メイドは見た!(12)  教えてジャパニーズガール!!(2)

2007/02/13

パラレル「メイドは見た!」

暖炉の部屋の先生に3時のお茶をお運びすると、
ノックも聴こえていないほどの、ご集中ぶりです。

扉を半分開けてから、指の関節を意識して、
先ほどより高いノック音を鳴らしてみると、先生は驚いたように
反射的に白いお顔を上げて、
「もう3時でしたか」
公叔と、似たような事をおっしゃいました。

「お茶請けが、おくちに合いますかどうか」
玉露に、郷里の母が送ってくれた和菓子を添えて、
サイドテーブルに置いて、お勧めしました。
謙遜はしましたが、めずらしいココア味の落ち葉の形と、
ミルク味の雪の結晶をかたどった形の、とてもおいしい落雁です。

ちらりと見えた、先生の没頭の理由。
『たけとりのをきなのものかたり』

しかも、影印本。
ということは、おそらく日本の出版物。
このかたは、天才ピアニストで、でもお坊さんの揉め事も
丸く収めてしまうかたで、それから、
あの高名な漢学者の水鏡先生の秘蔵のお弟子で・・・。
この邸の主である、公叔の一番大事なおかた。

そして、今お手になさっているのは、
わたしたち日本人でも、心得がないと解読できない、
筆記用具が筆だけといっていい時代の写本の、書籍。
公叔がおっしゃったことを思い出しました。
”興趣を誘われると、口数が多くなる”
本当でしょうか。

「あのぅ、先生は、仮名文字にもご関心がおありなのですか」
伏せられた本の背表紙に注目して、
不躾ながら、そう聞いてみました。

物語にご興味があるだけにしては、
かなりハードルが高いご本です。日本人にとってすら。

「ええ、とても面白いです。同じ文字を近接して書くときには、
 態と別な文字から派生した仮名をあてる難解さが特に。
 ・・・ああ、お嬢さんは日本の方ですよね。お懐かしいでしょう」
淡い、中性的な表情で、微笑まれました。

「先生は、見事なお手だと、先ほど公叔が仰せでした。
 あ、わたくし、実は後漢帝国美大の書道科の留学生なんです」
「そうでしたか。
 ・・・わざわざご留学とは、漢詩などを書くほうがお好きなのですね」

仮名が苦手で、漢字ばかり書いていることをを、ずばりと見破られました。
でも、お優しいです。漢字の方が好き、なんて言い方をしてくださいました。

「なんか、仮名って女っ気を誇張するような感じで、好きになれなくて。
 一向に上達もしませんし」
「女性の特権ですよ。流麗ではありませんか。どちらもなさればお宜しい」
「いえ、片方で精一杯です」

天才の言うことは違います。
どちらも奥深い道です。
両方なんて、凡人の、しかも修行中の身には無理です。

「あ・・・、大学の書初め大会」
「はい」
「もうすぐではありませんか?」
「よくご存知ですね」

メイド派遣部の先輩のおねえさまたちの話を
小耳に挟んでいると、テレビも新聞も見ない、
ほとんどこのお邸に箱入りといった風の先生にしては、
浮世のことも、思ったより知っておいでです。
「知人が、居りますので」
近しい人を思い浮かべたように微笑まれました。

先生の知人ということは、学生ではなく、教官でしょうか。
あまり先生のプライベートに深入りしてもいけないので

「日本には『弘法は筆を選ばず』という諺があるのですが、
凡人はなかなかそうもいきませず、自分の書道っていうものが
何年たっても見つからなくて、紙だとか筆だとか墨だとか・・・、
道具立てに試行錯誤したりする愚を何度も演じてしまいます」
溜息まじりに、実は今の悩みの一つを、言ってしまいました。

「よくあることです。基本に、立ち返ってみることです。
お好きなお手本、それとも、初めて書道のお手本として
意識した教材を、書いて御覧なさい。蘭亭序でも、何でもよいのです」
月並みに見えて、昔から王道のないこの問題の打破に
一番有効な助言をくださいました。

わかってるんです。
うわべだけ飾り立てても、根幹がしっかりしていないと、
実力として備わらないということ。
なのに、あれこれ理由をつけて、基礎にたちかえる労を惜しんでいる自分。
見抜かれてしまいました。

「お人柄が滲み出るような文字なら・・・。公叔のお手など、実に見事です」
「そうなんですか」
「ほんの一筆でも、まるで耳元でお聲が聴こえるようですよ」
「そういえば、ご署名、とてもご立派です」
「いえいえ、お名前は、お仕事柄、特に修練なさった文字です」
「そういえば、ご記帳とか、お名前を書く機会が多いですよね」

わたしたちは、お名前以外の文字を目にすることは、
ほとんどありません。
もしあるとしても、執事の趙さまがタイプしたものだったりして、
やっぱりそれにご署名、という感じです。

「そうなのです。そうではなくてたとえば・・・。
 ・・・早朝におでかけの日に、洗面所の鏡に何気なく貼った付箋に
お書きの朝の挨拶や、冷蔵庫の中のお土産に添えたメモや、
・・・時々、わざわざ外出先からサプライズをなさったり、それから・・・」

あらあらあら。
公叔のことになると、俄然、舌が滑らかになっておしまいになりました。
こんなに立ち入ったことをうかがって、良いのでしょうか。
あっ、なんだか、最近の「一筆」を思い出しておいでなのか、
先生が頬を染めて、俯いていらっしゃいます。
何と書いてあったのでしょうか。
ストレートに『愛しているよ』
それとも『今すぐ抱き締めて接吻したい』
まさか『今夜は覚悟しておれ』

違いますね、なんとなく、そうじゃなくて・・・。
この間、先輩のおねえさまがたからお聞きした
「サプライズ」の一つを思い出しました。
お昼間にお邸に届いた大きな花束に添えられた、
カードの封筒に書かれた先生のお名前が、
とても書きなれていて、公叔が先生を呼んでいるお姿が
目に浮かぶようだったと、噂なさっていたのでした。
さすがに、カードの内容までは、誰も知らないのですけれど。

「今度また、日本へ行ったなら、書をあつめているような美術館へ
行ってみたいものです」
「あー、恥ずかしながらわが国は、中々、碑林のようにはいかないのですが・・・」
「日本の書はまた我が国とは違ったおもむきがあります。やはり、はじめは京都がよいのでしょうか」
「そうかもしれません。一箇所でご堪能になるのは無理でも、ハシゴすれば。
あ、お経でよろしければ、奈良にも色々。奈良は墨も特産です」

ようやく話が戻ってきたので、少しほっとしました。
「あれが見たいですね。『見ぬ世の友』」
「先生・・・マニアックですねぇ」
ふたりで、なんだか、打ち解けたように、
ころころと笑ってしまいました。

「でも、山のほうでないと、いい温泉は、ございません」
「温泉? なぜ温泉ですか?」
先生は、話題が飛躍したとお感じになったような表情をなさいました。
「公叔は、温泉にご関心がおありのようでしたので」
「温泉ですか・・・。お傷がまだ、お痛みなのでしょうか。
この冬は特に冷えますからね・・・」

先生は小首を傾げて、口数が少なくなっておしまいになりました。
温泉は、先生の興趣を誘う話題ではないようです。
帰ったら、おねえさまがたのお耳に入れても構わないでしょうか。
いえ、口止めされたとしても、『王様の耳はロバの耳』、
言いたくなってしまいそうですが。

もちろん、温泉のほうのことを、です。