「でえぇ?軍師わぁ、ぶっちゃけ、どっちがイイんスか?
デカい方スか、ペッタンコな方スか?」
三弟の、ご機嫌な大声が、其処かしこのざわめきの狭間に
途切れながら聞こえてきた。酔ってくると、まずあれなのだ。
(また、おなごの乳の話か)
桃園の頃から一向に変わらん と、彼は苦笑しながら、
あの翡翠のような聲は、この手の戯れに果たして何と答えるのかと、
左右と盃を重ねながら、興味津津に巨きな耳を欹てていた。
ざわめきに紛れながら、途切れ途切れに
「『過ぎたるは及ばざるに如かず』……何事も中庸ですな」
と、聞こえたような気がした。
全く、色気も何もあったものではない。
何の話をしているのだ。
彼の龍も酔ったのか、噛みあっていないのか。
「そうかぁ?俺は断然、デカい方がイイがなぁ」
こら、三弟、さっぱりと打ち解けたのはよいが、酒の上とはいえ、はしたないぞ、
ほれ、その手つきが、いささか卑猥じゃぞ、と、はらはらしていると、
「左様、将軍の御子なれば定めし人一倍丈夫な御子、
哺育する為には、そうでなければなりますまい」
と、酔っているのかどうかわからない、涼しい聲が細く続く。
「んー?てことは、かみさんだけの話かよ。あんた、身持ち堅ぇな。遊んでねぇのか」
「遊ぶとは」
「妓楼っ!!決まってんだろ」
「鄙暮らしの貧乏書生には、盛り場は無縁でございました」
「なんだよなぁんだよ、かみさん一筋かよ、のろけかよ」
「……惚気……でございますか」
「のろけじゃなくて、何だっつうの」
「はて、これが惚気というものとは」
「え、こりゃ参ったね、軍師様ぁ。ぞっこんかよ」
あの緒戦の采配に、素直にすっかり兜を脱いだ、
虎髯をたくわえた将軍は、棍棒のような肘をぐりぐりと擦り付け、
冷やかしの仕草をして親愛の情を示してみせて、
まだ字で呼ぶのは面映いのか、態と軍師「様」と呼びながら、
其の軍師の盃にダバタバと酒を足して、
「で、どーなんスか、かみさん、おっとっと、奥方、なんで呼ばないんスか」
「ひとくちに申せば、時期尚早かと」
「軍師様よおっ、お若けぇのに何いっちゃってんのぉあんた。
無性に乗っかりてぇ夜とか、ねぇんスかい? 枯れてんな」
乗っ…枯れ……。これ、これ、三弟。
助け舟を出そうかと、巨きな耳がひくひくと動かんばかりになって、
腰を浮かしかけたところへ
「『乗っかりたい』とは?」
訝しむような聲に、彼は固唾を呑んだ。
「将軍は、お『乗り』になっておいでなのですか」
「おぅ、最近はご無沙汰だけどよぉ、そりゃあんたぐらいの時は
武勇伝には事欠かねぇよ。聞きてぇか」
「できますれば、蛇矛の武勇伝の方を」
「似たようなもんだろぉ、聞きてぇだろぉ」
聞きてぇだろぉ と雄叫びを繰り返して、
じたばたとする大柄な末弟を視界の端でとらえ、
(『乗る』の続きはどうした、巻き戻せ、三弟!)
彼は、我知らず念じていた。
「・・・とまあ、かみさんとは腐れ縁でな、
面相は褒められたもんじゃねぇスが、
あの豊満なポチャッとしたとこが、愛嬌があってなぁ」
虎髯を弄りながら、目尻を下げて思う存分に惚気ている。
「料理は上手い、機転は利く、ちぃと天邪鬼だが気立てもよくてな、
でぇ、ここが大事なんだが、身持ちが堅ぇこと堅ぇこと。
この俺様としたことが、押し倒すのに何年掛かったことか」
酒のせいか、豪傑の武勇伝のせいか、ほんのり耳を染めて
「『押し、倒す』、ですか?」
龍は遠慮がちに小聲を挟む。
「またぁ、このぉ、何スか俺らの軍師様ぁ、とぼけちゃいけねぇよ。
……まさか押し倒したことねぇ、とか言わねぇよな?」
据わりかけた、まんまるい巨きな酔眼に、間近でぎろりと見据えられた上、
龍にも悪友は多いが、こうもあけすけに、
しかも、この豪傑の艶話を一方的に聞かされてしまい、
思わず口が滑ったのか
「逆、なのではないのですか」
ぐいと、盃を干した豪傑に、酌をしながら、
この世の新事実を発見したかのように、
彼の龍は、ひそやかに虎髯に問い掛けている。
(『逆』?つまり、あれは、何か、閨房で……、
まさか、乗られている、 押し倒されているということなのか?
誰にじゃ?もちろん妻女にかっ?)
彼は、握った汗で、盃を取り落としそうになりかけた。
おお、くわばらくわばら。あの雷の日以来じゃ、と
心の臓を高鳴らせている。
かの豪傑は、ぬ? と、一瞬分からない顔をしてから、
そうでなくても巨きな目を、くわっと瞠って、
「姐さん女房ってかぁ?するってぇと、かかぁ天下……否、恐妻家かぁ?」
ぶわっはっは、と、豪快に笑って、軍師の薄い背を、
ばん、ばん、と叩いている。
周囲には、張家の事情を惚気半分に吹聴している
いつもの光景と受け取られていよう。
笑いのツボに入ったのか、涙を浮かべんばかりに
げらげらと笑いながら、
「気に入った、俺はあんたが益益、気に入った!」
と、かなり呂律も怪しくなってきた段階の
ご機嫌な決まり文句を吐くと、軍師を解放して、
次の獲物を求めにふらふらと席を立っていった。
おそらく、今の会話を、翌日は全く覚えていない。
そして、以後、酒宴のたびに、呑んだ度合いに応じて、
同じ問いを発するのだ。
彼は、そんな明るい光景を前に、閨房で、
妻女の為すがままにされているかもしれない様子の我が龍を、
頭の中で、あれこれと思い描いてしまい、
どうにも落ち着かなくなってしまった。
妻女の歳の頃は知らないし、詮索しようとも思わないが、
大人しすぎるほどの龍の寝相と、翡翠のように静謐で、
澄んだ泉のような内面をも知りはじめた彼には
「かかあ天下」も「恐妻家」も、
どうも当て嵌らないような気がした。
「枯れている」という種類のことでもないように思える。
このあとは、常日頃の如く、龍を傍らに臥せしめて眠る積もりであったが、
今宵は止めて置いたほうが、よくはないか。
何が理由でどうしてこう結論するのか、
彼はよく分からなかったが、
わざわざ、”今日は一人で眠る”と言うのもかえって妙か、
しかし、この胸の奥にざわめくものの正体が分からないのは
更に妙だ と、龍が傍に帰ってきて、献杯しようとするのにも
しばらく気付かなかった。
デカい方スか、ペッタンコな方スか?」
三弟の、ご機嫌な大声が、其処かしこのざわめきの狭間に
途切れながら聞こえてきた。酔ってくると、まずあれなのだ。
(また、おなごの乳の話か)
桃園の頃から一向に変わらん と、彼は苦笑しながら、
あの翡翠のような聲は、この手の戯れに果たして何と答えるのかと、
左右と盃を重ねながら、興味津津に巨きな耳を欹てていた。
ざわめきに紛れながら、途切れ途切れに
「『過ぎたるは及ばざるに如かず』……何事も中庸ですな」
と、聞こえたような気がした。
全く、色気も何もあったものではない。
何の話をしているのだ。
彼の龍も酔ったのか、噛みあっていないのか。
「そうかぁ?俺は断然、デカい方がイイがなぁ」
こら、三弟、さっぱりと打ち解けたのはよいが、酒の上とはいえ、はしたないぞ、
ほれ、その手つきが、いささか卑猥じゃぞ、と、はらはらしていると、
「左様、将軍の御子なれば定めし人一倍丈夫な御子、
哺育する為には、そうでなければなりますまい」
と、酔っているのかどうかわからない、涼しい聲が細く続く。
「んー?てことは、かみさんだけの話かよ。あんた、身持ち堅ぇな。遊んでねぇのか」
「遊ぶとは」
「妓楼っ!!決まってんだろ」
「鄙暮らしの貧乏書生には、盛り場は無縁でございました」
「なんだよなぁんだよ、かみさん一筋かよ、のろけかよ」
「……惚気……でございますか」
「のろけじゃなくて、何だっつうの」
「はて、これが惚気というものとは」
「え、こりゃ参ったね、軍師様ぁ。ぞっこんかよ」
あの緒戦の采配に、素直にすっかり兜を脱いだ、
虎髯をたくわえた将軍は、棍棒のような肘をぐりぐりと擦り付け、
冷やかしの仕草をして親愛の情を示してみせて、
まだ字で呼ぶのは面映いのか、態と軍師「様」と呼びながら、
其の軍師の盃にダバタバと酒を足して、
「で、どーなんスか、かみさん、おっとっと、奥方、なんで呼ばないんスか」
「ひとくちに申せば、時期尚早かと」
「軍師様よおっ、お若けぇのに何いっちゃってんのぉあんた。
無性に乗っかりてぇ夜とか、ねぇんスかい? 枯れてんな」
乗っ…枯れ……。これ、これ、三弟。
助け舟を出そうかと、巨きな耳がひくひくと動かんばかりになって、
腰を浮かしかけたところへ
「『乗っかりたい』とは?」
訝しむような聲に、彼は固唾を呑んだ。
「将軍は、お『乗り』になっておいでなのですか」
「おぅ、最近はご無沙汰だけどよぉ、そりゃあんたぐらいの時は
武勇伝には事欠かねぇよ。聞きてぇか」
「できますれば、蛇矛の武勇伝の方を」
「似たようなもんだろぉ、聞きてぇだろぉ」
聞きてぇだろぉ と雄叫びを繰り返して、
じたばたとする大柄な末弟を視界の端でとらえ、
(『乗る』の続きはどうした、巻き戻せ、三弟!)
彼は、我知らず念じていた。
「・・・とまあ、かみさんとは腐れ縁でな、
面相は褒められたもんじゃねぇスが、
あの豊満なポチャッとしたとこが、愛嬌があってなぁ」
虎髯を弄りながら、目尻を下げて思う存分に惚気ている。
「料理は上手い、機転は利く、ちぃと天邪鬼だが気立てもよくてな、
でぇ、ここが大事なんだが、身持ちが堅ぇこと堅ぇこと。
この俺様としたことが、押し倒すのに何年掛かったことか」
酒のせいか、豪傑の武勇伝のせいか、ほんのり耳を染めて
「『押し、倒す』、ですか?」
龍は遠慮がちに小聲を挟む。
「またぁ、このぉ、何スか俺らの軍師様ぁ、とぼけちゃいけねぇよ。
……まさか押し倒したことねぇ、とか言わねぇよな?」
据わりかけた、まんまるい巨きな酔眼に、間近でぎろりと見据えられた上、
龍にも悪友は多いが、こうもあけすけに、
しかも、この豪傑の艶話を一方的に聞かされてしまい、
思わず口が滑ったのか
「逆、なのではないのですか」
ぐいと、盃を干した豪傑に、酌をしながら、
この世の新事実を発見したかのように、
彼の龍は、ひそやかに虎髯に問い掛けている。
(『逆』?つまり、あれは、何か、閨房で……、
まさか、乗られている、 押し倒されているということなのか?
誰にじゃ?もちろん妻女にかっ?)
彼は、握った汗で、盃を取り落としそうになりかけた。
おお、くわばらくわばら。あの雷の日以来じゃ、と
心の臓を高鳴らせている。
かの豪傑は、ぬ? と、一瞬分からない顔をしてから、
そうでなくても巨きな目を、くわっと瞠って、
「姐さん女房ってかぁ?するってぇと、かかぁ天下……否、恐妻家かぁ?」
ぶわっはっは、と、豪快に笑って、軍師の薄い背を、
ばん、ばん、と叩いている。
周囲には、張家の事情を惚気半分に吹聴している
いつもの光景と受け取られていよう。
笑いのツボに入ったのか、涙を浮かべんばかりに
げらげらと笑いながら、
「気に入った、俺はあんたが益益、気に入った!」
と、かなり呂律も怪しくなってきた段階の
ご機嫌な決まり文句を吐くと、軍師を解放して、
次の獲物を求めにふらふらと席を立っていった。
おそらく、今の会話を、翌日は全く覚えていない。
そして、以後、酒宴のたびに、呑んだ度合いに応じて、
同じ問いを発するのだ。
彼は、そんな明るい光景を前に、閨房で、
妻女の為すがままにされているかもしれない様子の我が龍を、
頭の中で、あれこれと思い描いてしまい、
どうにも落ち着かなくなってしまった。
妻女の歳の頃は知らないし、詮索しようとも思わないが、
大人しすぎるほどの龍の寝相と、翡翠のように静謐で、
澄んだ泉のような内面をも知りはじめた彼には
「かかあ天下」も「恐妻家」も、
どうも当て嵌らないような気がした。
「枯れている」という種類のことでもないように思える。
このあとは、常日頃の如く、龍を傍らに臥せしめて眠る積もりであったが、
今宵は止めて置いたほうが、よくはないか。
何が理由でどうしてこう結論するのか、
彼はよく分からなかったが、
わざわざ、”今日は一人で眠る”と言うのもかえって妙か、
しかし、この胸の奥にざわめくものの正体が分からないのは
更に妙だ と、龍が傍に帰ってきて、献杯しようとするのにも
しばらく気付かなかった。