「大人の情景」 十分に幸せ

2008/11/13

21cパラレル(大人の情景 劉公叔の物語(21世紀)

「常山の。でかした。この男だ」
事務も護衛も内偵もこなす、常山出身の若い片腕を、
彼は、ぽんと、巨きな掌でその肩をひとつ、
かろく叩いて労った。

「というよりも、我々が、この方面に疎かっただけ、とも言えます」
 "俳優のような美男”
有力な手がかりがあった為に、難しくはなかったのだと、
己の功を誇らないのも、この若い片腕の、
若さに不似合いなほどの美点である。

「有名人、いや、寵児といったところか」
先週の土曜日に目の当たりにした、俳優のような美男が、
機嫌よくほほえむ画像の何枚かを捲り、
彼は、あの男に関する履歴を読み飛ばす。

クラシックピアノ界の貴公子、通称、周さま。

孫呉財閥の一族の周家の御曹司で、
幼い頃から欧州の音楽院の特待生となり、
数々のコンクールで最年少での入賞を果たしつづける。
甘い顔立ちで、数々のソロ演奏のCDのジャケットを飾り、
おもに若い婦女子からの熱狂的な人気を博している。
スーパーモデル出身の美女を妻を持つ、愛妻家であることが
公然の事実であることすら、その人気に影を落とすことはなく、
むしろフェミニストぶりが、ますます受けているようである。

最近の受賞歴のリストの中に、
一度だけ、あの男が優勝できなかったコンクールがあった。
その記述の行を、分厚い指で叩いて、
「優勝したのは、孔明先生ということか」
「はい」
「ふん」

若い片腕の報告と、水鏡先生から洩れ聞いた
断片的で婉曲な昔話や、たとえ話を思い合わせて、
彼は、短い間に、直感的に決断した。
「こやつを、明日連れて来い。・・・いや、お招きしよう」

報告書を机の上において、椅子から立ち上がると、
そういえば、と、月曜からスケジュールがびっしりと埋まっていて
貌を見ることのなかった先生を思い出し、
「先生は、どうしておいでだ」
「お元気に見えます・・・が」
「が?」
この、機転の利く若い片腕にしては、珍しく
困惑の表情を浮かべている。
「あの方は、本当に、ピアニストなのでしょうか」
「何とな?」
「あっ、言葉を誤りました。想定外に、不思議な方なので」
「不思議とは」

 公叔が、お言葉少なく、先生を お「匿い」になる、と聞いてから、
 翼徳どのはなんだか、
 「ヤバイ事に噛んでるとは思えねぇきれぇな顔してやがる、
 顔っていうか、目っていうか、よくわかんねぇ。全部だな。
 きっと、見ちゃならねぇもんを見ちまったってクチだろ。
 かわいそうにな、怖かっただろうな」
 などと、空想しては涙ぐんで、でも近づきがたくて廊下の隅から
 先生をチラチラ気にしているような、あの図体、失礼、
 体格に似合わないような、可愛らしい一面をのぞかせておいでです。

 雲長どのは、
 「先生はご遠慮がすぎるのではないか。
 ほとんど、ピアノに向かっているお姿を見たことがない。
 やはり、家から運んで差し上げるべきなのではないか。
 だいたい、先生は兄者のことを分かっておられるのか。
 もっと甘えても良かろう。それに、どうしてあんなに少食なのか。
 大船に乗った気持ちになっていただかねば、お匿いの、し甲斐がない」

 と、何ひとつ運ばせようとしない、食も細い先生に、
 せめてお茶でも差し上げようと、
 あれこれ品種を変えてお届けしながら
 なんだかヤキモキしていらっしゃいます。
 
 私はといえば、次の間に詰めてお匿いしている以上、 
 某警備会社の防犯システムにも
 負けないつもりの護衛をしておりますが、
 早朝、お姿が見えないと思うと、
 裏庭の隅で、小鳥にパン屑を与えて戯れておいでで、
 夜にお姿が消えたと思うと、どこからよじ登ったのか、
 屋上に寝転がって星空を見ていらしたり、
 昼間、血眼になってお探ししていると、
 書庫の隅の、あの長椅子で転寝をなさっていたり、
 倉庫から、骨董モノのMacを引っ張り出して、
 何やら繋げたり、黒い画面に緑の文字を打ち込んでいらしたり、
 庭で、自然落下した木の枝を持って、
 なんといいますか、ナスカの地上絵のような線を引っ張っていたり・・・。
 何しろ、あの物静かな印象からは想像できないような、
 奇想天外なお暮らしぶりです。

 あ、あと、新聞もテレビも全くご覧になりません。

 私のほかに、誰も居なくなると、
 長い一曲だったり、短いのをたくさんだったり、
 何も見ないでピアノをお弾きになります。 
 ピアニストらしいのかどうか、よくわかりませんが、
 一応、さりげなく、あとで曲目をお聞きして、メモしてはありますが。
 ……。

どうやら、彼の若い片腕は、
彼自身、今後どうしたいのか分かっていない、
今後何を知りたいのか分かっていない、
そのための一助として、『孔明先生観察日記』のようなものをつけているようだ。
そのくそまじめさと報告内容に、だからこいつは好漢なのだと、
愉快げに笑って、彼は再び労い、
「孔明先生に会おう」
と、案内を命じた。

狭い邸で、案内も何もあったものではないが、
客間の扉をノックして、
「孔明先生ー、公叔がお会いしたいそうですが、いまよろしいでしょうか」
少しは打ち解けたような調子で、扉の向こうに声をかける。

走り寄るような小さな足音が、靴でなく、
部屋履きのような軽さであったので、
彼は、しまった、日付の変わる前後かと、
今更、腕時計に目を走らせた。
が、
時計は23時を指す少し前であった。
(早寝なのか)
ドアノブが、大変ゆっくりと回って、風圧もなくそっと扉が開いた。

「お休みでしたかな」
いつも、土曜日の夕方に見ていた貌を、
木曜日の夜の自邸で見ていることに、新鮮な驚きと、
一種の感慨をいだきながら、のぞき込むと、
いいえ、眠る前にちょっと、いたずらを、と、
インクで汚した右手をこするようにしている。

窓辺の小さな机のうえで、
手書きの即席五線紙に、音符を並べてあるのが、
何枚も重なって、何枚かは、床に散乱しているのが見えた。
 ”本当にピアニストなのか”
さきほど話していた内容を思い出して、
彼は、廊下に佇む若い片腕と、ふ、と笑みをかわすと、
休んでよいぞ と、指示を与えた。

座ってもよろしいかな、と、
先生の許可を紳士的に求めて
彼は、ちんまりとした応接椅子に腰掛けて、
「作曲もなさるのか」
目で、着席を促しながら問いかけると、
先生は意外にも恥ずかしげに、
「それほどの腕前では・・・閃きのようなものです。詩のような」
床に散らばった五線紙を拾って揃えて仕舞ってから、
彼に対面して座った。

「ところで、周家の御曹司のことですが」
ずばりと言ってから、先生の表情を見守ると、
案の定、「なぜ」という疑問と、
長年の因縁について、深入りしてはいけないという
軽い警告の色が浮かんだが、
迷惑という印象は受けなかったので、
彼は勝手につづけた。

「明日、彼をここに呼ぶことにします。先生は、同席なさい。
あくまで、儂と彼の交渉を聞くだけのつもりで、
何も話さないでよろしい。大丈夫、指一本出させん。
そして、もし儂の交渉に不服があれば、彼と一緒に行くがよい」

明日、先生がここを出て行くことになっても、
それは仕方がない。
水鏡先生が言っていた。
 ”あれに、ピアニストというレッテルを貼ってしまった責任は、
 ワシにもある。軽率なことであった。あれは、音楽に限らず、
 文字通りの天才なのです。惜しいかな。さぞ、生き難いことであろうて”

先生が望むように生きられるようにして差し上げられないものか。
そのために当座、こうして匿っているだけでも、
彼は、いま十分に幸せであった。


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