不像明鏡裡 (ふしょうめいきょうのうち)後編

2010/11/15

3世紀(ファンタジー・詩歌他) うをとみづ3世紀SS

※このおとぎばなしはいわゆる俺得で
21世紀の公叔の物語とのクロスオーバーです

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ちょうど其の頃、21世紀では。
亜細亜の某都市に住まう、さる王家の当主の叔父である、
通称「劉公叔」の邸に暮らす、天才ピアニストの私室も、
まばゆい光を満室に湛えていた。

光が収束して、そこに現れた大漢の皇叔の龍は、
ゆっくりと双眸を開いた。
(ここは、どこであろう)
聡明な龍は、瞬時に、この奇怪な出来事を察した。

この房室の何から何まで、見慣れた処と全く違うことはもとより、
特に、火に由来するとは到底かんがえられない灯光の類が、
不吉なまでに不思議ではあったが、同時に、
いずれかの敵対勢力に不覚をとって虜にされたような、
最悪の状況ではないであろうことに安堵した。

背の低い書架のようなところに並んでいる
書名の数々が、まことに己が興趣を誘うものばかりで、
其の中には、見慣れた四書五経の類の名もあり、
異国の文字らしき書も含まれていたが、
少なくともこの部屋の主は、龍と似たような嗜好の人物であろう、
話せば理解を得られよう、と、この点だけは気分が軽くなった。

無意識に、卓の上から、白い羽の扇を取り上げようとして、
其れが無いことに苦笑すると、
かわりに、手に触れたものを取り上げる。

(……人の手によるものだろうか)
透明の、茶碗ほどの大きさの円筒形の軽い容器の中に、
大きさも長さも寸分たがわず揃っている
小枝のような白い色の棒が、ざっと見て百本ほど
収まっている。

(何に使うのであろう。これは箱書きであろうか。
『「綿棒」・・・「縦棒」、「丸」「丸」・・?』)

ややしばらく考え込んだが、この不思議な白い棒の道具が
この出来事の発端とも思えず、其の容器を卓上に戻し、
他にも、何か手がかりを得ねばと、龍は窓から外を窺う。

(ここは、楼の上か)
眼下に、あまり広いとはいえない庭のようなものを認め、
生垣の向こうに、細い道が見える。
細い道を挟んで、また別な木立が見えて、
またその向こうに、大通りらしきものが延びている。

(馬車?)
大通りには、箱型の色とりどりの四輪車が、
恐るべき速さで、蹄の音も無く行き交っていた。
時おり、馬のような形の二輪車も発見し、
(動力が知りたい)
このような時に、一瞬、そのようなことで
聡明な頭を一杯にしていると、雷とも異なる安定した轟音が近づき、
まるで山海経に出てくるような、
白い大きな鳥が空中の視界を斜めに横切っていく。

(どうやら……ここは、大漢の世ではないらしい)

21世紀という所の、ありふれた背景と化している景色を眺めて、
龍は、基礎的な理屈は大漢の世にも通用するはずで、
似たようなものは作れるのではと、あらたな着想の素、
それとも純粋な知的好奇心を募らせかけた。

(しかし、いずれも我が君のお役に立たねば、甲斐もない)
己があるべき房室に、主君の許に戻るにはと、
この房室の吟味を始める。

(扉から入ってきたわけではない。気付いたら此処に立っていたのだ。
戻れるとするならば、この房室からであろう)
さすがの龍も、まさか、卓の上の、件の容器の傍の、
小さな立て鏡を通って来たとは、思いも寄らない。
扉を敲く音がする。

(応えるべきか、否か)
「孔明、居らんのか」
聴き違うはずもない聲が、扉を隔てた向こうで、龍を呼んだ。
「我が君!」
夢中で扉に駆け寄り、
扉を推しても引いても開かないので、
苛立たしく思いながら、細長い奇妙な把手があるのを見つけて、
それをがたがたとしていると、少し押し下げた形になった拍子に、
扉は難も無く開く。

「あ……」
驚きを隠すときにも使う、白い羽の扇が手元に無く、
龍は、黒い袖の中の手を曖昧に挙げたまま、身を固くした。

目の前の人物は、確かに懐かしいほど巨きな耳をして、
紛うことなく同じ聲をしていたが、やや、面差しが違っていた。
聲の主の初老の男は、戴冠もせず、見たことも無い装束を着ている。

「おや? 水鏡先生の『武侠ごっこ』にお付き合いする気になったのか?
……と言いたいところだが……珍しくお客人であったか。
どこかで会うた気もするが、儂は、物覚えが悪くてな、許されよ」

龍は落胆しながらも、老師の名と、明らかに異相な巨きな耳に、
少し望みを感じて
「迷い人なのでございます。……お尋ねいたしますが、
ご貴殿は、漢王室のお血筋であそばしますか」
日頃のように、龍は品良く問うてみた。

「遠い昔のことだな、儂も、それが本当かどうかは知らん」
「では、劉姓でおいでですか」
「そうだよ。尤も、車で量るほどに居るのは、知っておろう」
彼は、人懐っこく、明朗な笑い聲をたてる。
(笑い聲まで、そっくりであそばす)

「迷い人とは、不思議な。我が家は小さいが、守りは鉄壁でな、
外部からの侵入は考えられん。そして、孔明の姿もない」
「ここにおります」
「孔明か」
「はい」
「神隠しという類か」
「そうかもしれません」
「参ったな」
「参りました」
このような状況だというのに、二人して、ぷっ、と吹き出す。

「特に名案もないがな、孔明を取り戻すには、どうもそなたが大事な気がする。
丁度、水鏡先生も見えたから、ご教示を仰いでみるとしよう。どうじゃ」
扉の外へ誘われる。

基本的に、この房室を出るべきではないと考えていた
龍であったが、老師と同じ号を持つ人物ならば、
何かしらの知恵を持っているかもしれない直感と、
この、耳の巨きな初老の男が醸しだす一種の安心感に抗えず、
素直に彼に従って、階下へ降りた。

「……や、これは。長生きはするものじゃ」
衣冠も正しい大漢の龍を伴って現れた彼を迎えて、
彼の家のお抱えの漢学者である
水鏡先生は、客間で茶を振舞われていたが、
立ち上がって、目を瞠っていた。

「公叔、異界の伏龍ですじゃよ。まさに漢代の、このいでたち。まるで史書からぬけでてきたようじゃ。テレビではこうはいかん」
「えっ」
「さぞやお困りだろう。ワシらの伏龍も、異界へ行ってしまったことになろうで、
ワシらも困るのだがな」
「ご賢察、恐れ入ります」
黒い袖の中で拱手して、老師と同じ号の老爺に、礼儀正しく拝礼をとった。
ともかく掛けなさいと、龍は長椅子を勧められる。

「それで、こうなる前、何をしておいでだったか」
「目の中の睫を取ろうとしておりました」
「鏡を見てか」
「はい」
「ははあ……ではその、鏡じゃな」
「まさか」
「いやいや、古書で読んだことがある。異界と異界は、鏡の扉で繋がっているのだと」
「それでは、通り方を知っているものは、皆、通れる道理になりはしませぬか」

耳の巨きな男が、素朴な疑問を老師に投げかける。
「そうじゃ、だがそれでは世の道理がみだれる。
呪文などがあるわけではない。
繋がってはいるが、人智を越えた何かが、行き来できないように、常にそれを阻んでいるのだ」

「ではこのようなことが起きたという所以は」
「阻んでいるものに、何か事故があったと考えるべきで、
更に言えば、阻んでいるものは、一人ではなかろうということ、
結論として、阻んでいるものたちは、このことに、
早晩気付くだろうから、必ず元通りになろうということじゃな」

老翁の言葉に、大漢から来た龍も、心強さを得ていた。
ありえない往来がまさに起きている以上、
科学の力でただちに元に復することでもないと、ここに居並ぶ皆、うすうす思っている。

「ときにな、あなた様は、随分とお忙しい世から来られたようじゃ。
何と言おうか、身のこなしに隙がない。どうかな、この世が至上とは思わぬが、少しの間、平和のひとつの在りかたを見るために、のんびり滞在されては」
「滞在とは?」

このようなときには、白い羽の扇を繰ると、考えもよく纏まるのだが、それがない。
膝の上で行儀良く揃えた袖の中で五指を所在無くしながら、
龍は小首を傾げた。
「おそらく、鏡に映らないように暮らしたらよい」
「それは、いたしかねます」

即答に、老翁は細い目を少しく見開いた。
「今にも、我が主君は、他国の謀略の危険に晒されている
かもしれないのです。實のところ、この一刻とて惜しまれます」
「フムゥ、あなた様のご主人は、あなた様だけが頼りなのか。
だとすればじゃ、困ったご主人じゃのう」
「いいえ、その逆なのです」
「逆というと」

龍は、少し言葉を選ぶように躊躇いをみせてから、
「決して左右に人が居られぬわけではありません。
ご人望は泰山のように揺るぎもなく、何よりも、稀に見る天運の強さをお持ちです」
「ならば、尚のこと、心配ご無用ではないか」
「いいえ、わたくしこそが……。あの御方のお傍に居らねば、生きている甲斐など無いのです」

見ず知らずの人間を前に、すらすらと本音が滑り出てしまう。
ここには長く居ないという、妙な確信のためかも知れない。

「あなた様のご主人は、お幸せじゃのう。
たまには、正直にそう言うて差し上げてみてはどうかな。
思い詰めたお顔を、しておられるぞ」

はっと視線を上げると、老翁は、老師とよく似た、
悪戯そうな皺だらけの顔で、大漢の龍に笑みを投げかけていた。

「このようなこと、申し上げられません」
伏目がちに俯いて呟くと、
「かわいそうにのう、早く帰らせてやりたいが」
主君と同じ聲が、気の毒そうに言うのが耳に届き、
龍の双眸は、慕わしさのあまりに潤んだ。

「こうしている間にも、あの御方の御身に万一のことでもあったなら、
わたくしは」
その先、何を言いたかったのか、龍が押し黙ったので、
居間には重苦しい沈黙が流れた。



彼と水鏡老師が、21世紀からきた異界の龍を傍らに、
茶菓を摂りながら、もし臥龍が一日戻らなかった場合、
もし二日戻らなかった場合、と、彼は懸命に、
老師は内心飽き飽き面倒臭く相談していると、
開け放った扉の向こうに、
夕陽を背にして唐突に、白鶴が降り立った。
白鶴は、長髪の道士を乗せている。

「おー……う、管道士ではないか。やれやれ待ちかねたぞ」
道士は白鶴の背からひらりと降りて、
不思議なことに鶴を袖に仕舞うと、老師と挨拶をかわす。

「水鏡老師、一別以来、お変わりものう」
「これ、からかうな。ほれ見ぃ、すっかり禿茶瓶じゃ」
老師は淋しい頭頂部をつるりと撫でると、
「残念じゃが、遊びに来てくれたわけではあるまい」
「ご明察」
「あの噂、本当だったのかな」
「然り。きっと、まずは最も人と天の境を踏み易い、臥龍か鳳雛、どちらかが危ないと見ました」
「迷わず荊州に、吹っ飛んできたのか」
枯れた聲で、愉快げに笑った。

「どうして道士は、迷わなかったのですか」
書童が、老師の袖を引いて、遠慮がちに小声で尋ねる。
「わからんか? あ奴は、あまり鏡を見ないであろう」
記憶の中の、きままな暮らしぶりを思い描いて、
「あー……」
心底、納得したように、僕童は感嘆の声をあげた。

彼の傍らで、彼の耳を眺め、彼の聲をずっと聴かされて、
21世紀の世に居る、耳の巨きな男が戀しい龍は、
秋雨に濡れた萩の枝のような風情で座っている。

道士は、この異界の龍に対して姿勢を正すと、
「このたびのこと、この世の神仙にかわり、
神仙の意を受けた者としてお詫びいたします。
必ず元の世界にお返ししますので、ご安心ください」

深深と礼をして、懐の中から鏡を取り出すと、
二本の指を揃えて呪文を唱える唇に当てて、
指先で鏡面に何か書きつけてから、長髪の道士はじっと見入った。

「老師、あれは何ですか」
書童が、ひそひそと囁いて問う。
「そうだな、あの世の鏡、それとも、其の世の鏡。
この世のものは映らない、伝説の鏡だよ」
「じゃあ」
「そうじゃ。管道士は、異界のお前の先生が、
今なにをしているか、あれで見ているのだ。
同じ姿をすれば、また鏡が通じる。
その時に、鏡の仙童も、歪みから救う算段なのだろう」

「……書童よ、その手鏡でこの人を映しなさい」
長髪の道士は、袖の中の鏡を覗き込んだまま徐に命じ、
袖を挙げて、異界の龍を誘う。
「あなた、お立ちなさい」
「皇叔、お抱きなさい」
「えっ」
急に呼ばれて、彼はいささか慌てる。
「お早く! 抱き上げなされ。鏡に映っているうちに」
「こうか?」
ほっそりとした異界の龍を、遠慮がちに腕に横たえたその刹那、
「眩しい!」
僕童の叫び声すらも飲み込むほどの閃光が
鏡から発したかと思うと、次の瞬間には
元通りの見慣れた風景が皆の眼に映る。

「お陰で早期に事を収めることができました。
これにて退散させていただきます。またの機会がないことを祈ります」

道士は、袖から取り出した白鶴に
ひらりと跨ると、あっという間に飛び去ってしまった。

それを唖然と見送ってから、
彼は腕の中に帰った龍が、双眸を閉じて、
かるい體を預けきっているのに気付くと、
「これは、眠っておるのか? 気を失うているのではあるまいな」

にわかに狼狽しながら、僕童に寝台の用意を命じると、
水鏡先生を置き去りにして、房室を足早に後にした。
(ときに、異界とやらで、一体どこの何奴と、斯様にしておった。
 實に怪しからん。あとで必ず訊き出さずにはおくまいぞ)
 

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一体どこの何奴と何故こうしておったかは、
皆様ご随意にご想像のうえお楽しみ下さい。
一応、オチはいくつか考えておりますが、ぜひ浮気はナシの方向で。)