四君子で四題 #5 十六弁菊(三)

2017/02/02

21世紀パラレル 四君子で4題 劉公叔の物語(21世紀)

 有名な関公竹を見に行く者、詩竹峰へ登山する者、弦月潭のほとりでバードウォッチングをする者、旅客のお目当てはそれぞれだが、皆かならず通るのが白浴池と呼ばれる源泉の湧出地である。

 そこは飲用浴用ともに可能な低い温度の温泉の小川が流れていて、水汲み場と足湯が整備されている。メインルートから良く目につくところに水場を配し、路傍に
<← Foot  spa>
 とだけサインを掲出して、竹と楓の自然の垣根の向こうにひっそりと足湯を構えている。
 おもに西洋人は人前で靴を脱がぬものであるためか、アジア人以外は足湯を素通りして行くことも見越しているようだ。

 先生は泉質に興味を持っていたので、彼らは散策のはじめに足湯に立ち寄ってみた。
 足湯は「巳」という文字に似た形に造られている。
 六ヶ所から源泉が流れ込み、ところどころに溝を切ってあり、どこか一ヶ所が明らかに下流になることがないように計算して造られ、観光客は適当に散って座っていた。
 
 若い女子グループはホットパンツにサンダル履きで、腿の豊かな肉付きも露に皆で身を寄せあって、遠慮ぎみにはしゃぎながら自撮りをしている。
 自撮り棒は使っていないので、最近の若者にしては周囲に気配りができるタイプのようである。

 ほかに客は、アジア旅行に慣れた様子の、サングラスをかけた西洋系の熟年夫婦と、半日ツアーのバッジを鞄やTシャツに取り付けて一眼レフを首から下げているアジア系の中年男性二名、女子グループから一番遠いところに一人旅風の若い男子が一名だった。

「不思議な。石鹸水のようでございますね」
 湯に白い手を差し入れて、肌触りを確かめる先生は興味津々の表情を浮かべて楽しげである。大人しく見えて、興味の対象には子供のように注意が傾くこの表情を見ることができるのが、彼としては楽しい。

 先生は湯を背にして腰掛けると、慣れた手つきで襪子の紐を解き片方ずつくるくると筒状に丸めて布の靴の中に入れ、衣装の裾と袴をさっと膝まで持ち上げながらくるりと軆を廻らせて、白い爪先を湯の中に差し入れた。

 その瞬間、居合わせた八人の観光客たちの視線のほとんどが、先生の膝まわりに集中したことを感じとり、彼はひやりとした。とくに女子グループはこっそりと二度見である。

 先生の目鼻立ちは華やかではないが品よく整っており、立ち居振舞いがおだやかで、どこから舞い降りたかとおもうほど礼法に適っており、黒絹のような髪が色白を引き立て、遠目には性別不詳である。
 そのような様子の者が、見慣れぬ伝統衣装の裾を捲ろうというのだから様々な興味を惹かぬほうが無理がある。
 
 当の先生は周囲の様子に気付いていないらしく、温泉の感想を彼に囁いたりして全く平常心であるので、余計にハラハラする。
 先生の生足と、彼とお針子しか知らない袴の下の肌着の裾を衆目に曝すことに思い及ばず、本当に迂闊であった。迂闊にも、何となく二人して並んでぬるま湯につかり、のほほんと平和に和むひとときしか思い描けていなかったのだ。
 白日のもとに曝しっぱなしの二十代の女子の腿に比して、箱入りの膝頭と肌着の裾の破壊力を彼は思い知らされた。

「なんじゃろうな、この、溶き卵のようなものは」
 遅ればせながら、彼もおもむろに靴を脱ぎ裾を捲りあげて、他の旅客から先生の姿を遮るように腰掛けた。
「湯の華でございます。この温泉の成分から考えますと、硫黄と炭酸ナトリウムと……」
 温泉のなかの沈殿物に注意をそらし、先生のうんちくを巨きな耳に挟みながら、からくも携帯電話のレンズを向けられる無遠慮がなかった以上は、今回のこの旅行が客層まで買いおおせたと言えようと考え直すのだった。


 関公竹が見える景観台は小高い山の中腹にあるので、彼は登山道ではなく乗り物での移動を選び、遊歩道へ先生を誘った。

 遊歩道は背の高い竹林のなかの獣道を最小限に広げて凹凸を均し、太陽が南中でなければ概ね道に影が落ちるようになっている。害虫も寄りにくいようにハーブ類のグランドカバーと温泉の流れを路傍に整備し、曲がり角には楓が揺れて風情を添える。日差しに弱い先生を連れても安心である。

 太陽光パネルを積んだ電動カートの駐輪場へ向かうこに遊歩道のカーブの向こうから、風に乗って外国語が聞こえてきた。抑揚が少なく小声だ。

 つばの広い婦人物の帽子が見えるや、その旅客は眼鏡と杖の日本人と連れの彼女だったので、彼らは狭い歩道を譲ろうと、広めの部分を見つけて端に寄った。

 婦人は挨拶のために帽子をとらずとも良いのに、つばの広さを遠慮したのだろうか、さっと帽子を取りサングラスを外して

「ご両所、ごしんせつに、ありがとうぞんじます」

 いまや時代劇でしか聞かぬ類いの古風な中国語で彼らに礼を言うと微笑み、日本人に特有のあの会釈をふたりへ送ってきた。
 そして、あとに続く銀縁丸眼鏡の男の足元を主に気にしつつ、杖をつく男の自力歩行の歩調を尊重している様子だった。
 男も人懐っこい笑顔で
「シエシエ ア」
と言い、意外にも立ち止まって杖を両手で握り、指輪を鈍く光らせて拱手した。
 彼女の中国語は時代劇の子役のようで、杖の男は外国人の北京訛りの中国語という印象で、男の容貌からは彼よりも年齢が上であるように感ぜられた。
  
「気を付けてゆかれよ」
 彼は、思わず中国語でこのゆきずりの日本人に声をかけて見送った。
 この二人連れは日本人がよく使うカタカナ中国語の「シェイシェイ」を言わなかったのでこちらの中国語もある程度は通じるであろうことが無意識によぎったからかもしれない。

「かたじけのうございます」
 彼女は五歩むこうで振り返り、また、宋朝か明朝かという風情の言葉遣いで礼を述べ、連れだって竹林と楓の葉がそよぐ向こうへと消えていった。

 先生は二人が消えても見送っていたので
「いかがした。心配か」
 と彼は問いかける。
「いえ」
 何でもない風に応じながらも、なにやら後ろ髪ひかれている様子を彼は見逃さなかった。

 たとえば、王立図書館の運営委員会に出席したあと、先生とランチを摂ろうと思い立って、十二時十分過ぎの頃に不意に、最近の先生のお気に入りの紙媒体の古い蔵書目録が収まっている辺りへ行ってみると
「公叔」
 と、白皙を輝かせて昼食に諾いながらも、明らかに目録の続きに未練があるあの感じに似ている。
 今まで会ったこともない種類の日本人と偶然に出会って興味をいだいただけにしては、気に留めすぎに見えなくもなかった。


 星が瞬く頃には早早と部屋で寛ぎ、備え付けの茶器で持参した西湖龍井を淹れて喫しながらの話に花が咲く。

「思い出した。誰かに似ておると思うたら、藝兒(Yi  er)だ」
「どなたですか」
「昼間の、『かたじけない』日本人だよ」
「女優さんなのですか?」
「いや、似ておるだけじゃ。儂の記憶の藝兒は、二十年も前の映像だからの」
 爪が弱い先生のためにウエルカムフルーツの茘枝を剥いて、コーヒーカップのソーサーに分けてやりながら、彼はそれとなく水を向けてみた。

「明日もお見かけしたら、午後の茶にでもお誘いしてみるか。どうじゃな」
「……でも……何をお話してよいものやら」
 人見知りする質の先生がいつもと変わらぬ強い躊躇いを見せるので
(おや。彼女に興味があるのではないのか)
 と、彼は意外に思った。

「同じところを旅先に選んだのじゃ。話題には事欠くまい」
 彼にとって容易いことは、先生にとっては至難の業である。
 この提案はおそらく自分が招いたのであろうことを察した先生は、迷った揚げ句にやっと気がかりを口にした。

「……あのご婦人が」
「うん」
「ご愛用の香りが、母に似ているようで、それで……」
 先生は先が続かずに下を向いてしまった。
 よい歳をして、いまだに親の俤を追っていることが恥ずかしいのかもしれない。
「……気のせいかもしれないのですし……お父上様とご予定も……」 

(儂はどうやら思うておる以上に、そなたに参っておるな)
 安堵した途端に、彼はおのれの取り越し苦労を哄わざるを得なかった。

 もし先生が彼女に個人的興味をいだいていたのなら、悲しいが妨げまいと思っていた。
 それならば、なるべく先生が傷つかぬように、彼女が既婚者だと悟らせる場を設けて様子を見ようかと思っていたのだ。
 彼は彼女が年齢不詳の容貌をしていることに惑わされもせず、二人が揃いの指輪をしている事実を見るともなく見ていた。

 心の中の雲が晴れるや、彼はすっかり余裕を取り戻して今朝の続きを始めるために先生の名を耳元で囁いた。

「……甜いのう」
 今朝と同じことを聞かされて
「……茘枝でございます……」
 もう息があがりながら、先生は自分ではなく果実のためだと弱く言い張る。
「左様か?」
 先生に残る茘枝を余すところなく拭い尽くすように丹念に嘗めながら、知り尽くした白い軆が悦ぶところばかりを選んで焦らしては厚い指を這わせ、故意に衣擦れの音を立てて先生の聴覚までをも愛撫する。

 先生はといえば、冷たさも熱さも感じず潮の味もない透明な海にゆるゆると沈みゆきながら、彼の手さえ離さなければ溺れることもなく、唇をかわすことさえ酸素を摂るための自然で必然で当然のことにさえ思えてくるのだ。
 そして、もしも心の底に沈んだ動かぬ錘があるのならば
彼とだけならば
 と銘じてあるに違いなかった。

 高嶺の白き百合の蕾の夭夭たるを導いて己のためだけに花ひらかせるさまに彼は初夜のような神聖ささえ覚え、浅く淡く穿っては百合の花を散らさぬよう、能うかぎり柔らかに巫山の夢を結び、有らん限りの情を注ぎ込むのだった。