それから数日が経ったある日、馬季常の邸を、末弟の幼常がおとずれた。
はればれとした青空のもと、甍には純白の雪がまだ厚く乗っており、軒からは雨天のようなしたたりの音が絶え間ない。
「兄上はどちらにおいでですか」
馬季常は、庭に面した小亭で、笛を弄っていた。
「お言いつけのこと、今日、おおむね終わりました」
「おお、ご苦労であったな。誰も怪我などしなかったか。特に楽士の衆は、一度拾うた命だ」
「はい。ただ、店の扁額だけは、どこまで飛んだか、見つかりませんでした」
「あの見事な手蹟の、あれか。それは惜しいことをしたが……。そうだ、笛の子は、行かせなかっただろうな」
「もちろんです。あんな危険なところに、泣かれたって連れて行くもんですか」
「そうか。重畳だ。礼を言うぞ」
「何ですか、あらたまって、そんな」
言いつけとは、過日に突風に見舞われて倒壊した茶楼の瓦礫の中から、楽士たちが『どうしても』と未練な家財道具の類を、雪が溶けてひどく濡れてしまう前に運び出す手助けと、その間の身柄の護衛をすることであった。
特定の庶民に対して、上将の家が私的におこなう援助としては、破格である。
だが、茶楼の楽士七人を匿うことはこの荊州の主に許しを得ているし、家財道具の件はこれから毎日行うことではない。
一時的で緊急な措置であり、これは小さな朋友とその仲間を『匿う』の一環であると、馬季常は誰に対しても申し開きをする自信と覚悟があった。
「兄上、こんな時に、笛を?」
「じつはなー、左の方がよく鳴るという珍しい笛を、後日ご主君から拝借することになってな。しかも、お客人の前で奏さねばならん。……慣れた笛でも、なかなか、難しいものだなー……。暇を見てよく励まねば」
「へえ。笛は普通、どちらでも鳴るように作ってあるのに。それは、いつですか」
「まだ決まっておらん。が、お客人はご高齢ゆえ、おそらく、暖かくなってからだろう」
兄に良く似た形の黒い眉を、幼常はひそめてみせた。
「兄上に宴の座興をお命じになるなんて。楽士ぐらいお雇いになればおよろしいのに。ご主君はご倹約家だから。それに左なら、私のほうが上手いのに」
本来、左利きである幼常は、面白がるような視線を兄に向ける。
「天子でもないのに常に楽を傍らにすることなどは、僭越で亡国の元とお考えなのかもしれんぞ。ご自身の娯楽など、露ほどもお考えではない。……笛は、お前をと推してもよい」
「冗談です。兄上はお人が悪い」
馬幼常は慌てた。主君の傍に常に侍っている聡明で高潔で、まるで望月のように遠く眩しい、あの一条の龍の前で、拙い笛の音を披露するなど、考えただけで恥ずかしいのである。
しかも、音曲については古来、君子は琴を嗜むものとされている所、幼常は、琴が不得手である。
否、琴云々だけではなく、本当は左利きで、左で書いたほうが文字も巧いことを憧れの人物に知られるかもしれぬだけで、臆してしまうのだ。
この少々生意気な青年は、憧れの人物に左利きを既に知られていることを知らない。
滅多にあることではないのだが、書き損じた文字を削るところを、一度見られている。刃物だけは左でないと、いまだに細かくは扱えない。
幼常の左利きについて、父母は眉をひそめながら、笛以外を厳しく躾なおして育て上げたので、このことに関してはいまだに劣等感を拭いきれていない。
馬氏五常に数えられて、若年ながら一目おかれるようになってもなお、である。あるいは、なおのこと、なのかもしれない。幼時の記憶とは恐ろしいものである。
行く末を思えばこそ、父母は厳しく臨むのだと、利発な幼常は理解してはいたが、なぜ生まれついたままではいけないのか、問う言葉まではまだ持ち合わせておらず、思うがままにならない右手に苛立つばかりであった。
当時、ただ一人、すぐ上の兄の季常だけが
「なくことなんてないぞ幼常。左ききでもいいじゃないか。
よのなかが、右ききにべんりなようにできているだけのことさ。
でも、もし左でも右でもできたなら、すごいじゃないか。
私だって、兄上たちだって、右しかできない。
幼常はきっとできるんだ。さあ、私といっしょに、
もういちどやってみよう」
と、最も苦行だった書写の時間、父にまた手を叩かれて涙する幼常に対して、右にも左にも全く先入観のない言葉でいつも励ましたものだった。
上の三人の兄たちは慰めてはくれたが、根気よく共に並んでいてくれたのは、季常だけだった。
この頃から既に、季常は兄弟のなかで抜きん出ており、これらのことを馬季常はもう忘れているが、幼常は鮮明に覚えている。
このようなことが影響しているのかどうかは定かではないが、少し斜に構える傾向があるこの弟の、さきほどからの、純情なほどの含羞の理由を見抜いている馬季常は、その点を言い当てることを憚り
「完璧という言葉は、軍師のためにあるような言葉ではある。だが、我らが気づかぬ欠けたるところを、きっとご主君が、すっかりご承知なのであろうよ」
弟の、やや過ぎたる憧憬を窘めた。
「それしきのこと、分かっております」
「分かってはいるが、我らには、一体どこが欠けておられるのか、皆目わからん」
「……本当に、欠けてなどおられないのかも知れませんよ」
「埒もない」
つね日頃から募ってゆく憧憬を、ただひとときの一言で戒めんとする愚かさを、馬季常は苦く飲み込んだ。 同時に、末弟の持つ若若しい想いが眩しい。
「ところで、楽士の衆は、不自由はないだろうか」
「当然ですよ。兄上、我が家をどこだとお考えですか」
「だがなー、慣れ親しんだ茶楼と暮らしを、一度になくしたのだ。しばらくは楽器という気持ちにはなれんかもしれんなあ。食も進むまい」
「時が癒しますよ」
「そうだが、それは人によりけりであるしな……。特に、童は」
「あんまりお親しく構うと、兄上のためにも、あの子のためにもなりませんよ」
「わかっている」
「余計な憶測を呼びます」
「憶測?」
「あの子は兄上の私生児ではないか、など」
「下世話な」
「どんな場所にも邪推好きの暇人はいるものです。この住みよい荊州だとて
残念ながら例外ではあり得ません。兄上はお人がおよろしい。もっと注意なさら
ないと」
「言われるまでもない。我が家に匿ってから、一度も会うてないのだからな」
「もちろん存じています」
「……お前は、このことに反対だったか」
「まさか。兄上だから、申し上げているだけです」
「よしよし、もっともだ。心しよう」
他意はなくとも、うかつに正論のごときをずばりと言うと、よい顔をしない者が多いのは世の常である。時には逆恨みさえ招きかねない。
軋轢を避けて世を渡るには、婉曲に賢く伝える労力を怠らないようにせねばならない。
だが馬季常は、苦い直言にも耳を傾けるという長所に恵まれている上、
「また幼常が辛辣なことを。少しは口を慎め」
と、上の三人の兄たちが言うように聞き流したりせず、率直な部分は必ず正当に評価するので、幼常は、この兄相手であれば、何でも思うままを言えてしまうのである。
雪が消え、梅が散り、桃が咲き始めた。
馬季常の懸念とは裏腹に、元々、失うものなど僅かであった笛の少女とその兄には、目に見えるほどの落胆はなく、いつからともなく、馬家での仮の暮らしに慣れていったようであった。
花が一輪ひらくごとに、馬家の離れからは、囀りと和す笛の音、歌声と和す笛の音だけでなく、時には合奏の調べ流れ出づる日を多く数えるようになってきた。
そんなある日のことである。茶楼の楽士をたばねる老爺は、馬季常の配下の者から主命を伝え聞いた。
『三日後、笛の子と笛を伴い、ご主君にお目通りするように。正午に迎えに来る』
主命に否はない。どのような用であっても行くほかはない。たとえ、首に用があったとしてもである。老爺はもとより、諾った。
七人みな一緒であれば、何も怖いことはない。商売のことだけでなく、楽の上で結ばれた、家族のような絆は、もとは流れ者の七人にとって、何ものにもかえがたい。
なぜ笛の少女だけが召されたのか、少女に対する心配と、七人が七人でなくなる、ひいては各々の身の振り方がばらばらになってゆくかもしれない不吉な前兆を感じて、皆、落ち着きをなくした。
「……もしかして、殿様にはそういうお好みが」
「お好み、って」
「小さいうちから手塩にかけて自分好みの女にするっていう」
「……まさか」
「世に仁君と誉れの高い殿様が、まさかそんな」
「寝てるの見たことあるのかよ」
大人どもの言うことが何を意味するかを知らずとも、何か、冗談ではないような深刻な内容を察して、少女は竦んだように、少年にぴったりとついて座っている。
「お前たち、控えい!」
老爺が一喝すると、四人の大人は口を噤み、重苦しい沈黙が漂った。
庭の、のどかな囀りが疎ましいほどである。
「……どいつもこいつも無礼じゃぞ。一体、このお邸のご主人様はどなたにお仕えと思っている。それに、前もってご命令のうえ、日のあるうちのお召しではないか。尋常のご用であろう」
やや語調をやわらげながら、老爺は、皆とおなじくよぎった不安をみずから拭おうと、説得力のある言葉をつづけてから、少女に視線を移した。
「白眉の旦那様に、お前の覚えめでたかったおかげで、今わしらは何不自由なくお匿いいただいておる。ご恩返しも覚束ぬ以上は、旦那様のご主君にお前を差し出せと言われたとしても、わしらは否ということはできん。お召しであれば、行くほかはない」
老爺が諭すように言うのをキッと見上げて、少年は佳い声を張る。
「わたしも行きます。連れて行ってください」
「お前はお召しではない」
常になくギロリと睨まれたが、少年は怯みもしない。
「もし本当に、侍女にでもお召しのおつもりなら、殿様に申し上げたいことがあります」
「……身の程知らずに嘴を挟むと、首が飛ぶぞ」
「ここで妹と今生の別れになるよりましです」
「わしは庇えんぞ。まだ命が惜しいでな」
老爺は、心にもない冷たい言葉で、少年を思いとどまらせようとしたが、ついに折れなかったので
「それほどに言うなら、出立の時に将軍にお許しを請うてみよう。じゃが、お許しが出ねば叶わぬぞ」
と、釘をさしながら渋々と同意した。
はればれとした青空のもと、甍には純白の雪がまだ厚く乗っており、軒からは雨天のようなしたたりの音が絶え間ない。
「兄上はどちらにおいでですか」
馬季常は、庭に面した小亭で、笛を弄っていた。
「お言いつけのこと、今日、おおむね終わりました」
「おお、ご苦労であったな。誰も怪我などしなかったか。特に楽士の衆は、一度拾うた命だ」
「はい。ただ、店の扁額だけは、どこまで飛んだか、見つかりませんでした」
「あの見事な手蹟の、あれか。それは惜しいことをしたが……。そうだ、笛の子は、行かせなかっただろうな」
「もちろんです。あんな危険なところに、泣かれたって連れて行くもんですか」
「そうか。重畳だ。礼を言うぞ」
「何ですか、あらたまって、そんな」
言いつけとは、過日に突風に見舞われて倒壊した茶楼の瓦礫の中から、楽士たちが『どうしても』と未練な家財道具の類を、雪が溶けてひどく濡れてしまう前に運び出す手助けと、その間の身柄の護衛をすることであった。
特定の庶民に対して、上将の家が私的におこなう援助としては、破格である。
だが、茶楼の楽士七人を匿うことはこの荊州の主に許しを得ているし、家財道具の件はこれから毎日行うことではない。
一時的で緊急な措置であり、これは小さな朋友とその仲間を『匿う』の一環であると、馬季常は誰に対しても申し開きをする自信と覚悟があった。
「兄上、こんな時に、笛を?」
「じつはなー、左の方がよく鳴るという珍しい笛を、後日ご主君から拝借することになってな。しかも、お客人の前で奏さねばならん。……慣れた笛でも、なかなか、難しいものだなー……。暇を見てよく励まねば」
「へえ。笛は普通、どちらでも鳴るように作ってあるのに。それは、いつですか」
「まだ決まっておらん。が、お客人はご高齢ゆえ、おそらく、暖かくなってからだろう」
兄に良く似た形の黒い眉を、幼常はひそめてみせた。
「兄上に宴の座興をお命じになるなんて。楽士ぐらいお雇いになればおよろしいのに。ご主君はご倹約家だから。それに左なら、私のほうが上手いのに」
本来、左利きである幼常は、面白がるような視線を兄に向ける。
「天子でもないのに常に楽を傍らにすることなどは、僭越で亡国の元とお考えなのかもしれんぞ。ご自身の娯楽など、露ほどもお考えではない。……笛は、お前をと推してもよい」
「冗談です。兄上はお人が悪い」
馬幼常は慌てた。主君の傍に常に侍っている聡明で高潔で、まるで望月のように遠く眩しい、あの一条の龍の前で、拙い笛の音を披露するなど、考えただけで恥ずかしいのである。
しかも、音曲については古来、君子は琴を嗜むものとされている所、幼常は、琴が不得手である。
否、琴云々だけではなく、本当は左利きで、左で書いたほうが文字も巧いことを憧れの人物に知られるかもしれぬだけで、臆してしまうのだ。
この少々生意気な青年は、憧れの人物に左利きを既に知られていることを知らない。
滅多にあることではないのだが、書き損じた文字を削るところを、一度見られている。刃物だけは左でないと、いまだに細かくは扱えない。
幼常の左利きについて、父母は眉をひそめながら、笛以外を厳しく躾なおして育て上げたので、このことに関してはいまだに劣等感を拭いきれていない。
馬氏五常に数えられて、若年ながら一目おかれるようになってもなお、である。あるいは、なおのこと、なのかもしれない。幼時の記憶とは恐ろしいものである。
行く末を思えばこそ、父母は厳しく臨むのだと、利発な幼常は理解してはいたが、なぜ生まれついたままではいけないのか、問う言葉まではまだ持ち合わせておらず、思うがままにならない右手に苛立つばかりであった。
当時、ただ一人、すぐ上の兄の季常だけが
「なくことなんてないぞ幼常。左ききでもいいじゃないか。
よのなかが、右ききにべんりなようにできているだけのことさ。
でも、もし左でも右でもできたなら、すごいじゃないか。
私だって、兄上たちだって、右しかできない。
幼常はきっとできるんだ。さあ、私といっしょに、
もういちどやってみよう」
と、最も苦行だった書写の時間、父にまた手を叩かれて涙する幼常に対して、右にも左にも全く先入観のない言葉でいつも励ましたものだった。
上の三人の兄たちは慰めてはくれたが、根気よく共に並んでいてくれたのは、季常だけだった。
この頃から既に、季常は兄弟のなかで抜きん出ており、これらのことを馬季常はもう忘れているが、幼常は鮮明に覚えている。
このようなことが影響しているのかどうかは定かではないが、少し斜に構える傾向があるこの弟の、さきほどからの、純情なほどの含羞の理由を見抜いている馬季常は、その点を言い当てることを憚り
「完璧という言葉は、軍師のためにあるような言葉ではある。だが、我らが気づかぬ欠けたるところを、きっとご主君が、すっかりご承知なのであろうよ」
弟の、やや過ぎたる憧憬を窘めた。
「それしきのこと、分かっております」
「分かってはいるが、我らには、一体どこが欠けておられるのか、皆目わからん」
「……本当に、欠けてなどおられないのかも知れませんよ」
「埒もない」
つね日頃から募ってゆく憧憬を、ただひとときの一言で戒めんとする愚かさを、馬季常は苦く飲み込んだ。 同時に、末弟の持つ若若しい想いが眩しい。
「ところで、楽士の衆は、不自由はないだろうか」
「当然ですよ。兄上、我が家をどこだとお考えですか」
「だがなー、慣れ親しんだ茶楼と暮らしを、一度になくしたのだ。しばらくは楽器という気持ちにはなれんかもしれんなあ。食も進むまい」
「時が癒しますよ」
「そうだが、それは人によりけりであるしな……。特に、童は」
「あんまりお親しく構うと、兄上のためにも、あの子のためにもなりませんよ」
「わかっている」
「余計な憶測を呼びます」
「憶測?」
「あの子は兄上の私生児ではないか、など」
「下世話な」
「どんな場所にも邪推好きの暇人はいるものです。この住みよい荊州だとて
残念ながら例外ではあり得ません。兄上はお人がおよろしい。もっと注意なさら
ないと」
「言われるまでもない。我が家に匿ってから、一度も会うてないのだからな」
「もちろん存じています」
「……お前は、このことに反対だったか」
「まさか。兄上だから、申し上げているだけです」
「よしよし、もっともだ。心しよう」
他意はなくとも、うかつに正論のごときをずばりと言うと、よい顔をしない者が多いのは世の常である。時には逆恨みさえ招きかねない。
軋轢を避けて世を渡るには、婉曲に賢く伝える労力を怠らないようにせねばならない。
だが馬季常は、苦い直言にも耳を傾けるという長所に恵まれている上、
「また幼常が辛辣なことを。少しは口を慎め」
と、上の三人の兄たちが言うように聞き流したりせず、率直な部分は必ず正当に評価するので、幼常は、この兄相手であれば、何でも思うままを言えてしまうのである。
雪が消え、梅が散り、桃が咲き始めた。
馬季常の懸念とは裏腹に、元々、失うものなど僅かであった笛の少女とその兄には、目に見えるほどの落胆はなく、いつからともなく、馬家での仮の暮らしに慣れていったようであった。
花が一輪ひらくごとに、馬家の離れからは、囀りと和す笛の音、歌声と和す笛の音だけでなく、時には合奏の調べ流れ出づる日を多く数えるようになってきた。
そんなある日のことである。茶楼の楽士をたばねる老爺は、馬季常の配下の者から主命を伝え聞いた。
『三日後、笛の子と笛を伴い、ご主君にお目通りするように。正午に迎えに来る』
主命に否はない。どのような用であっても行くほかはない。たとえ、首に用があったとしてもである。老爺はもとより、諾った。
七人みな一緒であれば、何も怖いことはない。商売のことだけでなく、楽の上で結ばれた、家族のような絆は、もとは流れ者の七人にとって、何ものにもかえがたい。
なぜ笛の少女だけが召されたのか、少女に対する心配と、七人が七人でなくなる、ひいては各々の身の振り方がばらばらになってゆくかもしれない不吉な前兆を感じて、皆、落ち着きをなくした。
「……もしかして、殿様にはそういうお好みが」
「お好み、って」
「小さいうちから手塩にかけて自分好みの女にするっていう」
「……まさか」
「世に仁君と誉れの高い殿様が、まさかそんな」
「寝てるの見たことあるのかよ」
大人どもの言うことが何を意味するかを知らずとも、何か、冗談ではないような深刻な内容を察して、少女は竦んだように、少年にぴったりとついて座っている。
「お前たち、控えい!」
老爺が一喝すると、四人の大人は口を噤み、重苦しい沈黙が漂った。
庭の、のどかな囀りが疎ましいほどである。
「……どいつもこいつも無礼じゃぞ。一体、このお邸のご主人様はどなたにお仕えと思っている。それに、前もってご命令のうえ、日のあるうちのお召しではないか。尋常のご用であろう」
やや語調をやわらげながら、老爺は、皆とおなじくよぎった不安をみずから拭おうと、説得力のある言葉をつづけてから、少女に視線を移した。
「白眉の旦那様に、お前の覚えめでたかったおかげで、今わしらは何不自由なくお匿いいただいておる。ご恩返しも覚束ぬ以上は、旦那様のご主君にお前を差し出せと言われたとしても、わしらは否ということはできん。お召しであれば、行くほかはない」
老爺が諭すように言うのをキッと見上げて、少年は佳い声を張る。
「わたしも行きます。連れて行ってください」
「お前はお召しではない」
常になくギロリと睨まれたが、少年は怯みもしない。
「もし本当に、侍女にでもお召しのおつもりなら、殿様に申し上げたいことがあります」
「……身の程知らずに嘴を挟むと、首が飛ぶぞ」
「ここで妹と今生の別れになるよりましです」
「わしは庇えんぞ。まだ命が惜しいでな」
老爺は、心にもない冷たい言葉で、少年を思いとどまらせようとしたが、ついに折れなかったので
「それほどに言うなら、出立の時に将軍にお許しを請うてみよう。じゃが、お許しが出ねば叶わぬぞ」
と、釘をさしながら渋々と同意した。