「姜君、あのな。エイプリルフールではないぞ。おほん。……ユン厨師が見つかった」
後漢帝大の春の学園祭の書道科の作品展覧会の会場で、水鏡老師からもたらされた知らせに、姜少年は眼鏡の奥の瞳を見開いた。
老師は
『今回は西夏王碑の臨書に挑戦。甚だ苦戦。観覧随時歓迎。水鏡』
と、一筆書き添えたDMのハガキを、附属小の国語科の教師に言づけてあったのだ。
いまだに王菫ブームの姜少年はそのハガキを手に、放課後に花が咲き乱れる春のキャンパスを横切って、小学部から一番遠い大学部まで一人で歩いてやってきた。
しかし、ユンに会ってそれからどうしたいのか、その答えをまだ姜少年は見つけていない。
老師に何と答えたら模範解答なのかがわからずに、俯いた。
「よき哉。外の腰掛で、茶につきあわんか」
嬉しいのかどうかわからない姜少年を、老師は春の光溢れる方向へいざなった。
「それでな。これじゃ」
老師は、小脇に挟んでいたおそろしくくたびれた『蘭亭序』の折本を開いて、A4三つ折りのPPC用紙を姜少年に差し出す。
「あのカレーのレシピじゃよ。持ってお帰り」
姜少年はハッと顔を上げた。
ユンに会って事情を話してしかも分かってもらわなければ手に入れられないと思っていたものが、いま姜少年の目の前にあった。
驚くべき人脈を持つ公叔の子息の問いに肯うということ以外、姜少年は何もしていない。
この「お礼」は、一体どんなことで引き合うのかわからないという子供らしからぬ思い付きで、姜少年はその紙に手を伸ばせないでいた。
「こうもあっさりレシピを他人に明かすのだとは、ワシも意外じゃった。天意はありがたく享けるものだぞ」
老師はPPC用紙をやや高く掲げて、遠慮深い姜少年に勧めた。
「水鏡先生、ありがとうございました」
まるで亡き父からの手紙を受け取るような風情で小さな両手がようやく紙を受け取った。その場で広げて見るのは行儀が悪い気がして、姜少年は大事に紙を持ったままで老師と話をつづけた。
「じつはな」
老師は、耐熱ガラスの蓋碗に茶葉を入れると、年季の入った金魚柄のポットを傾けて湯を注ぎ、二客に蓋をした。
「見つけてくれたのは公叔の友達でな。ワシの調査は捗捗しくなかった。すまん」
傍で揺れる早咲きの白いクレマチスと一緒に、子供相手にぺこりと頭をさげた。
「そんな。先生、ありがとうございました」
姜少年は急いで首を振り、テーブルに額が触れるほどに礼を返した。
「すると公叔か禅君が姜君に知らせてよいのに、じゃ。ワシに花を持たせてくれたというわけじゃ」
(やっぱり、公叔さまのお力だったのか)
この紙を開いて得るであろう恩に対する報いは、いったい何年後に果たせるのだろうかと、姜少年の両手の中で紙は重みを増すばかりである。
「かいつまんで言えばな。ワシの昔の書も、いささか役に立ったらしいのだ。ワシも、僅かばかり鼻が高い」
喜ぶというよりは深刻なおももちの姜少年を思いやって、老師は少年のかわりに茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
例の、夜咄茶会のあとのことだ。
閣下が帰宅した後のホテルのラウンジでは、ピアノの演奏も終了して、CD音源のジャズの名曲が流れていた。
「お待たせいたしました」
かろやかなジャズの音色に、末弟の歓声が加わる。
「オッ、ありがてえ。おかわりしていいか?」
「もちろんです」
彼は、空腹でぐずる末弟のために、ショートパスタ(大盛り)を注文したのだ。
なお、この料理はメニューになかった。おっとりとした彼との会話で、ユンが気を利かせて「あの大男の腹にたまるもの」を賄ってくれたのだ。
食べる前からおかわりの心配をしている末弟と苦笑する次弟との姿を、彼がカウンターから振り返ってほほえましく眺めていると
「お客様にも。どうぞお味見を」
親指姫大のビーナスが立って春の祝福を受けてもよいような愛らしい白い貝殻型の小皿の上に、雲丹のクリームソースと和したショートパスタが盛られて、彼の前に差し出された。
「おお、これはすまぬな。ありがとう」
彼は、ユンに微笑むと、ユンは彼に笑顔で応じた。無口なタイプだ。どうやらやはり中国人らしかった。外国人が話す中国語には聞こえなかった。
「今日、ジャパニーズスタイルの茶会に出ましてな」
料理人との会話の糸口というものを探すのは初めてだったが、縁があれば必ず連なることができると信じる彼は、家族に語るような平常心で口を開いた。
「暗がりで、いわゆる『お道具』というものはよく見えんかったのですが、良いお軸がかかっておりました」
「『行雲流水』」
「……」
「禅ですな。御存じだろうか、司馬徳操先生の作品でした」
ユンは「雲」ではないかという閣下の推量は当たっていたのかもしれない。ユンは若いのに、この話題に微かな関心を示した。
「……雲は……。限られた者だけのものでありたくないのかもしれませんね」
「ほほう。それは考えたことがなかった。面白い解釈ですな」
ユンは、ニュースで見慣れた異様に巨きな両耳と、おっとりとした雰囲気から、彼こそ劉公叔であることにすぐ気づいていたが、「お忍び」であるかもしれないことに配慮していた。
彼は居ずまいを正して
「儂は、劉と申す。実は、閣下に頼んで、あなたを探していた」
短く名乗って率直に述べた。
「わたしを、ですか? 劉公叔が、ですか?」
この有名人に探されていたとは意外で、ユンは驚いたようだった。
「正確に言えば、まだ小学生の少年が、あなたを探しているのだ」
(子供のために?)
ユンは単純な興味を惹かれて、カウンターごしに彼の話に聞き入った。
あのカレーが偶然にユンのオリジナルだったとしたら、ユンにとって姜少年は縁もゆかりもない。
しかし、縁があるとしたら、あのカレーのレシピは姜少年の父と無関係ではなくなり、ユンになにか質そうとしている気配を全く含まぬわけにもいかないので、彼はあのカレーが果たして誰のオリジナルなのかは追及しなかった。
「……それでは、レシピを差し上げます。またお越しいただける時までにご用意しておきます」
「明日であってもか?」
(子供のセンチメンタルに対して、どうしてそんなに熱心に)
いま書けと言われれば直ちに書けるユンは
「もちろんです」
試すつもりはなかったが、突如あらわれた劉公叔という人物に、こう即答して見せた。
「冗談じゃ。お仕事の合間に、このいずれかへご来信いただければありがたい」
彼は懐から名刺入れを取り出して、ユンに一枚を差し出した。
住所、携帯の電話番号、メールアドレス、すべての連絡手段が書いてある名刺だ。多忙なため、SNSとやらのアカウントだけは欠けている。
「これとは別件で、また参ろう」
今日の勘定は閣下の付けなので、彼はそう言って席を立ったのだった。
ユンは姜少年に会うつもりはないようだった。
ユンの側に何の思い入れもなくても、姜少年には何かがもたらされるかもしれず、彼としてはレシピより会う機会が重要に思えたが、他人を自分の意に添わせようとするのはこの世で最も愚かなことであるので、それは天が計らうまで待つことにした。
三日後の午後一番で、彼の書斎のパソコンに着信があった。
これといって秘密のない彼は、携帯の着信以外はすべて常山の好漢にチェックさせているので、プリントアウトされた状態で見た。
劉公叔御机下
先日はご来店まことにありがとうございました。
お探しのカレーのレシピをお送りします。
添付ファイルをご覧ください。
またのご来店をお待ちしております。
二枚目の添付ファイルを見ると、<薬膳カレーマイルドの作り方>とあって、ざっと読むと材料から手順までが平易に箇条書きにつらねてある。少年が読むことを想定しているようにも思えて、彼はユンに好感を持った。
「公叔。最後の行の赤をご覧になりましたか」
「赤とな?」
慎重なタイプの常山の好漢が眉を曇らせるので、彼は末尾に再度目を走らせる。
※これは特別なカレーで、一回で美味に仕上がることは稀である。
本文よりもポイントを落とした小さな文字が、赤色で並んでいた。
「この赤が、いかんか」
「本物でしょうか」
「偽と申すか」
「疑いたくはありませんが、シェフにとってレシピは命です」
「考えすぎではないか? 読んだだけで絶品が再現できたならシェフなどいらん」
「はい……」
「……。しかしな、お前の考えももっともだ。そうじゃな……。のちほど孔明に占ってもらうとしよう」
彼はその日の三時に、窓越しの陽だまりの中で先生の白皙を楽しみつつ茶を喫しながら、件のレシピを懐中から取り出した。
「例の、カレーのレシピをな」
「なんと。惜しげもないことでございます」
「儂もそう思う。……そなたはどう見る? ああ、手を切らぬようにな」
このところ乾燥しているので、一枚の紙にすらも傷つきやすい先生の手を心配しながら彼が差し出したPPC用紙を、先生は両手で受け取り
「拝見します」
と、あいも変わらぬ礼儀正しさでわざわざ断った。
「偽かどうかはこの際問題ではない。姜君にとって吉であろうか」
レシピの最後の赤を読んだ頃合いを見計らって、彼は問いかける。
「いかがでございましょうか……」
先生は紙をゆっくりと繰り、行間を吟味しているようだった。
彼は、先生がその聡明な頭脳の持つ智力を一点に注いでいる横顔を見ることが好きで、先生が何か手がかりを得るまでじっと見守っている。
また一枚目のメッセージの精読に戻った先生は、息を忘れて視線を止めた。それを彼が見逃すはずがない。
「いかがした。孔明」
先生の眸がみるみる涙で潤んだのは、今は彼だけの胸にたたんであるのであった。
<五行五色で五題> 全9話一気読みへのショートカットは →こちら
後漢帝大の春の学園祭の書道科の作品展覧会の会場で、水鏡老師からもたらされた知らせに、姜少年は眼鏡の奥の瞳を見開いた。
老師は
『今回は西夏王碑の臨書に挑戦。甚だ苦戦。観覧随時歓迎。水鏡』
と、一筆書き添えたDMのハガキを、附属小の国語科の教師に言づけてあったのだ。
いまだに王菫ブームの姜少年はそのハガキを手に、放課後に花が咲き乱れる春のキャンパスを横切って、小学部から一番遠い大学部まで一人で歩いてやってきた。
しかし、ユンに会ってそれからどうしたいのか、その答えをまだ姜少年は見つけていない。
老師に何と答えたら模範解答なのかがわからずに、俯いた。
「よき哉。外の腰掛で、茶につきあわんか」
嬉しいのかどうかわからない姜少年を、老師は春の光溢れる方向へいざなった。
「それでな。これじゃ」
老師は、小脇に挟んでいたおそろしくくたびれた『蘭亭序』の折本を開いて、A4三つ折りのPPC用紙を姜少年に差し出す。
「あのカレーのレシピじゃよ。持ってお帰り」
姜少年はハッと顔を上げた。
ユンに会って事情を話してしかも分かってもらわなければ手に入れられないと思っていたものが、いま姜少年の目の前にあった。
驚くべき人脈を持つ公叔の子息の問いに肯うということ以外、姜少年は何もしていない。
この「お礼」は、一体どんなことで引き合うのかわからないという子供らしからぬ思い付きで、姜少年はその紙に手を伸ばせないでいた。
「こうもあっさりレシピを他人に明かすのだとは、ワシも意外じゃった。天意はありがたく享けるものだぞ」
老師はPPC用紙をやや高く掲げて、遠慮深い姜少年に勧めた。
「水鏡先生、ありがとうございました」
まるで亡き父からの手紙を受け取るような風情で小さな両手がようやく紙を受け取った。その場で広げて見るのは行儀が悪い気がして、姜少年は大事に紙を持ったままで老師と話をつづけた。
「じつはな」
老師は、耐熱ガラスの蓋碗に茶葉を入れると、年季の入った金魚柄のポットを傾けて湯を注ぎ、二客に蓋をした。
「見つけてくれたのは公叔の友達でな。ワシの調査は捗捗しくなかった。すまん」
傍で揺れる早咲きの白いクレマチスと一緒に、子供相手にぺこりと頭をさげた。
「そんな。先生、ありがとうございました」
姜少年は急いで首を振り、テーブルに額が触れるほどに礼を返した。
「すると公叔か禅君が姜君に知らせてよいのに、じゃ。ワシに花を持たせてくれたというわけじゃ」
(やっぱり、公叔さまのお力だったのか)
この紙を開いて得るであろう恩に対する報いは、いったい何年後に果たせるのだろうかと、姜少年の両手の中で紙は重みを増すばかりである。
「かいつまんで言えばな。ワシの昔の書も、いささか役に立ったらしいのだ。ワシも、僅かばかり鼻が高い」
喜ぶというよりは深刻なおももちの姜少年を思いやって、老師は少年のかわりに茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
例の、夜咄茶会のあとのことだ。
閣下が帰宅した後のホテルのラウンジでは、ピアノの演奏も終了して、CD音源のジャズの名曲が流れていた。
「お待たせいたしました」
かろやかなジャズの音色に、末弟の歓声が加わる。
「オッ、ありがてえ。おかわりしていいか?」
「もちろんです」
彼は、空腹でぐずる末弟のために、ショートパスタ(大盛り)を注文したのだ。
なお、この料理はメニューになかった。おっとりとした彼との会話で、ユンが気を利かせて「あの大男の腹にたまるもの」を賄ってくれたのだ。
食べる前からおかわりの心配をしている末弟と苦笑する次弟との姿を、彼がカウンターから振り返ってほほえましく眺めていると
「お客様にも。どうぞお味見を」
親指姫大のビーナスが立って春の祝福を受けてもよいような愛らしい白い貝殻型の小皿の上に、雲丹のクリームソースと和したショートパスタが盛られて、彼の前に差し出された。
「おお、これはすまぬな。ありがとう」
彼は、ユンに微笑むと、ユンは彼に笑顔で応じた。無口なタイプだ。どうやらやはり中国人らしかった。外国人が話す中国語には聞こえなかった。
「今日、ジャパニーズスタイルの茶会に出ましてな」
料理人との会話の糸口というものを探すのは初めてだったが、縁があれば必ず連なることができると信じる彼は、家族に語るような平常心で口を開いた。
「暗がりで、いわゆる『お道具』というものはよく見えんかったのですが、良いお軸がかかっておりました」
「『行雲流水』」
「……」
「禅ですな。御存じだろうか、司馬徳操先生の作品でした」
ユンは「雲」ではないかという閣下の推量は当たっていたのかもしれない。ユンは若いのに、この話題に微かな関心を示した。
「……雲は……。限られた者だけのものでありたくないのかもしれませんね」
「ほほう。それは考えたことがなかった。面白い解釈ですな」
ユンは、ニュースで見慣れた異様に巨きな両耳と、おっとりとした雰囲気から、彼こそ劉公叔であることにすぐ気づいていたが、「お忍び」であるかもしれないことに配慮していた。
彼は居ずまいを正して
「儂は、劉と申す。実は、閣下に頼んで、あなたを探していた」
短く名乗って率直に述べた。
「わたしを、ですか? 劉公叔が、ですか?」
この有名人に探されていたとは意外で、ユンは驚いたようだった。
「正確に言えば、まだ小学生の少年が、あなたを探しているのだ」
(子供のために?)
ユンは単純な興味を惹かれて、カウンターごしに彼の話に聞き入った。
あのカレーが偶然にユンのオリジナルだったとしたら、ユンにとって姜少年は縁もゆかりもない。
しかし、縁があるとしたら、あのカレーのレシピは姜少年の父と無関係ではなくなり、ユンになにか質そうとしている気配を全く含まぬわけにもいかないので、彼はあのカレーが果たして誰のオリジナルなのかは追及しなかった。
「……それでは、レシピを差し上げます。またお越しいただける時までにご用意しておきます」
「明日であってもか?」
(子供のセンチメンタルに対して、どうしてそんなに熱心に)
いま書けと言われれば直ちに書けるユンは
「もちろんです」
試すつもりはなかったが、突如あらわれた劉公叔という人物に、こう即答して見せた。
「冗談じゃ。お仕事の合間に、このいずれかへご来信いただければありがたい」
彼は懐から名刺入れを取り出して、ユンに一枚を差し出した。
住所、携帯の電話番号、メールアドレス、すべての連絡手段が書いてある名刺だ。多忙なため、SNSとやらのアカウントだけは欠けている。
「これとは別件で、また参ろう」
今日の勘定は閣下の付けなので、彼はそう言って席を立ったのだった。
ユンは姜少年に会うつもりはないようだった。
ユンの側に何の思い入れもなくても、姜少年には何かがもたらされるかもしれず、彼としてはレシピより会う機会が重要に思えたが、他人を自分の意に添わせようとするのはこの世で最も愚かなことであるので、それは天が計らうまで待つことにした。
三日後の午後一番で、彼の書斎のパソコンに着信があった。
これといって秘密のない彼は、携帯の着信以外はすべて常山の好漢にチェックさせているので、プリントアウトされた状態で見た。
劉公叔御机下
先日はご来店まことにありがとうございました。
お探しのカレーのレシピをお送りします。
添付ファイルをご覧ください。
またのご来店をお待ちしております。
二枚目の添付ファイルを見ると、<薬膳カレーマイルドの作り方>とあって、ざっと読むと材料から手順までが平易に箇条書きにつらねてある。少年が読むことを想定しているようにも思えて、彼はユンに好感を持った。
「公叔。最後の行の赤をご覧になりましたか」
「赤とな?」
慎重なタイプの常山の好漢が眉を曇らせるので、彼は末尾に再度目を走らせる。
※これは特別なカレーで、一回で美味に仕上がることは稀である。
本文よりもポイントを落とした小さな文字が、赤色で並んでいた。
「この赤が、いかんか」
「本物でしょうか」
「偽と申すか」
「疑いたくはありませんが、シェフにとってレシピは命です」
「考えすぎではないか? 読んだだけで絶品が再現できたならシェフなどいらん」
「はい……」
「……。しかしな、お前の考えももっともだ。そうじゃな……。のちほど孔明に占ってもらうとしよう」
彼はその日の三時に、窓越しの陽だまりの中で先生の白皙を楽しみつつ茶を喫しながら、件のレシピを懐中から取り出した。
「例の、カレーのレシピをな」
「なんと。惜しげもないことでございます」
「儂もそう思う。……そなたはどう見る? ああ、手を切らぬようにな」
このところ乾燥しているので、一枚の紙にすらも傷つきやすい先生の手を心配しながら彼が差し出したPPC用紙を、先生は両手で受け取り
「拝見します」
と、あいも変わらぬ礼儀正しさでわざわざ断った。
「偽かどうかはこの際問題ではない。姜君にとって吉であろうか」
レシピの最後の赤を読んだ頃合いを見計らって、彼は問いかける。
「いかがでございましょうか……」
先生は紙をゆっくりと繰り、行間を吟味しているようだった。
彼は、先生がその聡明な頭脳の持つ智力を一点に注いでいる横顔を見ることが好きで、先生が何か手がかりを得るまでじっと見守っている。
また一枚目のメッセージの精読に戻った先生は、息を忘れて視線を止めた。それを彼が見逃すはずがない。
「いかがした。孔明」
先生の眸がみるみる涙で潤んだのは、今は彼だけの胸にたたんであるのであった。
<五行五色で五題> 全9話一気読みへのショートカットは →こちら