會桃李之夜宴 (とうりのやえんにかいして)

2011/04/01

3世紀被害譚SS

あっ、こんにちは。お久しぶりですお姐さま。

わあ、お土産、蜜柑ですか。重かったでしょう。
江東の蜜柑、大好きです。いつもありがとうございます。
お茶、淹れますね。
殿様から、おすそ分けしていただいた
おいしいのがあるんです。

……そうなんです。僕、あのあと試験に受かってて、
いま、お城でご奉公してるんです。
書庫の司書の見習いで、手が空いたときは、
史書を読んでてもいいって、上役のかたが言ってくださって、
もう毎日が夢のようでした。

でした。……なんです。
朝早く出かけて、誰も居ないうちに、
大好きな書庫のお掃除をして、
少しずつ史書を読ませていただいて……!
勉強も捗るし、お禄までいただけるなんて、
やっぱり、……出来すぎですよね……?

”お前はまだ小さいのに、勤勉で感心な奴だな。
 喜べ、来月から殿様のお側仕えにあがるのだ! 
 わたしも鼻が高い”
って、ある日突然、上役のかたに言われて、
僕の幸せは、あっけなく終わってしまったんです。

お側仕えにあがると、先輩の後について、右往左往、
殿様にはお客様が多いし、ご舎弟の将軍様がたも
一日に何度もお出入りして、お茶の上げ下げだけでも忙しいです。
一日中、割合に静かな書庫とは勝手が違います。

新入りはお湯の番が決まりみたいな感じで、
慣れるまではとにかく、せっせとお水を足して、
お湯を切らさないように、それが僕の新しい仕事でした。

でも、先輩たちは皆さん親切で、
”おーい、殿様にお茶ふたつ。軍師がお見えだから、
 軍師のは一回別なのにとって。軍師は猫舌なんだよ”
”夜に虎髯の将軍様が見えたら、お酒が早いから、
 お燗はいつもの三倍しといたほうがいいんだぞ”
とか、細かく教えてくださって、
大きな失敗もせずに、夢中のうちに三月ばかり過ぎてゆきました。

そのうちに、優秀な先輩たちは、ぽつぽつと、
官吏の見習いになったり、将軍がたのお目に留まって、
殿様がお許しになって去っていったりという具合で、
いつの間にか僕より後に入った子たちが
お湯の番などをするようになり、僕はまた、
先輩について、殿様の御身のまわりのお世話をするという
慣れないことに、てんてこ舞いをしたんです。

初めてお召しかえのお手伝いをしたときに、
殿様のお腕が、嘘のように長いので、思わず声を上げそうに
なってしまったのを覚えています。

ええそうですよ。噂のとおり、御耳も、ものすごく大きいです。
占い師の人に聞くと、福耳、っていう珍しい富貴の相なんだと、
先輩がたが言っていました。

それよりも驚くことがありました。

史書を読んでいると、王様はお気に入りの美しいお妃を
たくさん、後宮というところに住まわせていて、
夜はそちらでお休みになるということが、よく書いてあるので、
僕は殿様もてっきり、そうなんだと思っていました。

だから、夜は暇になるのかな、それなら、
お湯の番をしていた頃と違って、
明るくて落ち着く詰め所で勉強しててもいいのかな、
と期待しちゃいました。

でも、思い出しました。
お湯の番をしているときに、
”殿様の、お濯ぎの盥の湯加減しといて。二つね。ああ、
 一つには、今朝から花を漬けて置いてある、
 あっちの水を濾して足すんだよ”
と、先輩方がいつも、お休み前の御み足の濯ぎの盥を
持っていかれていたことを。

お妃のところで休まれるなら、お妃の侍女のお姐さんたちが
お世話するに違いないです。
あーっ、ということは、殿様のお側仕えは、
本当に、おはようからおやすみまで、という
丸一日のお仕事ではありませんか。
ご寝所でそう思っていると、盥が一個、運ばれてきます。

僕はいつも、二個、ご用意していたのに、
この頃は一個で足りているのでしょうか……?

表の寝所で、お濯ぎになった御み足を拭いて差し上げて、
盥を下げようとすると、先輩が
”いいよ。お前にはこれ、重いから。今日、人少ないから、
 向かいの部屋に、灯り持ってお迎えに行っといで”
気を遣ってくださるので、お言葉に従って、手燭を持って
廊へ出ました。

でもお迎えって、誰をでしょうか。

わからないけど、お向かいのお部屋にはきっと先輩方の
どなたかがおいでのはず。
困ったらまたそこで伺おうと思って、
”失礼いたします、お迎えに参りました”
と、礼儀正しくはっきり大きな声で、扉に向かって申しますと、
扉が開いて、寝支度を整えた人影があらわれました。

え?

僕は目を疑います。
だって、昼間、ご飯をその都度ご一緒に召し上がって、
軍議にも連れ立ってゆかれて、午後のお茶もご一緒で、
つい先ほども、殿様とお天気や星のお話をなさっていたばかりの、
軍師さまなんです。

偉いかたが、珍しい大事なお客人とご一緒に眠る
というようなことは、あるんだと、
故事で知っていたつもりなのですが、
ご自分の軍師さまと、ご一緒にお休みとは、
何か格別な密談のようなものをなさるんだろうかと、
ちょっとその日は、ビクビクしてしまいました。

でも。
あくる日も、その次の日も、さらに次の日も、
ずーーーーっと、そうなんです。
殿様は、全く、お妃のところへ行きません。

立ち聞きをするつもりはないのですが、
次の間で控えているお当番の夜などは、
なにやら、おっとりとした低い御聲で
お話をなさりながら、時々、お楽しそうな
笑い声なんかもして、そのうちにお二人とも
ぐっすりお休みみたいで、シーンとしてしまいます。

どうも、重大なお話を秘密にしているという訳では
ないようなのです。

御仲のよい王様と重臣の例は、史書にも、
ほんの少し出てきますが、こんなに御仲がよろしい
殿様と軍師って、居るんでしょうか。
実際に、こうして、居ると言うことを
目の当たりにしても、なんだか信じられない気がする日も
あります。

そうそう、このあいだの、桃の宴の夜のことです。

何でも、殿様がご舎弟の将軍がたと
義兄弟の誓いを立てた大事な日ということで、
毎年、ご宴会を催しているそうなのです。
宴も酣のころ、急に一陣の風が吹いて、
広間の灯りが全部消えてしまいました。

僕、思わず絶纓の会を連想してしまいましたが、
殿様は、きれいな女の人を集めるご趣味もなく、
宴のお世話をしているのは女官のお姐さまではなくて、
僕たちなので、何も騒動は起きないんだろうと思って、
先輩たちと一緒に落ち着いて灯りを取りに行きました。

みんなで灯りを手に帰ってくると、
お髯の将軍と、虎髯の将軍が、
広間の真ん中に聳えるようにお立ちになっていて、
暗闇から誰か曲者が現れても、たちまちに
討ち取ってしまうような爛爛とした眼光をなさっていたので、
僕は、そっちのほうに驚いて、灯りを落としそうでした。

でも、もっと驚いたのは、
殿様に一番お近くにお座りのはずの、
軍師様のお姿が、忽然と消えていたことです。

灯火をお席のそばに点してお探しすると、
なんと殿様が、ご自分の座の傍で、剣を握り締めた左手の
長いお腕の中に、軍師さまをギュッと庇っておいでなのです。

軍師さまは、とても控えめでお優しくて芯のお強い
お方のようなので、殿様のところへ逃げ込もうとしたり
なさらないはずです。きっと、万一に備えて、
殿様を庇おうとなさったのは軍師さまなのです。
でも、日頃の殿様を見ていればわかります。

殿様は、ご自分よりも、ずっとずっと、
軍師さまが御大事なのです。

僕は、ようやくいろいろ分かった気がして、
ぺこりと一礼して、元の、壁際の定位置に控えました。

”さあ、みなみな、飲みなおそう”
殿様は、お腕の中の軍師さまに、にこりと笑まれてから、
柔らかい仕草でお手を離されて、周りの将軍様たちも、
怪しみもせずに、がやがやと座へお戻りになりながら、

”やれやれ、びっくりしたなー”
”軍師殿、今のって、天文には出てなかったんスか?”
”天文が全てではありません”
”これ翼徳、軍師殿をからかうな。
 天のご機嫌をほぼ読めるなど、既に神業なのだから”
”えーっ、無礼講って言ったじゃんかあ”
”孔明のことは別儀じゃ”
”へいへい、大人しく飲みなおすっス。兄者、乾杯の音頭をとって
くださいよ”

何事も無かったように、宴は続いたのでありました。

ねえ、お姐さまは、江東の前の殿様の
お妃にお仕えだったでしょう?
殿様って、どんな風だったですか?
こういうのって、普通なんですか?

え? 
”担ごうったってダメ、今日は萬愚節でしょ”
って?

萬愚節って何ですか? 担いでなんていませんよ。
ああ、世の中、まだまだ僕の知らないことが多すぎる……。
もっとお勤めに励んだら、また書庫に戻していただけるのかな……

精勤すればするほど、重宝がられてしまう世の条理を、
少年はまだ知らない。