迢迢秋風至(ちょうちょうと あきかぜいたる)

2024/08/23

三世紀ss

 「言うことをお聞き。乖(良い子や)

秋風が、すぐ背後から初老の男の優しげな声を運んできたので、私は思わず振り向いてしまいました。

私は、乖(かい)と呼びかけられる年齢には、もはや程遠いというのに。

私の目には、小さな子を抱き上げた男の背中が映ります。
分かりきっているのに、また振り向いてしまいました。


「先生、ただいま戻りました」
麓の小鎮から帰り、荷車を停めて驢馬に水を与えて、真っ先に先生の墓前に向かってご挨拶します。

先生のお声はありませんが、傍らの木の枝が秋風に揺れ、何かを仰せのような風情です。
なにゆえか、風のない日でも周囲の竹林が微かにさざめき、いまだに私のような者をお労い下さるかのようなひとときなのです。
……ちょっと、涙が湧いてしまう日もあります。


じつは、私に「乖」という愛称をお与え下さったのは、畏れ多くも先帝なのです。

そして、先帝は、特に賢いわけでも特技があるわけでもない私を、ほかの書僮よりも贔屓にして下さっていました。

人の世の儘ならなさや、艱難辛苦をあまた乗り越えてきた厚みと、慈愛溢れる優しいお聲で

「乖や、近う。……あのな、あとで先生にな………」

「先生はちとお疲れじゃ。頼んだぞ、乖」

「よいか、乖。夜更かしせずに儂の許に来るよう、それとのう先生にお勧めせよ」

などと、先帝と先生の、国事以外の、こまごまとした御用などを承ること十有余年、というのが私の経歴でありました。

いわゆる、潰しのきかない経歴です。

他の書僮の出来の良さに比べて、自分には特に才がないことを自覚していた私は、なぜ先帝にお引き立ていただけたのか、当時は分かっていませんでした。

でも、あの君臣のお側近くに長年お仕えし、こうして歳月を経てみると、微かに思い当たることが見つかります。

おそらく、幼くも私は、先帝と先生のお邪魔にならぬよう、なるべく席を外すよう努めて、しかし御用がありそうなら直ちに姿を現す、という機微に長けていたため、先帝のお気に召したのではなかろうか、と思うのです。

幼い私には、計算高さすらなく、先生に忠義を尽くすことと、先生が忠義を尽くす先帝は絶対であること、この二点に愚直に専心することで、己の無能さを補おうと必死でした。

ただ顧みて思うことは、乱世であろうと泰平であろうと、あのお二人は出会い、お手を携え命運を共にすることが決まっていたのではないか、という動かし難い感慨です。

先生は、成都に帰ることをお望みになりませんでした。
漢室中興を掲げて、幾度も出陣なさった、この地に眠ることをお選びになりました。

私は先生のこの選択を知った時、先帝と先生とのお心は既に、互いに傍に居ようと居るまいと、世に在ろうと在るまいと、たとえ遥か遠く隔ったとしても、全く遮るものなき境地に至っておいでなのだと、初めて理解したのです。

先帝が先生をご寵用になり、先生は先帝に忠義を尽くされ慕情の如きをいだいておられたあの有り様に、困惑することも幾度かありはしたものの、先生はご生涯の終わりに、先帝のお近くへ戻ろうとなさらなかったこの事実に、去りし日の困惑は消えました。

困惑は、私の無知がもたらした事でした。
これまで周囲で見聞きした、人が人を思う心の様々な有り様を、あのお二人にも当てはめて考えようとしたからこそ、困惑を招いたのです。

襄陽の蛍の宵や、成都での初めての春節など、あのお二人にお仕えしていた頃の思い出は尽きもしません。

あのお二人のお側に居ると、君臣なのか、親子なのか、兄弟なのか、それとも若い師匠を持つ年上の貴人という師弟なのか、いっそ、若い祖父と孫なのか、そのいずれもであるのか、いずれでもないのか、分からなくなることがよくありました。

かといって、男女の情や断袖の癖にも当てはまらないのです。
たとえば、先生が成都に眠ろうとなさらなかったことが、その一つの証といえます。

もしも誰かが誰かと、まるで一対の夫婦の様に強く戀い慕い合ったとしたら、偕老同穴を願わぬことなどあるでしょうか。

先帝の志に殉じて、成都を守るように、諸葛家と何の所縁もないこの遠隔地に一人葬られることをお選びとは。

ゆえに、先帝と先生は、たとえば一対の夫婦の様に慕い合われたということではない、という証左であろうと思うのです。

そのように見紛うばかりだと、目を瞠ることがあったとしても、です。


先帝は先生を常に敬い、先生のご様子を時には我が子のようにお気にかけられ、先生がのびのびと智略を揮えるよう、お心遣いになることを、息を吸い息を吐くが如くになさり、楽しんでさえおわしました。

先生は、時に身を忘れがちにおなりになりながら、ご心身が窮した時には必ず先帝が頼もしくお支え下さっており、先帝のご在世中は、どんなにお心丈夫であられたことでしょうか。


そういえば、先生は一度だけ、先帝をお謀りになったことがありました。

先帝がなかなか、即位なさらなかった時のことで、仮病をお使いになり、何とか先帝を説き伏せ参らせようとなさった先生の策でした。

まだ漢中王だった先帝は、先生ご重病の報に、先触れさえ間に合わないほどの電光石火で諸葛府に自ら馬でお乗り付けなさり、取次もお待ちになりかねて廊下を走って御成で
「乖、乖やある。案内せい!」
と、お叫びになりました。

その時わたしは先生のご寝所で、先生と打ち合わせをしていましたが、思いもよらぬ素早い御成に、先生も驚きなさり

「乖、私の髷を大至急解いて、お迎えに参じよ」
「はいッ」
先生の仰せのまま、ご重病を装う仕上げを竜巻のようにこなしてから、ご寝所を駆け出しました。

急いでお迎えに出て、先帝を小走りにご案内すると、私と並走なさるほどに大慌てのご様子ながらも、ご寝所が近づくと途端に足音を潜めておいででした。

とにかく、先生がご安寧にお過ごしになることを、いかなる時でもご念頭に置かれるのが、先帝なのです。

先帝は、白く躺わる先生の寝台に腰掛けて先生の手を取り、涙目で先生をお見詰めになり、ほそい声で国の大事を申し上げなさる先生のお言葉に何度も頷きなされては

「相わかった、相わかったぞ孔明。即位はいたすゆえ。とにかく養生せよ。……儂の壽の方が縮むわい」

と、お手づから先生のお髪を撫で整え召されて……その後は、どうやら国事ではない何かを、お言葉少なくお話になり、お心を通わせておいでだった模様でありました。


先帝がお帰りになった後、先生は物思いに沈んでおいででした。

先生が何度もご進言を退けられていたご即位の件を、お聞き入れいただけたのですから、ご安心になってお喜びになるものと思っておりましたが、その後、本当に体調を崩しておしまいになりました。

仮病だったはずなので、私は当惑しましたが、先生のご不調には慣れており、ご常用のお薬やお好きなお茶など揃えて、お世話いたしておりました。

まるで仙人のようなお姿で躺っておられる先生は、頭もお痛みで、白い指でこめかみを抑えて、双眸を瞑ったまま、深い溜息をおつきになり
「……決して謀ってはならぬ、ただひとりの御方を、謀るとは……」
と、呟かれたように聞こえました。

消え入るような小さなお声だったので、私の聞き違いかも知れませんが、ご即位が却下され続ける事よりも、先生にとっては余程お辛い事だったに相違ありません。

夕刻から、先生は本当にお加減が悪くなられたのです。


数日が経っても、なかなか出仕しない先生を案じ召されて、先帝はまた、お見舞いにお越しになりました。

このたびは先触れがあり、前もってお見舞いを知った先生は
「乖。わたくしの髪を、結い直しておくれ。衣も着替える」
と、本当にお加減が優れないのに、身だしなみを整えようとなさるのです。

お優しい先帝のことです。
先生が髪をほどいて病臥し続けていても、お咎めになるとは思えず、私が躊躇していると

「わが君に、せめてこれ以上、ご心配をかけとうないのだ」
凛として仰せになり、まるで仙境の君子のような涼しいお姿で先帝をお迎えになりました。

今こそ仮病に見えぬだろうかと、私はハラハラしましたが、先生をお見舞いになる先帝の眼差しは深くお優しく
「病み上がりは大事にせねば。……その長椅子のほうが、よかろうぞ」

と、親しく先生の手をお取りになって座を移され、あまり長くお話もなさらず

「……のちほど、吉大夫を遣わそうほどにな。こたびこそ、養生せい」
と、帰ってゆかれたのです。

どうも先帝は、最初のお見舞いの時が仮病で、次のお見舞いの時が本当にご病気だったことを、御存知だったのではないかと、このことを思い出すたびに確信を帯びてくるのです。

大局のためとはいえ、君を謀ったことを気に病み身まで病む臣と、そうと知って騙されたまま気づかぬ体で不問に付す主君。

そういうお二人なのです。

少なくとも、臣は君に忠勤を尽くし、君は臣に禄高と栄達を与える、という形の君臣ではあり得ないのです。


あのお二人のような君臣は、おそらくあと千年、いや三千年は現れるまいと思います。

名すら残らぬ私ですが、あのお二人のお心栄えのうるわしさに、間近に接することができたとは、一代の誉れと言えるでしょう。

こうして、先生の永遠の眠りをもう暫くお守りして、私もまた先帝か先生のお召しがあれば、いつかお側に参ろうと思うのです。

できれば先帝に、あの懐かしいお聲で「乖や」とお呼びいただきたいものだと、夢見るこの幸せを、誰も理解してくれなくとも構わぬのです。

いま渡るこの風だけが、分かってくれているのであれば、ただそれだけで。