今上に叔父と敬愛される彼は、梅が終わろうとし、
桃はまだ開かない頃の早朝、一つの卓で朝の餐を、
我が龍とともに摂っていた。
温かい粥と、簡素な蔬菜の料理を摂りおえて、
彼は、果物の盛られた大皿から、
色艶のよい林檎を選んで、果皮を器用に剥いて切り分けると、
向かいで品のよい箸の上げ下ろしをしていた我が龍に与えながら
「さあ、別腹とやらだ。そちは余計に食わねばならんぞ」
と、皿を手渡した。
「どうぞ、我が君がお先に」
「お前は、ちょっと目を離すとすぐに寝食を忘れる。
儂は忘れん。ゆえにお前が先じゃ」
林檎には興味がないように、侍従が差し出した
手ぬぐいで、指に付いた果汁を拭っている。
「甘ければ、そちが全部食え。酸いならば、手伝うてやってもよい」
彼は、慈父のように微笑んで、茶の入った蓋碗の蓋を取って、
旨そうに、ずず、と啜った。
「有難うございます」
見れば、果実には透けるよな飴色の蜜が入っており、
酸いとは思われなかった。彼も心得ていて、小さめの
林檎を選んだので、食べ切れそうではある。
さく、と、いかにも瑞瑞しい音を立てて、林檎のかけらは
龍の口腔で、爽やかな甘みを發する。
「美味いか」
其の様子を、彼は双眸を細めて、上機嫌で見守っている。
我が龍の白い頬が緩んだのを見れば、甘かったのであろうことは
聴かずともわかるのに、である。
「美味しゅうございます」
この君臣の仲の良さ、物静かな中に隠れもなき親密な
言葉の遣り取りに、側仕えの者たちはすっかり慣れて
しまっていて、もう誰一人驚きもしない。
彼は、熱い茶をちびりと啜りながら、眼の前の我が龍に
すっかり見惚れてしまって迂闊に飲み誤り、途端に
咳を発した。
左右が慌てて寄ろうとするのを、長い腕を挙げて制して、
大事無いように装いながらも、なおも袖の中で
ごほごほと嘔くように苦しんでいると、
いつの間にか龍が彼の傍に座って背を擦っている。
「お風邪ではございませんか」
左右に世話を焼かれるほど老いぼれては居らんと
態度に示しながらも、我が龍に案じられることは
全く別儀のようで、
「いやいや、朝晩はまだ冷えるでな、歳は取りたく
ないものじゃ」
などと、彼はどうにか咳を鎮めてから、
遠慮がちに背を撫でてくれている薄い手の優しげな
感触を辿って朝からよい心地になり、
かろく支えるように腕に添えられた白い手に、
大きな手を重ねて、逆に労わるように振舞った。
「午を過ぎれば、寒さもかなり緩み、お過ごし易く
なりましょう」
彼の掌の温かさに、今更にして些か慌てたように、
重ねられた手の下で、冷たい白い手が所在無く
ぎこちないようにしているので、彼はとんとんと
柔らかくその甲を暖めるように緩く叩きながら
「では今日から寝衣を、春物にしてもよいであろうかの」
今宵も当然、二人して寝に就くという口振りで、
彼がそう続けてみると、
「まだ寒暖の差が大きゅうございますので、ご油断はなりませぬ」
といいながら、龍は肯うように笑みを刷いて応えたので、
既に確かに日常となっている我が龍との起居に、彼は
あらためて心が盈ちるような心地がしていた。
今朝、早朝に食を摂ったのには理由があった。
昨夜の天文を観て帰ってきた龍が、
「明日は、春一番が吹きましょう。空模様から見て……」
と、忙しく早速に注進を始めたので、
「待て待て、もそっと近う寄れ。火の傍に」
夜の北面の楼台の上で、冷えたのであろう其のほっそりとした體を、
一刻も早く暖めてやろうと、思い遣り、
彼も火に掌をかざしながら落ち着いて、
明日の午過ぎ頃から、ついに春の訪れを告げる大風が
一刻から二刻、吹き荒れそうであるという、
天候についての龍の予測を聴いた。
「では、明朝は早めに起きるとしよう。
民への布令も、朝一番に出そう。それで良いであろうかな」
明日は少し早めに起きて、
軍議よりも先に為せることは済ませてしまい、
風が起こり始める午過ぎには、彼ら二人の用務も、
諸将の任務も止めて、不測の事態に備えて
房室で待機するがよかろうと結論して、
側仕えの者に、明日の朝餉の用意を命じると、
龍にも常よりも早く更衣をさせ、傍らに臥せしめて
寝入ってしまったのである。
静かな早朝に、用務は滞りなく進む。
(少し冷えるが、早朝は、よう捗るものじゃな)
彼は、目の前の竹簡が、みるみる捌けていくことに
驚いたが、殊に冬の日の朝、夢うつつに、
離れがたい温もりを隣にして、うとうととしている
至福のひとときを奪われても困ると気を回して、
これを口に出すのを憚った。
これを龍が聴いたなら、嬉嬉として、
「明日から早起きをいたしましょう」
と、提案しかねない。早起きは吝かではないが、
朝いちばんに、傍らに白い寝姿を見つけて、
今日もこの龍とともに生きるのだという
しみじみとした情感を味わう、彼にとっては
ひそやかな楽しみを、失くしかねぬことを内心で懸念した。
(そうじゃ、今朝がたなどは……)
巨きな耳で、どこかで飼われている鶏鳴を聴き、
浅くまどろんでいると、この我が龍が、其の白い五指で、
彼の節くれた拇指を握り締めていることに気づいて、
忍び笑いをした。其れをふと思い出して、
貌がにやけてしまいそうになる。
其れらを傍らの龍に悟られないように、黙黙と筆を動かす。
定刻に諸将を集めての軍議も、午過ぎからの暴風の間の、
旗指物や物見についての注意と、
朝方に民へ出した布令の拡散の具合の
把握ということが主で、どちらかといえば皆、
南風が運んでくるであろう春への喜びを
滲ませているような、和やかな雰囲気のうちに散会したのだった。
「そういえばの、そなたの好きな、あの白梅の樹じゃが」
彼は、ふと思い出したように貌をあげて、傍らの龍に囁く。
「この半月ほど、忙しゅうて、散歩も儘ならず、見ておらんかったな」
彼が、腰を浮かしかけたので、龍は、名残に見に行こうという考えを察して
「お危うございます。梅は来年も咲きます」
「あれは老木ではないか。いつ朽ちるとも知れん。
早う行って、早う帰ってこようぞ、さあ、ゆくぞ」
と、風を危ぶむ龍の手を引いて、彼は足取りも軽く、室をあとにした。
龍の予見は正しく、廊を巡って、庭先の階を降りる頃には、
不規則に、渦巻くが如き南風が庭木をざわざわと騒がせては止むような、
不穏な様子を呈していた。
「我が君、風が、変わろうとしております……やはり」
従う龍が立ち止まり、彼の袖に縋って思い留まらせようとした
其の時、彼らは思いがけぬ強さの突風に見舞われた。
龍の纏う黒き衣の袖が、舞い上がるように煽られるのを見て、
彼は咄嗟に、風上に厚い背を向けて、我が龍を風に暴れる袖ごと、
緊にいだき締め、
「天よ、どうか儂の……!」
叫ぼうとして、彼は、目にも口にも容赦なく砂が入ってくるので、
そこで瞼を閉じて歯を食いしばり、
(どうか儂の孔明を、召し上げて下さるな)
脳裏に文字が焼きついてしまうほどに強く念じて、
踏みとどまって風がおさまるのを待った。
其の時、龍はといえば、大きな耳朶が頬に触れるほどに、
不意に我が王の懐に深くいだかれ、
彼が口走った其の続きが、膚を通して
聞こえたかのようで、風よりも其れに驚き、
もう少しで白い羽毛の扇を風に奪われるところであった。
吹き始めたばかりの風のこと、たとえば花びらが
舞い落ちるほどの少しの間のことであったはずなのに、
彼らには、まるで一曲の楽が奏し終えられるまでのほどに、
長く長く感じられた。
「……良かった。そなたが、吹き飛ばされてしまうかと思うた」
「左様なことはございません」
「そうだろうか」
「はい」
「お前は、儂が吹き飛ばされて、どこぞへ行ってしまうとは、思わないのか」
「もしもそのようなことになりましても、
きっと探し当ててご覧に入れます」
「見つからんように、隠れておったなら、どうする」
「いいえ、必ず見つけます。隠れもなき高祖のように」
珍しく真顔で、真偽が定かでない伝承を口にする龍を
間近に見て、
(そりゃ、のちの怖い后がたびたび見つけたのではなかったか)
と、彼はそぐわないものを感ずるに反して、
心が妙に浮き立つのを認めざるを得なかった。
「酷くなるまえに、退却じゃ。本当に攫われでもしては、かなわん」
おっとりと、龍の手をとって足早に引き返しながら、
「残念をしたのう……朝に、気づいておればの。夕刻にはもう、散ってしまおう」
龍のために、かの老木を未練に思う。
「よいのです。近く、我が君が桃をご覧になるお供ができれば」
「そうか?」
「はい」
彼は、言葉少なくも、慕わしげに見上げてくるこの龍の
澄んだ双眸に、何とも言えぬ心打たれるものを感じて、
何やら、寛き胸が一杯になり、柔らかに引いていた其の手を、
力を籠めて握ってみた。
はっとしたように、白い羽毛の扇で貌の半分を覆いながら、
「あの、我が君は、なぜ……わたくしがあの老木を好いていると、
ご存知なのですか」
誰にも教えた覚えがないので、龍は頸を傾げて素直に問う。
「お前の好きなものは、何でも知っておるつもりだぞ。
……知らなんだのか?」
彼は、其うはぐらかしながら、白い手とともに汗をも
握ってしまっているように覚えたが、どうにも心躍って、
手を離す気になれなかったのだった。
あるいは、あまりに躊躇いすぎる二人を見かねた、
この年最初の春風の悪戯であったのかも知れない。
桃はまだ開かない頃の早朝、一つの卓で朝の餐を、
我が龍とともに摂っていた。
温かい粥と、簡素な蔬菜の料理を摂りおえて、
彼は、果物の盛られた大皿から、
色艶のよい林檎を選んで、果皮を器用に剥いて切り分けると、
向かいで品のよい箸の上げ下ろしをしていた我が龍に与えながら
「さあ、別腹とやらだ。そちは余計に食わねばならんぞ」
と、皿を手渡した。
「どうぞ、我が君がお先に」
「お前は、ちょっと目を離すとすぐに寝食を忘れる。
儂は忘れん。ゆえにお前が先じゃ」
林檎には興味がないように、侍従が差し出した
手ぬぐいで、指に付いた果汁を拭っている。
「甘ければ、そちが全部食え。酸いならば、手伝うてやってもよい」
彼は、慈父のように微笑んで、茶の入った蓋碗の蓋を取って、
旨そうに、ずず、と啜った。
「有難うございます」
見れば、果実には透けるよな飴色の蜜が入っており、
酸いとは思われなかった。彼も心得ていて、小さめの
林檎を選んだので、食べ切れそうではある。
さく、と、いかにも瑞瑞しい音を立てて、林檎のかけらは
龍の口腔で、爽やかな甘みを發する。
「美味いか」
其の様子を、彼は双眸を細めて、上機嫌で見守っている。
我が龍の白い頬が緩んだのを見れば、甘かったのであろうことは
聴かずともわかるのに、である。
「美味しゅうございます」
この君臣の仲の良さ、物静かな中に隠れもなき親密な
言葉の遣り取りに、側仕えの者たちはすっかり慣れて
しまっていて、もう誰一人驚きもしない。
彼は、熱い茶をちびりと啜りながら、眼の前の我が龍に
すっかり見惚れてしまって迂闊に飲み誤り、途端に
咳を発した。
左右が慌てて寄ろうとするのを、長い腕を挙げて制して、
大事無いように装いながらも、なおも袖の中で
ごほごほと嘔くように苦しんでいると、
いつの間にか龍が彼の傍に座って背を擦っている。
「お風邪ではございませんか」
左右に世話を焼かれるほど老いぼれては居らんと
態度に示しながらも、我が龍に案じられることは
全く別儀のようで、
「いやいや、朝晩はまだ冷えるでな、歳は取りたく
ないものじゃ」
などと、彼はどうにか咳を鎮めてから、
遠慮がちに背を撫でてくれている薄い手の優しげな
感触を辿って朝からよい心地になり、
かろく支えるように腕に添えられた白い手に、
大きな手を重ねて、逆に労わるように振舞った。
「午を過ぎれば、寒さもかなり緩み、お過ごし易く
なりましょう」
彼の掌の温かさに、今更にして些か慌てたように、
重ねられた手の下で、冷たい白い手が所在無く
ぎこちないようにしているので、彼はとんとんと
柔らかくその甲を暖めるように緩く叩きながら
「では今日から寝衣を、春物にしてもよいであろうかの」
今宵も当然、二人して寝に就くという口振りで、
彼がそう続けてみると、
「まだ寒暖の差が大きゅうございますので、ご油断はなりませぬ」
といいながら、龍は肯うように笑みを刷いて応えたので、
既に確かに日常となっている我が龍との起居に、彼は
あらためて心が盈ちるような心地がしていた。
今朝、早朝に食を摂ったのには理由があった。
昨夜の天文を観て帰ってきた龍が、
「明日は、春一番が吹きましょう。空模様から見て……」
と、忙しく早速に注進を始めたので、
「待て待て、もそっと近う寄れ。火の傍に」
夜の北面の楼台の上で、冷えたのであろう其のほっそりとした體を、
一刻も早く暖めてやろうと、思い遣り、
彼も火に掌をかざしながら落ち着いて、
明日の午過ぎ頃から、ついに春の訪れを告げる大風が
一刻から二刻、吹き荒れそうであるという、
天候についての龍の予測を聴いた。
「では、明朝は早めに起きるとしよう。
民への布令も、朝一番に出そう。それで良いであろうかな」
明日は少し早めに起きて、
軍議よりも先に為せることは済ませてしまい、
風が起こり始める午過ぎには、彼ら二人の用務も、
諸将の任務も止めて、不測の事態に備えて
房室で待機するがよかろうと結論して、
側仕えの者に、明日の朝餉の用意を命じると、
龍にも常よりも早く更衣をさせ、傍らに臥せしめて
寝入ってしまったのである。
静かな早朝に、用務は滞りなく進む。
(少し冷えるが、早朝は、よう捗るものじゃな)
彼は、目の前の竹簡が、みるみる捌けていくことに
驚いたが、殊に冬の日の朝、夢うつつに、
離れがたい温もりを隣にして、うとうととしている
至福のひとときを奪われても困ると気を回して、
これを口に出すのを憚った。
これを龍が聴いたなら、嬉嬉として、
「明日から早起きをいたしましょう」
と、提案しかねない。早起きは吝かではないが、
朝いちばんに、傍らに白い寝姿を見つけて、
今日もこの龍とともに生きるのだという
しみじみとした情感を味わう、彼にとっては
ひそやかな楽しみを、失くしかねぬことを内心で懸念した。
(そうじゃ、今朝がたなどは……)
巨きな耳で、どこかで飼われている鶏鳴を聴き、
浅くまどろんでいると、この我が龍が、其の白い五指で、
彼の節くれた拇指を握り締めていることに気づいて、
忍び笑いをした。其れをふと思い出して、
貌がにやけてしまいそうになる。
其れらを傍らの龍に悟られないように、黙黙と筆を動かす。
定刻に諸将を集めての軍議も、午過ぎからの暴風の間の、
旗指物や物見についての注意と、
朝方に民へ出した布令の拡散の具合の
把握ということが主で、どちらかといえば皆、
南風が運んでくるであろう春への喜びを
滲ませているような、和やかな雰囲気のうちに散会したのだった。
「そういえばの、そなたの好きな、あの白梅の樹じゃが」
彼は、ふと思い出したように貌をあげて、傍らの龍に囁く。
「この半月ほど、忙しゅうて、散歩も儘ならず、見ておらんかったな」
彼が、腰を浮かしかけたので、龍は、名残に見に行こうという考えを察して
「お危うございます。梅は来年も咲きます」
「あれは老木ではないか。いつ朽ちるとも知れん。
早う行って、早う帰ってこようぞ、さあ、ゆくぞ」
と、風を危ぶむ龍の手を引いて、彼は足取りも軽く、室をあとにした。
龍の予見は正しく、廊を巡って、庭先の階を降りる頃には、
不規則に、渦巻くが如き南風が庭木をざわざわと騒がせては止むような、
不穏な様子を呈していた。
「我が君、風が、変わろうとしております……やはり」
従う龍が立ち止まり、彼の袖に縋って思い留まらせようとした
其の時、彼らは思いがけぬ強さの突風に見舞われた。
龍の纏う黒き衣の袖が、舞い上がるように煽られるのを見て、
彼は咄嗟に、風上に厚い背を向けて、我が龍を風に暴れる袖ごと、
緊にいだき締め、
「天よ、どうか儂の……!」
叫ぼうとして、彼は、目にも口にも容赦なく砂が入ってくるので、
そこで瞼を閉じて歯を食いしばり、
(どうか儂の孔明を、召し上げて下さるな)
脳裏に文字が焼きついてしまうほどに強く念じて、
踏みとどまって風がおさまるのを待った。
其の時、龍はといえば、大きな耳朶が頬に触れるほどに、
不意に我が王の懐に深くいだかれ、
彼が口走った其の続きが、膚を通して
聞こえたかのようで、風よりも其れに驚き、
もう少しで白い羽毛の扇を風に奪われるところであった。
吹き始めたばかりの風のこと、たとえば花びらが
舞い落ちるほどの少しの間のことであったはずなのに、
彼らには、まるで一曲の楽が奏し終えられるまでのほどに、
長く長く感じられた。
「……良かった。そなたが、吹き飛ばされてしまうかと思うた」
「左様なことはございません」
「そうだろうか」
「はい」
「お前は、儂が吹き飛ばされて、どこぞへ行ってしまうとは、思わないのか」
「もしもそのようなことになりましても、
きっと探し当ててご覧に入れます」
「見つからんように、隠れておったなら、どうする」
「いいえ、必ず見つけます。隠れもなき高祖のように」
珍しく真顔で、真偽が定かでない伝承を口にする龍を
間近に見て、
(そりゃ、のちの怖い后がたびたび見つけたのではなかったか)
と、彼はそぐわないものを感ずるに反して、
心が妙に浮き立つのを認めざるを得なかった。
「酷くなるまえに、退却じゃ。本当に攫われでもしては、かなわん」
おっとりと、龍の手をとって足早に引き返しながら、
「残念をしたのう……朝に、気づいておればの。夕刻にはもう、散ってしまおう」
龍のために、かの老木を未練に思う。
「よいのです。近く、我が君が桃をご覧になるお供ができれば」
「そうか?」
「はい」
彼は、言葉少なくも、慕わしげに見上げてくるこの龍の
澄んだ双眸に、何とも言えぬ心打たれるものを感じて、
何やら、寛き胸が一杯になり、柔らかに引いていた其の手を、
力を籠めて握ってみた。
はっとしたように、白い羽毛の扇で貌の半分を覆いながら、
「あの、我が君は、なぜ……わたくしがあの老木を好いていると、
ご存知なのですか」
誰にも教えた覚えがないので、龍は頸を傾げて素直に問う。
「お前の好きなものは、何でも知っておるつもりだぞ。
……知らなんだのか?」
彼は、其うはぐらかしながら、白い手とともに汗をも
握ってしまっているように覚えたが、どうにも心躍って、
手を離す気になれなかったのだった。
あるいは、あまりに躊躇いすぎる二人を見かねた、
この年最初の春風の悪戯であったのかも知れない。