「それはもう、仰せ下さいますな。
わたしのこの貧相は、百人の人相見に見せても
一人見抜くかどうかでございますよ。取るに足らぬこと」
せっかくの大好物の美酒を前に、愛想笑いをしながら、
わたしは少々面倒くさく呑んでいた。
面白いわけがなかろう。
ご主君とサシで呑む酒など、美味かろうはずがない。
実際、不味いわい。
畏れ多くも、このように思っているのは、
奇怪なことに、ご主君の膝下で、わたしだけだろう。
全く、どいつもこいつも、ご主君に誑されておる。
わたしも、誑されていないとは言えぬが、
では、なぜここに居るのか、理をつくして述べよといわれれば、
はっきり述べる自信があるぞ。
辛気臭い雨の日に、近郊へ視察に出かけたまま、
孔明の奴、ぬかるみにでも嵌ったか、閉門まで帰ってこなかった。
あるいは、急に何か思いついて、途中で事を処しているのかもしれぬし、
御命の牌を持っておろうから、門限など構うまいが。
お陰で、とうとうご主君の晩餐に捕まってしまったではないか。
いままで、巧みに避けてきたというのにだ。
迷惑千万。勘弁してくれ。本当に。
「あれは、儂の一生の不覚であった。思い出すだに、恥ずかしい」
わたしの貧相をご覧になって、閑職をお与えになったことを、まだ悔いておられる。
おおお……。
なんとも、年恰好に似合わず、清廉で飾らない、男らしいお顔じゃ。
此れに皆、誑されておる。わたしも、少しはな。
しかしな孔明、おぬしのような寵用を賜るのだけは、
わたしは御免だ。おお、寒気がしてきたよ。
「そちは、酒豪じゃ。今夜は大いに飲もう。儂が先に潰れようがな」
いやな流れだなあ……。
酔い潰れて、ご主君と共に寝るのだけは避けたい。
誤解のないように言っておくが、ご主君が嫌いなわけではないよ。
むしろ、好きな方だ。
だがな、わたしはこうみえても、神経質でな、
嫌なんだよ。他人と枕を並べるなんてな。眠れないんだよ。
わたしに不味い杯を傾けさせながら、
ご主君は、おぬしとわたしを共に擁しておられることを、
過ぎたる果報と、何度も繰り返し仰せになる。
……もしや、もう酔われたか。
この際、潰れておしまいになる前に、機に乗じて
申し上げてしまえ。
「それは、うまくありませんな」
「どういう意味かな」
おぬしの次席ではあっても、同列とお思い下さっておると、
勿体無いお言葉をいただいて、わたしは、軽くいなした。
「理由はいくつもございますがな、たとえば、
龍をご寵用になるのは道理にあっておりますが、
わたしは、いけませんな」
「なぜじゃ」
ご主君は、怪訝なお顔をなさる。
まあ、当然だ。不細工なわたしをお召し抱え下さったのは、
わたしの唯一の美点を用いようとなさるがためだ。矛盾しておる。
言いたいのは、待遇のことだ。
常にお心にかけていただくなど、重すぎるのだ。
もう少し、放っておいていただけないものか。
これを直截的に申し上げるほど、わたしは礼儀知らずではない。
「わたしは龍ではございません。庇の下ぐらいに、
適当に置いていただくのが気楽で良いのです」
「庇の下、とな」
よし、ご主君の杯が止まった。
このまま滔滔といろいろ申し上げて、残った酒を無心して帰ろう。
「いつでも、飛び立てるような気楽さを
特にお許し願えれば、鳥は無上に喜ぶものでございます。
どんなに広かろうと、鳥は籠が嫌いでございます」
「むぅ・・・」
「更に、わが姓は、既に广に龍でございますれば、
たとえ、あ奴と双龍と呼ばれてようとも、同じこと」
ちょっと喩えが回りくどかったかな。
ご主君の、豪放と同居するこの、一種の細やかさに
合せてみたつもりだが。
「庇を借りて母屋を取るようなことはございません。
母屋には……恐ろしい龍が棲んでおりますからな」
お前は、孔明が恐ろしいのか」
「これはしたり」
慣れとは、怖いな。おぬしに聞かせてやりたいよ。
「ご主君は、ご承知の上で、あの危ない奴を
傍近くお召しなのでございましょう。……つくづく、胆の据わった御方だ」
「これ、脅かすか」
「滅相もない。ご主君のご器量が遥か上でございますよ
……まんまと、龍を飼いならしておいでだ」
「飼っているつもりはないぞ」
「言葉を誤りましたな、懐いた、とでもいうべきでしょうかな」
ああ、いかん。あまり、おぬしの事に深入りして話してはならん。
おぬしの事は、ご主君の方が何枚も上手だ。
わたしの得手に引き込まねば。
「儂は、龍と鳳の片方を、えこひいきするつもりは毛頭ないぞ」
だから、その寵用なさりたそうなお顔が、困るのだ。
えこひいき、大いに結構。窮屈なんだ。愛玩と紙一重な鳥籠は。
ご主君なら、わたしを鳥籠に入れないと、お信じ申し上げているのに。
だいたい、おぬしが先にお仕えして、君寵を欲しいままにしていることも、
大いに勘定に入れた上で、わたしはお仕えする気になったのだぞ。
「たとえば、龍は風雨を好みましょうが、鳥は、苦手ですな。
そんな荒天には巣の中で、ぬくぬくと、じっとしておりたいものです」
「荒天であろうとも、庇に捨て置けというか」
「御意」
さすがに、わかっておいでではないか。
「鳳の飼い方と、龍の飼いかたが、違うことだけ
お心にあれば、ゆめ不服などございませぬ。
それが、わたしにとっての御恩で、厚遇で御座います」
「そなたを、少し分かった気がする。鳥は、足音に驚く。
儂は、近寄りすぎるか」
少し、お寂しそうな顔をなさった。
……これだ。これも、皆を誑しておるのだ。
特に孔明、おぬし、そうなのではないか。
わたしはこの手の表情は、好かぬがな。人嫌いだしな。
いっそ、本当に鳥に生まれたかったよ。
「鳳は、梧にしか棲みつきませぬ。ご主君は、わが梧でござれば、
願わくばご安堵あって、放し飼いください。
わたしは稀に飛び、いつか最後のご奉公をしたあと、
おそらく哀しい聲で、ひと聲、啼きましょう」
「”鳥之將ニ死セントスル、其ノ鳴ク也哀シ……”
儂の、好きな言葉じゃ。しかし、鳳まで啼かせとうはないな」
遠い目をなさった。
おぬしのことを、考えておいでなのだ孔明。
頼む、早く帰ってきてくれ。
「龍の啼き聲は、知ってしまったのでな」
ぽつりと、仰せになった。
なんとな。
聞き違いではあるまいな。
もしやとは思うが、おぬし、いい歳をして、
ご主君の前で泣いて居るのか。
いや、泣き言というような意味での「啼く」かもしれんか。
どちらにしてもだ、おぬし、本心から、
このご主君に、全て晒してしまっておるということなのか。
あの、いささか偏屈だったおぬしが。だからこそ、といったところか。
この御方と寝食を共にしているというより、
共にせずにはいられない ということなのか。
ご主君は言うに及ばず、わたしも、おぬしが居らぬと大変に困る。
早く戻れ。戻れぬなら、使いを寄越せ。
寄越しているなら、其の使い、何を愚図愚図しておるか。
「申し上げます。軍師がお帰りになりました」
遅い!
待ちかねていたぞ、その知らせ。
やれやれ、体よく家に帰れそうだ。
見よ、ご主君も喜色満面ではないか。
ささ、早く迎えにいっておしまいなされ。
そして、
”濡れて居るではないか”
などと仰せになって、親しくそのお袖で、孔明の何処やらを
お拭いになって、火の近くにお寄せになって、
お労いになりたいのであろう。
そして、お側衆は、御言いつけにもならないうちに、
心得たように温かい茶など運んできてだ、
あとは、おお、見るもこそばゆかろう。
酔ったふりをして、辞去のご挨拶をせずに、
こっそり帰ってしまっても、苦しゅうないかな。
もちろん、ちゃっかりと、酒を、せしめてな。
ああ、いささか疲れたよ。
この光景に安堵したり、やはり未だに慣れないむず痒さを感じたり、
名状しがたい感情をすべて一つの溜息に丸めて、そっと吐き出した。
仕官してから、こんな溜息を、一体どれだけついたものかな。
数えて記しておきでもしていたなら、
何か面白いことでも分かったのだろうかな。
わたしのこの貧相は、百人の人相見に見せても
一人見抜くかどうかでございますよ。取るに足らぬこと」
せっかくの大好物の美酒を前に、愛想笑いをしながら、
わたしは少々面倒くさく呑んでいた。
面白いわけがなかろう。
ご主君とサシで呑む酒など、美味かろうはずがない。
実際、不味いわい。
畏れ多くも、このように思っているのは、
奇怪なことに、ご主君の膝下で、わたしだけだろう。
全く、どいつもこいつも、ご主君に誑されておる。
わたしも、誑されていないとは言えぬが、
では、なぜここに居るのか、理をつくして述べよといわれれば、
はっきり述べる自信があるぞ。
辛気臭い雨の日に、近郊へ視察に出かけたまま、
孔明の奴、ぬかるみにでも嵌ったか、閉門まで帰ってこなかった。
あるいは、急に何か思いついて、途中で事を処しているのかもしれぬし、
御命の牌を持っておろうから、門限など構うまいが。
お陰で、とうとうご主君の晩餐に捕まってしまったではないか。
いままで、巧みに避けてきたというのにだ。
迷惑千万。勘弁してくれ。本当に。
「あれは、儂の一生の不覚であった。思い出すだに、恥ずかしい」
わたしの貧相をご覧になって、閑職をお与えになったことを、まだ悔いておられる。
おおお……。
なんとも、年恰好に似合わず、清廉で飾らない、男らしいお顔じゃ。
此れに皆、誑されておる。わたしも、少しはな。
しかしな孔明、おぬしのような寵用を賜るのだけは、
わたしは御免だ。おお、寒気がしてきたよ。
「そちは、酒豪じゃ。今夜は大いに飲もう。儂が先に潰れようがな」
いやな流れだなあ……。
酔い潰れて、ご主君と共に寝るのだけは避けたい。
誤解のないように言っておくが、ご主君が嫌いなわけではないよ。
むしろ、好きな方だ。
だがな、わたしはこうみえても、神経質でな、
嫌なんだよ。他人と枕を並べるなんてな。眠れないんだよ。
わたしに不味い杯を傾けさせながら、
ご主君は、おぬしとわたしを共に擁しておられることを、
過ぎたる果報と、何度も繰り返し仰せになる。
……もしや、もう酔われたか。
この際、潰れておしまいになる前に、機に乗じて
申し上げてしまえ。
「それは、うまくありませんな」
「どういう意味かな」
おぬしの次席ではあっても、同列とお思い下さっておると、
勿体無いお言葉をいただいて、わたしは、軽くいなした。
「理由はいくつもございますがな、たとえば、
龍をご寵用になるのは道理にあっておりますが、
わたしは、いけませんな」
「なぜじゃ」
ご主君は、怪訝なお顔をなさる。
まあ、当然だ。不細工なわたしをお召し抱え下さったのは、
わたしの唯一の美点を用いようとなさるがためだ。矛盾しておる。
言いたいのは、待遇のことだ。
常にお心にかけていただくなど、重すぎるのだ。
もう少し、放っておいていただけないものか。
これを直截的に申し上げるほど、わたしは礼儀知らずではない。
「わたしは龍ではございません。庇の下ぐらいに、
適当に置いていただくのが気楽で良いのです」
「庇の下、とな」
よし、ご主君の杯が止まった。
このまま滔滔といろいろ申し上げて、残った酒を無心して帰ろう。
「いつでも、飛び立てるような気楽さを
特にお許し願えれば、鳥は無上に喜ぶものでございます。
どんなに広かろうと、鳥は籠が嫌いでございます」
「むぅ・・・」
「更に、わが姓は、既に广に龍でございますれば、
たとえ、あ奴と双龍と呼ばれてようとも、同じこと」
ちょっと喩えが回りくどかったかな。
ご主君の、豪放と同居するこの、一種の細やかさに
合せてみたつもりだが。
「庇を借りて母屋を取るようなことはございません。
母屋には……恐ろしい龍が棲んでおりますからな」
お前は、孔明が恐ろしいのか」
「これはしたり」
慣れとは、怖いな。おぬしに聞かせてやりたいよ。
「ご主君は、ご承知の上で、あの危ない奴を
傍近くお召しなのでございましょう。……つくづく、胆の据わった御方だ」
「これ、脅かすか」
「滅相もない。ご主君のご器量が遥か上でございますよ
……まんまと、龍を飼いならしておいでだ」
「飼っているつもりはないぞ」
「言葉を誤りましたな、懐いた、とでもいうべきでしょうかな」
ああ、いかん。あまり、おぬしの事に深入りして話してはならん。
おぬしの事は、ご主君の方が何枚も上手だ。
わたしの得手に引き込まねば。
「儂は、龍と鳳の片方を、えこひいきするつもりは毛頭ないぞ」
だから、その寵用なさりたそうなお顔が、困るのだ。
えこひいき、大いに結構。窮屈なんだ。愛玩と紙一重な鳥籠は。
ご主君なら、わたしを鳥籠に入れないと、お信じ申し上げているのに。
だいたい、おぬしが先にお仕えして、君寵を欲しいままにしていることも、
大いに勘定に入れた上で、わたしはお仕えする気になったのだぞ。
「たとえば、龍は風雨を好みましょうが、鳥は、苦手ですな。
そんな荒天には巣の中で、ぬくぬくと、じっとしておりたいものです」
「荒天であろうとも、庇に捨て置けというか」
「御意」
さすがに、わかっておいでではないか。
「鳳の飼い方と、龍の飼いかたが、違うことだけ
お心にあれば、ゆめ不服などございませぬ。
それが、わたしにとっての御恩で、厚遇で御座います」
「そなたを、少し分かった気がする。鳥は、足音に驚く。
儂は、近寄りすぎるか」
少し、お寂しそうな顔をなさった。
……これだ。これも、皆を誑しておるのだ。
特に孔明、おぬし、そうなのではないか。
わたしはこの手の表情は、好かぬがな。人嫌いだしな。
いっそ、本当に鳥に生まれたかったよ。
「鳳は、梧にしか棲みつきませぬ。ご主君は、わが梧でござれば、
願わくばご安堵あって、放し飼いください。
わたしは稀に飛び、いつか最後のご奉公をしたあと、
おそらく哀しい聲で、ひと聲、啼きましょう」
「”鳥之將ニ死セントスル、其ノ鳴ク也哀シ……”
儂の、好きな言葉じゃ。しかし、鳳まで啼かせとうはないな」
遠い目をなさった。
おぬしのことを、考えておいでなのだ孔明。
頼む、早く帰ってきてくれ。
「龍の啼き聲は、知ってしまったのでな」
ぽつりと、仰せになった。
なんとな。
聞き違いではあるまいな。
もしやとは思うが、おぬし、いい歳をして、
ご主君の前で泣いて居るのか。
いや、泣き言というような意味での「啼く」かもしれんか。
どちらにしてもだ、おぬし、本心から、
このご主君に、全て晒してしまっておるということなのか。
あの、いささか偏屈だったおぬしが。だからこそ、といったところか。
この御方と寝食を共にしているというより、
共にせずにはいられない ということなのか。
ご主君は言うに及ばず、わたしも、おぬしが居らぬと大変に困る。
早く戻れ。戻れぬなら、使いを寄越せ。
寄越しているなら、其の使い、何を愚図愚図しておるか。
「申し上げます。軍師がお帰りになりました」
遅い!
待ちかねていたぞ、その知らせ。
やれやれ、体よく家に帰れそうだ。
見よ、ご主君も喜色満面ではないか。
ささ、早く迎えにいっておしまいなされ。
そして、
”濡れて居るではないか”
などと仰せになって、親しくそのお袖で、孔明の何処やらを
お拭いになって、火の近くにお寄せになって、
お労いになりたいのであろう。
そして、お側衆は、御言いつけにもならないうちに、
心得たように温かい茶など運んできてだ、
あとは、おお、見るもこそばゆかろう。
酔ったふりをして、辞去のご挨拶をせずに、
こっそり帰ってしまっても、苦しゅうないかな。
もちろん、ちゃっかりと、酒を、せしめてな。
ああ、いささか疲れたよ。
この光景に安堵したり、やはり未だに慣れないむず痒さを感じたり、
名状しがたい感情をすべて一つの溜息に丸めて、そっと吐き出した。
仕官してから、こんな溜息を、一体どれだけついたものかな。
数えて記しておきでもしていたなら、
何か面白いことでも分かったのだろうかな。