五行アレンジの5題 (2)焔

2007/01/30

21cパラレル(五行アレンジ) 劉公叔の物語(21世紀)

劉家の黒いハイブリットカーは、大柄な男ふたりを前方座席に乗せて、前のめりに新月の夜の街を疾走していた。
一般大衆車ではあるが、窓は全面、防弾ガラスである。

「危ねーな先生。あのナンパ野郎は面食いな上に、 人妻でも平気で手を出すからな。俺の方が、ずうっと紳士っスよ」
「三弟、前向け。ハンドルは十時十分」
「兄貴も言ってやれよ。あの野郎に、一時期馬鹿じゃねぇかってぐらい、 付き纏われたじゃないスかよう。執念深えぇんだよお。 迷惑ナントカ条例ってやつ、通用しねぇ奴ってのもムカッ腹だしなぁ」
「人の悪口は言うな」
「悪口じゃねえっす。事実っス。言い寄られて嬉しかったスか兄貴」
「言い寄られ・・とは、ちと違うが・・迷惑じゃった」
「ほうーら、やっぱりじゃねえスか」
茶目っ気のある三弟が、ハンドル捌きも鮮やかに、賑やかに断じてみせる。
「何も無くてよかったスよ。ま、当然っスけど。 なんたって、兄者と俺たちがついてるんスから。 曹家であろうと、孫家であろうと、いつでも来やがれってんでスよ」
怪気炎を上げる、饒舌なハンドルキーパーに車内は救われたムードに充たされつつも、静かな後部座では、先生の膝の上に行儀よく揃った白い手に、
彼は黙って大きな温かい掌を重ねていた。


邸に戻って、彼と共用しているような状態の、いくつか次の間が続く部屋の
扉が閉まってから、先生は背後から不意に、痛いほどに抱き竦められた。
「・・・お怒りで、御座いますか」
こわごわと尋ねると、
「ちょっと腹を立てておるよ。お前を一人にしてしまった油断に」
彼は、静かな口調でそう言いながらも、嫉妬のような、あるいは独占慾のような熱を微量に含んだ唇を、白い首筋に押し当てる。
ざらりとした口髭の感触が、先生の背筋を慄わせた。
「あの奸雄が来ていることも、 お前を狙っていることも、知っていた。帰り際の隙を衝くとは・・・何も、無体をされなかったか。・・・されていたなら、半殺しだな。予告ぐらいはしてやるが」
物騒な言葉を、普段とかわらない温雅なまなざしで語っているのが、本気であることの証拠である。
「これ、無体をされなかったか」
彼の剣幕に竦んでいた先生は慌てて
「あっ・・・握手だけ、です」
「かこつけて、指輪を見たかったのだな。姑息な」
そのまま抱き上げられ、寝室のベッドの上へ降ろされて、その問題の指輪の周辺を、まるで消毒でもするように舐めたり吸ったりしている彼に、先生はおずおずと、重い口を開いた。
「・・・あのかたは、恐らくご存知です」
「何をだ」
「この指輪を、どなたが下さったのかも、それから」
「だから、どうだというのだ」
「きっと、御身辺が騒がしく、不利益に・・・」
この邸で、白い羽毛に包むように庇われ、春の陽だまりの中のように慈しみを受け、夜の帳の中で深い情を淡く交わし合い、気付かぬふりをしていた現実を氷のように感じる。
初対面で、もう互いに惹かれあってしまい、後から気がついてみれば、偶偶同性であったに過ぎないと、そのようなことを、世間が信じるだろうか。
異性であっても、生殖の結果を伴わないカップルに対する世間の目は、いまだに冷たい。いわんや。
「益であるかどうかは、また別儀であろう。 こちらから吹聴する気はないが、
 儂は、世間に知られても一向に構わぬぞ。 それでも、怖いかな。・・・儂が嫌になったのなら、これもまた別の話だが」
「左様なことは。ただ、もしも・・・」
「くどいぞ。付け加えるなら、 この寝台の上で、他の男の話は面白うないな」
「あなた様以外の、誰かなど・・・」
先生は、か細い頸を振って、彼だけなのだ と伝えようとする。
「儂を心配してくれるのは嬉しいが、 お前が斯様に曇った貌で居る方が忍びない。 もう二度と離さぬと言うたであろう。案ずるな」
己一人が傷つくことなど、いささかも恐れていない。
怖いのは、想う人に危害や中傷が及ぶことだ。
互いに憂う事は、ただそれだけ。

「・・・そうだな、もし世間に知れるなら、 なるべく本当のところを騒いで欲しいものだ」
「マスコミは、誇張と憶測と世論誘導が、仕事の一つでございます」
無理だというように、先生は白い眉間に憂いを乗せる。
「よいではないか、いっそ、先にばら撒いてしまうか。こんなのはどうじゃ。
 『公叔(47)、美貌のピアニスト(27)と熱愛発覚』
 『独占インタビュー 激白60分・儂が一目惚れ』
・・・自慢ではないが、 ”あのかた”と違って、浮いた噂など皆無な儂じゃ、さぞや目立とうぞ」
「いけません、そのような」
「ハハ、真に受けるでない。”あのかた”の艶聞の方が、彼らは数倍、書き甲斐があろうというもの。
 『美人妻略奪愛の一部始終』
 『喬姉妹を狙う銅雀タワー・驚愕の総工費』・・・。
 どこまで本当か知らんが、それは派手でスキャンダラスだ。儂らのことなど、奴らは書く暇は無いよ」
世慣れない先生が、言論の自由を嵩に過剰で典型的で陳腐な表現の数々に
居たたまれないような様子を見せたので、優しく抱き寄せて、黒い髪をそっと緩やかに撫でながら、
「もう、気に病むでない。・・・眠って忘れてしまうがよい。疲れたであろう」
彼は、そう言って、長い腕を枕にしてやりながら、この話は仕舞いにするつもりだったが、
「忘れさせて、くださいませ・・・」
先生が、襟のあたりに縋って、伏目がちに囁いたあと、揺れるような上目遣いで彼を見つめたので、彼はもう抑えがきかずに、
「・・・莫迦者。體のことも少しは考えよ。今宵も、慎むつもりで居ったというのに。誰のせいじゃ」
先生は、頸を振って、ほっそりとした白い腕を、彼の背に委ねて、誘うような甘い聲で彼の名を呼ぶと、双眸を閉じて、少しだけ貌を上向けた。
(ああ、誰にも遣りとうない)
この衝動に、柔らかい唇を、驚かさないように、まるで花の蜜を吸うように気をつけながら、彼は数え切れないほどの口づけを与える。

たかが他の男に手を握られたぐらい。
されど、この二人にとっては、充分に動揺に値する事件なのであった。


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