君子四藝から4題  畫廊

2014/10/31

21c (君子四藝で4題) 劉公叔の物語(21世紀)

 21世紀のアジアの小国の公叔たる彼は、多忙な日常から珍しく解放された一日を送っていた。
 企業系ギャラリーの中二階に位置する静かなラウンジのソファ席で先生の白皙を隣にしてゆったりと寛ぎ、日没を待つ趣だった。

 もう一時間もの長居をしているのに、従業員たちが
(お願いですっ。むしろバータイムまで居てください。福の神さま)
 と、祈るような思いを隠して品のよい物腰で、ハーブティーのポットにおかわりのお湯をサービスしては、彼らをそれとなく引き止めている。


 なぜかといえば、上階のギャラリーで
『第359回 徽宗社美術展』
 を開催しているためか、建物の中は先月よりも賑わってはいるが、なかなか集客に結び付いていないのが現状であるところへ、降ってわいた福の神だからだ。

 アイドルタイムに現れたこの二人連れの客から、あわよくば追加の注文を取ろうという魂胆は、店側にはない。

「あっ、誰だっけ。……もしかして公叔?」
 とでも言いたげな反応で通りすがりに観葉植物の向こうから彼へ注意を向けたあと、彼の連れを二度見して歩調が緩んだついでに、ふらりと入店する客が多いので、ポットに湯を足すのである。
 普段の通りすがりの客の、おおむね素通りという行動パターンからすると、ミラクルとしか言いようがない。

 黒いビジネスバックを提げた男性のおひとりさまや、美大生という趣の若いお洒落な女子三人連れ、出品者の家族かと思われる熟年夫婦などが、約13分ごとに次々と吸い寄せられてくる。  


 二人は天井までの大きな一枚ガラスが六面つづく窓辺の席にいて、石に流水が這う日本的な趣向の庭を望んで座っている。苔と芝生と常緑樹のなかのただ一本の紅葉の梢の微かな色づきが秋の彩を添えている景色は、まるでガラスの屏風絵という風情である。

 巨きな耳を左右にした穏やかな初老紳士が、俄かには性別を判じ難い白皙の連れと談笑して茶を喫する姿には、しっかりと掴み取りながらも束縛しない確かな豊かさの如きが溢れいでていた。

 先生は、深まる秋を絹布に染め上げたような茶系の地紋に銀糸で縫い取りをした伝統衣装をまとい、白い襟元と袖口を白皙に映えさせて、左手に折扇をかろく握っている。 

 ゆったりとしたソファに浅く腰かけて、おもに彼の話すことに頷いてあまり話さないのがまた奥ゆかしく見える。

 お茶の時間には遅く、アルコールの時間には早い。

 しかもこのラウンジの内装はモノトーンの色合いで、よく言えば硬派で悪く言えば遊びがなく、昼間はなんとなく客の入りが悪い。
 ランチプレートの企画もなく、スゥイーツの品ぞろえも今一つで、女子受けもしない。
 ただし、大きな一枚ガラスの向こうの石庭の眺めと、コーヒーとハーブティーと地ビールの味にだけは自信がある。

 そんな店のこんな隙間時間に、うるわしい客が品よく座っていると、なぜかその客が客を呼ぶというマジックが起こることが多いことを、従業員たちはよく知っていてその客を「福の神」と呼ぶのだ。 

 本当はマジックではなく、そこに醸されている何かしらよさそうな空気を共有したい本能に似たものが招きよせているだけのことではある。 


 彼らは、徽宗美術展の高校生の部の作品について話している。

 予選を勝ち抜いた100点が展示されていて、そのうち大賞を獲った者には後漢帝國美術大学への入学権と奨学金が与えられる。 

 彼は、未成年者に対する長年の慈善活動による貢献の成果に鑑み、高校生の部の大賞について審査員三人分の評価権を持っている。
 大賞を決めることはできないが、その行方を左右する力はあるといえる。
 今日は、先生と秋晴れの一日を楽しむ序でに、審査のための下見に寄ったのだ。

 おのれの老眼の疲れにかこつけて、外出が負担になりがちな先生に茶と休息をとらせるために迷わずこのラウンジに立ち寄ったというわけである。

「……だが、絵の道に進みたいという情熱を感ずるのは27番の子だ。一年の時から目にとまってな」
「おそらく10Hから10Bまでを使い分け、鉛筆のみで50号に立ち向かうとは見事でございます」

 先生は、出品目録を披いて
<№27 臥龍梅>
 の作品名を確認して、絵を思い出しながら頷いた。

「そうじゃ。一見地味な作品だが、その反骨と意外性も良い。色とりどりの100枚を見おえた後に、妙に印象に残る」
「左様でございます。墨絵かと見紛う味わいでございました」

 先生が何と評価したとしても、彼は心に決めたことがあるのであろう。先生は彼の心のうちを聴くことこそが楽しい。
 彼はといえば、何を話題にしていても先生とこうして差向うていることが嬉しい。

「加えてな。毎年の作品を見れば、才能を恃みに十日あまりで描きあげられよう趣向のものは出してこない。恵まれた才能以上に努力ができる子だ。彼を……彼女かもしれぬが、27番を推そうと儂は思う」

 出品者や出品者のまわりの者と何かしら接触があったなら、これは斡旋の色合いを呈してくるが、そうではない。

 才能のみならず、日ごろからの蔭ながらの努力と熱意をこうして、あいまみえたこともない公叔たる彼にみいだされ、受け止められ、機会を与えられようとするとは、27番の高校生は果報者である。

 天の目が彼を通して確かにあることが先生には尊く感ぜられ、また27番の彼か彼女の将来が艱難多くとも光あるようにと願わずにはいられない。

「ところで、そなたはどの作品が気に入ったのだ」
 問われた先生はリストに視線を落とし
「……63番の……<胡蝶の夢>でございました」
 とこたえた。

 油彩であるのに水彩画かと眼を疑うほど潤い溢れてしかも細密な草木の絵で、写実でもなく抽象でもなく、どの葉にも傷一つなく枯葉もなく時が止まったようでありながら、画幅の隅では朝露が今にも葉から零れ落ちようとし、余白を効かせた部分では白い胡蝶が今にも葉に休もうとしている、おとぎ話のような世界が描いてあった。

「ほう」
 彼はA3を折り畳んだ出品目録を懐から取り出して広げ、老眼をやや顰めてから莞爾として
「儂もじゃ」
 と、先生に手渡した。

 リストの見開きの左頁27番の出品者の名に鉛筆で下線が引かれている。
 見開きの右頁の63番の番号には、丸印がつけられている。
 下線は累年関心があった者へのチェックであり、丸印はそれ以外の興味といえよう。

 先生はしばしば、各展示室の腰掛で休みながら鑑賞したので、二つ目の展示室で鑑賞は既に彼に遅れた。

 彼は先生が自由に鑑賞することを望んで、意図的に歩調を合わせることも敢えてしなかったため、先生が63番の作品の前に歩をすすめた頃には彼は既に次の展示室に居たので、この丸印のことは今まで知らなかった。

 先生は僅か1%の確率さえも、これ以外にありえぬという100%になり得ることを目の当たりにして胸がいっぱいになり、何と言うべきかわからずに押し黙ってしまった。

 大窓の外の空が、夕暮れ前のなんともいえぬ透明感を含んでほんのりとした淡さを含み始めたその時、蝶ネクタイのウエイターが銀色の盆から彼らのテーブルの隅に、火を灯したティーライトを音もなく遠慮がちに供して、また別なテーブルへと回っていった。

 自然光とゆらぐ灯のもとで、このようにぴったりと心が添うたことが、遥けき昔に幾度も体験したような気配にとまどい、先生は涙すら湧きいでるほどの想いを鎮めようと無意識に折扇をあげてその端を口元の近くへ寄せたが、それすらも遠い昔に何度もしたことがあるかのように思え、また彼もその仕草を見たことがあったような気がして、二人は灯の瞬きを前に時が止まったかのごとき感覚に充たされていた。