五行アレンジの5題 (3)Ope.

2007/01/30

21cパラレル(五行アレンジ) 劉公叔の物語(21世紀)

小暑もすぎたある日、用務先から帰る夕方の車の中で、彼は急に脂汗を流しながら、腹部の激痛を訴えたらしい。

同行していた次弟は、慌てる末弟にまず車を適当な場所に停めさせて、車内で、吉平先生に緊急連絡を入れ、その助言に従って救急車を呼び、彼を速やかに救急病院へ搬送した。

末弟は、動揺のあまり、万一の事故を招いてはいけないという次兄の忠告を素直に聞き、車をコインパークに停めて、最寄り駅で、常山の好漢が、子息と先生を連れて合流してくるのを待つことにした。
細心な常山の好漢も、長髯の狙撃手と同じ判断をしたらしく、不測の事態が重なるのを未然に回避することが重畳と、子息の手を引いて、先生を伴って、急がば回れ、公共交通機関で駆けつけた

「おお、子龍、禅ちゃん、先生、待ちかねたぜ」
見慣れた男が、子供と、夜にも目立つ白い貌だちを連れてきたので、連絡を取り合うまでもなく、遠くからでも、すぐに互いを見つけた。
駅前のターミナルへの階段を降りながら、忙しく遣り取りを交わす。
「搬送先は、分かりましたか。時々、トンネルで圏外になってしまいまして」
「華外科病院。吉平先生の押しが利いたらしいぜ」
「それは良かった。もう、タクシーで行きましょう」
「うおおお、兄者ぁー!」
「張叔父さん、泣かないで・・・僕も我慢してるのに、涙が出てくる」
「すまん。だが、俺はっ、俺はあっ!」
大の男が、絶叫と号泣を始めるので、常山の好漢は、さっと車を捕まえて、
まず鼻水を垂らす男を、その助手席に押し込んで、運転手に目的地を告げた。


「九分九厘、胆石、ですね」
大男が詰め掛けていたために選ばれたのかどうかはわからないが、小さな会議室めいたところで、レントゲン写真を引っ掛けて、若い医師から病状の説明がある。
「今は、麻酔と点滴で、眠っていただいております。
 明日以降、もう少し検査させていただきますが、まだお若いですし、体力も充分とお見受けします。
 なるべく早めに・・・華院長の執刀日に切ってしまわれることをお勧めします。もちろん、明日、ご本人がお目覚めのあと、同様にご説明して、ご同意いただけたら、ですが」
次弟は、長い髯を撫でて、沈痛な面持ちをしていたが、
「病状は承知いたしました。まずは明日、長兄の意向を聞いてから、宜しく加療願いたい」
鼻水を啜り上げる末弟の背を叩いて励ましつつ、頭を下げた。
子息が、心もとなそうにしているのを見て、常山の好漢は、気を利かせ
「お眠りではありましょうが、面会は可能でしょうか」
若い医師に、やわらかい物腰で問うた。
「もちろんです・・・ただし、当院は完全看護ですので、病室にはお泊りになれません。お含み置きください」

上階のナースステーションに寄って断りを入れながら、彼の病室を、5人で、足音を忍ばせて訪れる。
ほの暗い中で、血圧や心拍数を記録する医療機器のモニタが青白く光っている。
彼は、血色もよく眠っていたが、腕に刺された点滴の管が、「眠らされている」ことを物語っている。
「・・・ちちぅぇ」
掠れた声で、子息は彼を呼ぶが、彼は目覚めない。
枕頭で、ぽろぽろと、大粒の涙をこぼしながら、消毒の匂いがする白いカバーをした毛布の上から、大きな手を探して握り締めて、
「大丈夫だよね、朝になったら、ちゃんと、起きるんだよね、そうだよね、子龍」
医師の説明を、幼いなりに理解したつもりの事に、同意を求める。
「そうですよ。明日、またお見舞いに来ましょう。 その時は、きっとお話できますよ」
安心させるように、常山の好漢は、いつもの通りに、爽やかに明るく笑んでみせる。
事実、今日明日という深刻な状況ではなく、外科医として「神の手」を持つと名高い華院長の執刀が望めるならば、いま暫くの辛抱であろうという明るい見通しは容易につく。
「これ、兄者が起きるではないか。起きたら痛むかも知れん」
「けどよぉ、鼻水が止まんねぇんだよ、ああ俺が代わりてぇ」
廊下に出ると、更に迷惑であろうと思ってか、個室の隅で、大柄な兄弟ふたりが、なだめあっている。
先生は、枕頭に張り付いた子息と、それを慰める好漢の後ろに立って、横たわる彼の姿を、瞬きも忘れたように、ただ黙って見ていた。

夜も更けた中、皆でしんみりとコインパークまで戻り、体格の都合と安全を考慮して、常山の好漢が運転を代わり、助手席では泣き疲れた末弟が眠った。
後部座席の3分の2を、同じく眠ってしまった子息を寄りかからせた次弟が占めて、残りのシートに先生を乗せて、車はやや、タイヤを軋ませながら、邸へと夜道を帰っていった。


翌日の面会時間早々に、彼の病室を先生と三弟が訪った。
三弟は、ひとしきり男泣きをして彼に甘えると、ようやく落ち着いたのか、
「あ、俺、ちょっと煙草吸ってきまス。最近の病院ってヤツは、 喫煙所が建物の端っこで、よくねぇですよ。 ヘビースモーカーの結石患者とか、却って悪化しますゼこの環境」
と、今泣いた烏がもう笑ったという具合に、歳に不似合いな茶目っ気一杯に手を振って病室をあとにした。

饒舌な末弟が去って、急に静けさを取り戻し、窓の外の、門の木立のあたりに、羽化しはじめた蝉の鳴き声が遠く聞こえてくるようになった病室で、
「どうしたのかな、瞼が、腫れておるぞ」
彼は、めざとく見つけて、先生が昨晩、泣いていたに違いない事を言い当ててしまったが、
「・・・眠れなかったのです」
先生は、睡眠不足の所以にして、誤魔化そうとするので、それ以上は追及せずに、
「胆石、今やそれほど難しい手術ではあるまい。知らぬが仏かもしれんが、賢いお前がどうしてそうも 心配するのだ」
と、解せない顔をしてみせる。
「聡明なお前らしくもないではないか」
「まるで、夢にみたことがあるようでございます」
「死に別れるような、夢だったかな」
「そうだったのかも、知れません」
先生は、何かを思い出すような遠い眸をして、涙が落ちないように、我慢しているようだった。
「良い機会だから、言うておこうか・・・ここに、座りなさい」
彼は、ベッドに先生を腰掛けさせて、冷たい手をとった。
先生は、これも夢と同じだったような不吉な感覚に、涙が湧いて仕方がない。
「儂は、はじめ、邸にお前が居れば、 見ているだけで良いと思った。 いかに長生きできようと、いつかお前を置いていかねばならんことは 明らかで、お前の生涯を守りおおせることが不可能だからだ」
彼の穏やかな聲音を聴きながら、夢の中では、二人とも、もう少し歳を重ねていたような印象が、先生の心の中を朦朧と去来する。
「それならば、そのまま墓場まで黙っておれば、いつかお前がお前の幸せを見つける姿を見て、以って瞑すべしと思っていたが」
彼は、少し言葉を途切れさせ、聲もたてずに涙を零す先生をどうしたものかと思いながらも、ゆっくりと続けた。
「お前を傍に置いたら、もう無理なことであった。 人の心というものは、まこと、御し難い。 お前はどうであったか知らぬが、一週間、たった一週間、お前と邸で暮らして、先生ではないお前を見てしまっただけで、もう我慢など、ならなかった」
話せば、話した言葉の分だけ、また涙の粒を生んで濡れる先生の頬を、
分厚い拇指の腹で拭いながら、
「・・・お前は、こういったことに淡く生まれついているようだから、
 分からぬかも知れぬが、何度、この頭の中でお前を恣にしたことか、
 数え切れない。昼間に、その貌を見るのが、 どれ程に 後ろめたかったことか」
嫌われてしまうであろうか、と、いささか臆しつつも、しかしこの機会を逃しては、いつ言い遺せるか分からない真実を、彼は抉じ開けるように物語る。
「虚しい片想いであった。お前が望まないなら、 これ以上お前を穢すことをせず、潔く諦めて身を引こうと、 黙って死んで後悔先に立たぬよりは、言うて悔やもうと、まるで、裸馬に乗って、千尋の谷を飛び越えるような思いであったよ」
飛び越えた今は、彼はもう何も怖いものなど、ないのだった。
歯医者はもちろん、この度の不意のオペも、何程のことはない。
これで落命するのならば、それも運命であり、過日に、先生に心が通じたのもまた、運命である。
「賢いお前なら分かってくれるだろうか、儂らは、實際、これほど歳が離れておるが、 別れは誰にでも、必ず訪れるものであろう」
「左様で御座います」
先生は、涙に暮れながらも、明晰な頭脳の思考にもとづいて、至極しずかに同意する。
「それを恐れて、口を噤んでおっても、避け得ない」
「その日のことは、考えることも恐ろしゅうございますが、それを恐れて、お傍を離れることなど、出来ることでは御座いません」
「そうじゃ、儂らだけではない。皆、そうなのだ。 普段は、気付かないだけでな。
儂らに、あとどれだけの歳月が許されているかは知らん。だが、お前の心がここにある限り、傍に居ておくれ」
「いいえ、公叔の御心がここにある限り、どうか、 お傍から、離さないで、くださいませ」
二人には、遠くの蝉の聲も、ときおり廊下に流れる業務放送も、もう耳に届かず、ただ互いの言葉が伝えようとする思いのみがあるだけであった。
それは、もう指折り数えられないほど、久遠の彼方の昔に、経験したかのようなことにも思えた。
彼は、なおも涙の止まらない先生に困って、
「そうじゃ、それほどに心配ならばな・・・ 上着の内ポケットに、守り袋があろう。持っておいで」
先生は、言われたとおりに、幅の薄い木製のロッカーの中の、彼の大きな上着の中を探り、方形の錦の袋を見つけた。
(普浄和尚の寺で、お借りしたお守り)
中身は、劉家伝来の、璧である と、先だっての訪日を思い出しながら、彼に手渡す。
「そなたが、禅と、禅の母に気を遣うて、するなと言うたでな、いつも、ここに入れておるのだよ」
彼は、袋の底を探って、真新しいままの銀色の指輪を取り出した。
いうまでもなく、先生の右手の薬指に嵌っているものと全く同じ形状をしている。
「手術の間だけならば、よいであろう。オペの日の朝に、必ずおいで。そして、儂の指に、お守りをしておくれ」
先生は、おだやかに微笑む彼に、ぎゅっとしがみ付くと、
「必ず参ります・・・わたく・・し」
涙聲になりながらも、意味を成すように必死に息を整えて、続きを彼の巨きな耳に囁く。
多くの場合、手術の際には装飾品を取り外すことになっているが、それは二人にとってこの際問題ではなかった。
その囁きを聴いて、彼は、まるで先生をあやすように抱き返しながら、
「むぅ・・その、な。腹を切ってな、麻酔が切れて、 一番痛かろう時に、其れをもう一度、言うてくれまいかの」
腕の中で、きっと、泣きながら真っ赤になったであろう先生に、冗談半分、本気半分で、おっとりと、ねだってみせた。

”わたくしの、げんとくさま”


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