興平が建安に改元されてから数年後、彼は帝に拝謁する機会を得た。
母から、二言目には漢室漢室と、まるで我が家の事のように言い聞かされて育った彼は、その「漢室」を体現した実在の帝の御姿を仰ぎ見て、その御方がほんの十七、八の貴公子であることに軽く驚いた。
御歳の頃は耳に入ってはいたものの、伝え聞く高祖のように、只人とは異なる特徴をどこかに生まれ持っておわするに違いないという先入観あるいは期待を、帝は見事にお裏切りになった。
さりながら、帝にはお若くも浮ついたところが全くなく、お言葉少なくお話ぶりは慎重であらせられた。
ともすれば、型通りの謁見をこなしておいでであるのみにもお見受けするお姿に反して、束の間の談笑のあとに彼が御前を辞去する際には「もう行ってしまうのか」という意味の色を双眸に滲ませ召されては
と、朝参とは別に、次回参内の口実を与えて帰して下さるのが常であった。
ゆえに、帝について知りたいことを、帝に伺うことは憚られる。
皇宮においては、帝の下問に対して、臣はお答えを奏上するという形式のみが、帝と臣の間で成立する対話である。
畏れ多きことだが、帝の本当の伯父または叔父は、帝という火中の栗を拾うことを選ばない常識人で、野心がなかったことは確かであろう。
しかしながら、そのようなお人好しは、皇宮では容易に落命するであろう。
双方、賢明な別れであったと諦めざるを得まい。
母に厳しく育てられていた彼にとって、叔父の来訪は家に風が通るようで、喜ばしかった。
叔父は気が弱く、嫂である母にいつも何かと注文をつけられていたが、その子供である彼に当たり散らすことはなかった。
亡父の弟である以上は、叔父も漢の中山靖王の末孫であるはずだが、叔父の口から「漢室」の二字を聞くことは稀だった。この一事も、彼にとって気楽だった。
思えばあの頃の帝も、ただ皇宮に微風ながらも「劉家の風」を時々お入れになり、気楽な眺めを持ちたいと思し召して、彼ほどの官職の者が同席しても自然である場を選んで、折々にお招き下さっていたのではあるまいか。
彼は、親方と少年の二人連れに聞こえぬよう、ひっそりと囁いた。
「お懐かしく思し召されまするか」
寝物語に、楼桑村の昔を彼から何度か聞いている龍は、心に描く桑の大樹の枝を風に揺らせながら問いかける。
彼の優しさは、龍の一家が叔父の玄を頼って、遠く荊州まで流転してきた不運を指さず、辛い時期を乗り越えて今があることに着目した言い方を選ばせた。
有り体に言えば、董卓のあと、帝を我が物にしようと企む者共からの逃避行である。
そして、命からがらに洛陽へお戻りになったその帝を握ったのは、他ならぬあの奸雄であった。
このことを思えば、曹孟徳という者は相当に運の強い男である。
而して、その曹孟徳に何度も命を狙われながら、まんまと今日まで生きおおせている彼は、あるいは曹孟徳以上の強運の持ち主ではないだろうか。
「暴董の、最も重き罪はの。お身内を帝から奪った上に、狼どもの只中に置き去りにしたことであろうかの」
今は昔の、あの頃の混迷を振り返る。
龍は低頭して、帝への叩頭にかえながら言葉を続けた。
「董卓は、王侯諸将に『粱冀の如きことが実際に可能である』ことを示した点も、大罪かと心得まする」
当時は帝と同じく少年であったはずの龍は、彼から聞かされる昔話と、己の記憶と、今まで知り得た中立的な事実とを考え合わせ、当時の彼が誰かから聞きたかったことを、いとも簡単に言うてのける。
若くしてこの境地に立ち至るとは、幼き頃から悧発であったであろう上に、どのような心象と共に生い育って来たものであろうか。
彼は龍の全てを知っているわけではない。
この世で一番の賢者が、まるで仙境に居るが如き風情で理を説き、涼しく座っている姿の中には、なぜか知らず幼い日の彼が胸にこびりつけている、深い嘆きと悲しみと同様の感情を抱いた幼児が、この龍の心の片隅に行儀よく座って耐えているかの如き気配を感じることがある。
その幼児は一人ではない。
累年の幼き龍が何人も、じっと大人しく並んで座っているのである。
あるうえに、龍が遣いから戻った日や、風の強い日、雨の日、厳寒の日、体調が優れぬように見受けられる日など、彼は思うより早く天与の長い腕を伸べて龍を懐にしては、或いは労い或いは癒すように、それとも何かを与えるかのようにその身を温めてやらずにはいられなくなる。
(また、やってしもうた……。「先生」と敬うべき者に、じゃ)
と、反省は数え切れぬが、龍は当初驚きはしたものの嫌がるわけでもなく、彼の為すがままに委ねるかの様子であるので、龍の眠りを妨げた者の権利のうちと独り合点して、結局は改められもせぬのである。
彼の母は、幼い彼の思いに反して厳しい母であり、漢室中興さえも、いつから彼の宿願となったのかは定かではなく、初めは明らかに母の願いを我が願いと錯覚し疑わなかったのみに相違ない。
とはいえ、あれが子に甘い母であったなら、彼は今、龍を傍らにしていなかったかも知れない。
百の半ばを過ぎても、天運とは分からぬものである。
(九 につづく)