伝統的お題で3題 (1)花

2007/01/30

21c(パラレル雪月花) 劉公叔の物語(21世紀)

天高き秋の昼下がり。
公叔邸に匿われたその日から、先生の私室として用意された小さな瀟洒な部屋の扉が軽やかなノック音を室内へ伝えた。

「どうぞ」
先生は、出窓に腰掛けて、澄んだ青空を仰ぐついでに、見慣れない業務用の軽自動車が、車寄せから走り去っていったのを眺めて見送っていたが、窓から降りて、出入り口へ数歩、歩み寄った。

扉が開くと、よい香りとともに、常山の好漢の爽やかな笑顔が部屋へ舞い込んだ。
「先生に、お届けものです」
「わたくしに?」
先生がここで暮らしていることは、周家と曹家、そして水鏡老師しか知らない。
しかも、好漢が差し出したのは、この大の男でも一抱えという嵩の、バラの花束だ。
「公叔から、先生にです」
「英国庭園へのご用務は、来週ではありませんでしたか」
それ以外に花を贈られる因果関係が見当たらないので、先生は、確認の意味を含めて、好漢に話しかける。
「その通りです、来週の日曜日の、アフタヌーン・ティーに招かれておいでです。
 ・・・ああ、カードが添えてありました。 花瓶などは、今、メイドさんが見繕ってくれておりますので、後ほど」
必要な事だけ伝え、常山の好漢は花束と、紛れもなく彼の筆跡で書かれた先生の名を乗せた小さな封筒を先生に手渡して、すみやかに部屋から退出していった。

思いがけず、なんともいえない豊かな香りと、まるでセピア色の映画の中に咲く桃色のバラのような、懐かしいような珍しい色の、花弁の巻き具合が深い、いかにも育ちの良さそうな花束を抱いて、先生は束の間、茫と立ち尽くしていたが、思い出したように、切り込みに差し込んで封をしてあるだけのカードの封筒を片手で開封して、小さなカードを拡げた。

花弁の形が型押しされた、少し厚手の、表紙の端を美しくレースの形に切り抜いた上質の白い紙を開くと、見慣れた大きな彼の文字が、万年筆のインクの濃淡も鮮やかに、書き付けてあった。

 ”そなたによく似ていたので、いま贖ってしまった。
  好きな部屋に飾るとよい”

ブルーブラックで綴られた短いメッセージと、彼の堂々とした署名。
用務先の途中で、偶然に花屋でも目に止まったのだろうか。
何が似ていたのだろう。
この、珍しい色合いだろうか。香りだろうか。
数を数えてみると、意図したのかどうか、先生の歳の数ぴったりで、そして棘は全部裁ち落とされていた。

好きな部屋。
先生は、暖炉の部屋も、書庫も、食堂も、ピアノを置かせてもらっている居間も、どこも好きなのだ。
選べない。
風水の面から考えると、玄関が一番よい。
玄関の花は、家に必ず幸運を呼び込む。
贈り主の彼にはもちろん、劉家の皆にも、来訪者にも、福を分けることができる。
やはり、玄関が良いだろう。
そう考えついたのを見計らったように、またノックの音がしたので
「どうぞ」
バラを抱いたまま、先生は返事をする。
「失礼いたします」
メイドの娘が、いくつか花瓶を載せて、ワゴンを転がしてきた。
「どちらにお飾りになりますか?お手伝いいたします」
先生の傍らに近づくと、バラの香りのあまりの芳しさに、娘の表情も華やいでいるようだった。
「わあ、綺麗!」
思わず、といった雰囲気で、褒め言葉が娘の口を衝いて出た。
「ええ、なんともかぐわしい」
「これだけ本数があると、ポプリみたいにエッセンスで加工していなくても、こんなに香るのですね、・・・おうらやましいです」
「本当に、独り占めでは、罰が当たります。玄関に飾ってはどうかと思っているのですよ」
「先生・・・お優しいです。しばらく私どもも拝見できますのね」
メイドの娘は、例えば好ましく思っている人物から、このような花束を貰ったなら、どんなに幸せか、というような様子で声を弾ませた。
「どの花瓶にいたしましょう?クリスタルもいいですけれど、 この白い磁器も捨てがたいような」
「白にいたしましょう」
バラであるという主張すら忘れたような風情のこの花には、あっさりとした花器が似つかわしい。
「かしこまりました」
この美しい花を構うことができることに、メイドの娘は仕事が増えたという捉え方を全くしていない明るい表情を見せて、嬰児を抱くようにバラを受け取った。
受け渡すときに、握り締めていた彼の書いたカードの筆跡が先生の目に入り、
「あっ・・・その一輪挿しを」
ワゴンに乗っていた、まるでメスシリンダーのように細い、飾り気のない、背の高いガラスの花器を、先生は所望した。
「少しだけ、いただいてもよいでしょうか」
先生は、既に自分のものである花束を、まるで家の皆の財のような口ぶりで、彼女に許可を求めるようにおずおずと言った。
「先生のお花ですよ・・・? なるべく、蕾のにいたしましょう」
年上の天才ピアニストに、何となく可愛らしさを感じながら、娘は何気ない風を装って、選り抜くのを手伝った。

その夜、劉家の黒いハイブリットカーは、日付がかわりそうな時刻になってから邸に帰ってきた。
長い一日を、互いに労い合いながら玄関の扉を開くと、彼が昼に配達させたバラが三人を迎えた。
「あーっ、やられた。さすが先生だ。みんなハズレかよ」
先生が花をどこに飾るのか、桃園飯店の美酒一壷の賭をもちかけていた末弟は、大きな声をあげた。
「これ大声で。禅さまが起きたらどうする」
という次弟も、
(玄関とはまた、気前のよい)
と、先生の人柄に改めて感じ入った表情をしている。
「ああ儂、なぜ初めに思ったとおり玄関に賭けなんだか」
先生の事を、邸で一番理解しているはずの彼も、多少の願望が邪魔をして、ピアノの部屋を主張したのだ。
もちろん、賭けのために先生に花を贈ったわけではなく、今日の昼に、彼が前代未聞な行動に出たために、冷やかし半分、照れ隠し半分ににもちあがった賭けなのだった。
三兄弟みな全滅だったというのに、この夜更けに、まるで先生に出迎えてもらったようで、三人とも、少しも悪い気分がしなかった。

一日の汗を流して、そっと大きな寝台へ寄ると、いつもより彼の寝室は明るかった。
帰宅が遅くなりがちな彼のために、先生はフットライトを点けたまま眠ることが
習慣なのだが、今夜は調光を消えそうなほどに落としたサイドライトがともっていた。
意図的な光に招かれて、注意深く歩み寄ってみると、ベッドサイドのテーブルに、細いガラスの花瓶が光り、昼間のバラの蕾が二輪だけが活けてあった。
少し互い違いに、背の高さを変えて、二輪は寄り添うように。
玄関では、花の本数まで数えなかったので、二輪足りないことに、彼は気付かなかった。

(そなたはなんと、いじらしいことをするのだ)
ランチミーティングをしたホテルの一階の花屋で、珍しい色合いのバラをみかけて、彼は、花を贈りたいという衝動に生まれて初めて駆られ、花屋の勧めるがままに、「その人の歳の数」を買い求めたのだが、僅か二輪の雄弁さの前に、しばし立ち尽くしていた。
先生は何事についても造詣が深いが、この二輪は、単純に英知にのみ発することではない。
彼への感謝の念、彼への想いの深さ、聲や文字にあらわさずとも、ただ二輪を枕辺に飾るだけで、これほどまでに伝わるものなのか。

彼は、この花のどこが先生に似ていたのか、明日の朝いちばんに滔滔と述べてやろう、そのためには、少し早起きをして、先生も起してしまおうと決めて、
本当はいますぐにでも揺り起こしたい気持をこらえ、先生の眠りを妨げないように、傍らにゆっくりと体重をかけると、
(いや、不謹慎にも、それから何か仕出かしてしまうかもしれない)
と、情を燻らせながら、その黒い髪にだけ唇を寄せて、灯りを消して眠りに就いた。


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