、派手なワイヤーアクションで立ち回るときの、
手真似をしながら、ほ、ほ、と笑ってみせた。老師の、マイブームなのだ。
「・・・老師、武侠小説の読みすぎです」
テレビを見ない先生は、誰の何の技のふりか、わからなかったが、華僑の間で大人気の物語を、すぐに思い浮かべた。
昔から、案外にミーハーなくせに、少し天邪鬼で、横目で気にしながら、ブームが下火になった頃から遅れて流行を追う、少し俗っぽくも、子供っぽくもある、
憎めない面を持つ水鏡老師に、先生はわざと軽く眉を顰めて見せた。
気心の知れた自慢の弟子と、冗談を言って穏やかに過ごすひととき。
水鏡先生は、家族の縁は薄かったが、老後の楽しみに恵まれていると、幸福感に双眸を細めた。
<Something4 全5話> 全話一気読みへのショートカットは → こちら