城春君恩深 (しろはるにしてくんおんふかし)

2011/02/01

3世紀被害譚SS

「軍師、いっちょ、俺と勝負しないッスか。ちょいと、腕相撲」
久方ぶりに、のどけき春節を迎えて、
無礼講の宵の宴に、あの大声で、義弟が陽気に戯れかかった。

いいぞいいぞーと、口笛や囃し立てる声が、あちこちから盛んに揚がる。
皆、我らが若き軍師の天才振りにはすっかり敬服しているが、
弁舌では勝てない、かといって、剣を争うわけにもいかない、
何か一つでも軍師に勝ってみたいのだ。

「負けたほうが、罰酒三杯。どうッスか。
 あー、いや、俺様としては、『勝ったほうが』にすべきかな、へへっ」
「よいよい。やってやれ孔明、お前の罰酒は、儂が呑んでやろう」
兄者もご機嫌になって、たきつけておいでだ。

「これは……我が君に罰酒など、
 戯れでもお召し上がりいただくことなど畏れ多きこと。
 わたくしに二つお譲りくださるなら、この勝負受けましょう」
「オッ、何だ、ヤるか軍師殿。そう来なくっちゃな」
「ひとつ、拳一つ分を、お譲りください。
 ふたつ、始めの合図は、わたくしがいたします」
「面白ぇ。早速お相手願うぜ」

嬉嬉と腕まくりをして、棍棒のような右腕を構える末弟。
嫌な予感がする。
あ奴が力負けなどありえんことだが、ありえんことを
嚢中のものを取り出すようにしてみせるのが軍師殿だ。

「よろしいですか・・・……・・始めっ」
「おおっ」
「まさか」
「馬鹿な」
次の瞬間、怪力を誇るあ奴の腕が、卓上で軍師殿の白い手に
ねじ伏せられているではないか。
一同、目を疑った。

「さあ、将軍、どうぞ三杯といわず、心行くまでお召し上がり下さい」
何事もなかったように、涼しくにこにこと笑んでいる。
一体なにがあったというのだ。解せん。

しかもである、この無礼講の雰囲気を見て、
軍師殿も、負けてみせる可愛げがあってもよいではないか。
酒の上とはいえ、否、酒の上だからこそ、われら武将の面目丸つぶれだ。
おとなげないぞ。

「……軍師殿」
思わず、体が先に動き、軍師殿の前に進み出てしまった。
「わしも、新年の運試しに、勝負を所望したい」
「これはまた……将軍らしくございません。
 今の勝負は僅かにわたくしの機転が些か功を奏したのみ。
 実力ではないことは既にお見破りでしょう。
 我が君に罰酒など差し上げとうない一念でございます」

「ならば、軍師殿が負けたら、兄者に罰酒三杯を」
だめでもともとだ、挑発してみた。

「よいではないか孔明、座興じゃ。儂が呑んでやる」
「いいえ、我が君に罰酒など、一滴たりとも差し上げません」
「ホウ、さすがは軍師殿」

そこで、怪力に袖をひかれた。
「兄貴、油断するなよ。俺、さっき、出し抜けに
 ふっと目を逸らされたかと思ったら、
 『おや、これは奥方』なぁんて言われちまって
 思わずビビッちまってよ、アッという間だったぜ。相当、黒いぜ」
「案ずるな。わしには尻に敷く女房などおらん」
「大丈夫かよ、百万の大軍に当たるつもりで行ったほうがいいッスよ」
「大袈裟な。まかせておけ、お前の仇はわしが討つ」
「くそっ……兄貴、泣かせやがって」

がっちりと掌を組むと、あまりに頼りない手なので、
急に不憫になり
「拳ふたつ、お譲り申そう」
と、腕を不利な方へ傾けると、
「およろしいのですか……?」
眼前の整った白い顔が、にやりと不敵に歪んだように見えた。
これが、敵兵から見える軍師殿なのだろうか。

「用意……」
そこで、互いにしか聞こえないような、
しかし翡翠が転がるように明瞭な聲が聞こえた

「桓公十八年」
(新年から、何と、不道徳なくだりを)
脳裏に、『十有八年春 王ノ正月…』、と、字面が浮かんだ瞬間、
始めの合図がかかり、わしの負けが決まった。

「ははは、さすが孔明じゃ、どんなからくりを使ったものか。
 これ、雲長に罰酒を持ってきてやれ。なみなみ、じゃぞ」
兄者は、至極愉快そうに笑って、左右にお命じになった。

「どうなさったのですか、関将軍まで」
「むむう、言うな子龍。敗軍の将は兵を語らず。無念」
「お前も挑んでみろよ、いや、ダメだ、お前までやられたら
 諸将の士気がガタ落ちだ」
「いえもう、充分に失墜しておりますよ」
「ああ…軍師殿にしてやられた」
「兄貴、俺たちまたやっちまったみたいだぜ。
 結局、今年も軍師の尻に敷かれるんだ。
 俺なんかカミサンの尻にも敷かれっぱなしだっつーのに」

がやがやと、雑然とした雰囲気になった宴に、
兄者はスクと立ち上がると、興を添えようとか、
軍師をあの長いお腕で差し招かれると、

「お前が腕相撲も得意だとは知らなんだ。
 どれ、儂とも勝負せい。 儂が負けたら酒を三杯飲もう。
 そなたが負けたら……そうじゃな、夜通し、
 妙なる調べを聞かせてもらおうか。どうじゃ」
と、勝負をお挑みになった。

「!!!」
座が水を打ったように静まり、
皆で、一斉に兄者に注目する。

「ちょっ……と、兄者、それはもちろん、も・ち・ろ・ん、
 軍師お得意の、筝の調べってやつですよね、筝ッ、そうッスよね」
「そのつもりだが」
「馬鹿よせ、深入りするな。他の調べであったらどうする」
「ハッ…いやゴメン兄者、野暮なこと聞きまシた。俺様は頭が悪い子でス。
 邪魔しないッス。勝負の結果も見ないッス。呑み直すッス」
「何だ、どうした、儂が孔明を負かすところを見たくないのか」
「それ見たらもう一滴も呑めなくなりそうッス」
「わからんな。どういうことじゃ。もう酔っておるのか?」

わしも同意見です。
毎日毎晩、一つ処にいて、ようもお飽きになりませぬな。
こうして見て居ると、まるで、毎日毎晩が、お初めてのように
見える我々のほうが、いつもいつもむず痒いのでございますぞ。

ああ、何やら、背中の、手の届かない辺りが痒い。痒いぞ。